第百十話:妖精は夢を見るか
【死の恐怖】で震えている間も、戦闘音は耳に届いていた。戦うとまではいかなくても、身を隠したり、狙われた時に逃げたり、せめてそれくらいは動こうとも思った。けれど自分の思考とは別に、脳裏では自分が食い荒らされる映像が流れ、体は震えている上にグールが何十体も重なっているように重かった。
付き纏うグールが消え、体の自由が戻ると同時に、俺は戦いが終わったことを理解した。
自由になった視界では、手の平サイズのコデマリがアクトに回復魔法を施し、シオンがエイレスに回復薬を手渡す光景が映っていた。
……どこから聞いたらいいんだ?
呆然としていると、シオンとコデマリが中心となって状況を教えてくれた。
オーガとの戦闘中にアクトが暴走して危機に陥ったことを、コデマリは咎めたがっていたが、状況報告が先だとシオンに宥められていた。
人間の少女だと思っていたコデマリが妖精だったことには驚いたけど、この世界に存在している種族なのだからあんまり珍しがる必要もないと思った。どっちかっていうと、異世界人の俺の方が変な存在なんだし。
一階の壁が破壊され、エイレスを含む冒険者パーティとゴーレムが迷い込んで来たのはどういうことなんだろうか? エイレスが言うに、西の魔窟に入ったのは間違いないが、オーガの砦は通った覚えが無いという事なので、別のルートと合流したという事なのか?
迷い込んだ冒険者はエイレスを残して逃走。ゴーレムはシオンが倒し、異常事態で興奮したオーガも三人でどうにか倒し切り、今に至る。
俺が剣を握れた所で何の役に立てたか定かではないけど、ずっと震えているだけだった事が申し訳なく感じる。
「ごめん。こんな所で話させて。早いところ魔窟から出よう」
アクトは回復魔法で起きあがり、エイレスも回復薬で怪我の治療は終えた。コデマリは魔力薬を文字通り浴びるように飲んで魔力を回復させたが、もう人間のフリをする必要がないからと、妖精体のまま俺の肩に留まった。
「……」
エイレスは眉間に皺を寄せて俺を睨んでいる。思っていることや言いたいことには大体の察しはつくけど、ここで言い合いをしている場合ではない。……場所に限らず言い合いなんてしたくないけどさ。普段遠慮なく物を言うコデマリも、不満そうにアクトへ舌を出すだけに留めているし、争いの波が来る前にさっさと撤退だ。
魔物が出たら身動きが取れなくなるけど、丘陵地帯にいたスケルトンは討伐済みだから、俺が先頭でも問題ない筈だ。
予想通り、何事もなく丘陵地帯を抜けて西の魔窟を脱出できた。色々とあったが、オーガの群れは討伐できたので依頼も問題なく達成報告ができる。だからというわけではないが、クロッスに戻る道すがら気になった事を聞くことにした。
「コデマリはどうして人間の体になっていたんだ?」
「人間サイズでいた方が都合が良いからよ」
「ふーん」
「なによ、興味無さそうにしちゃって。それより、他に言いたい事があるんじゃないの?」
他に?
「……危ないところを助けてくれてありがとう」
聞けば、一時的に一人になりながらもオーガを倒し、気絶したアクトを後退までさせたそうだ。コデマリの活躍が無ければ、俺かアクト、もしくは二人ともやられていただろう。
「なっ……なんでお礼なんか……べつにいいわよ。仲間だもの、助け合うことに一々お礼なんて言う必要ないでしょ」
仲間、ね……とてつもなく反感を買うことを思ったけど、思いつかなかったことにしよう。それよりも、コデマリが欲していた言葉とは違ったようだし、他に言うことあったか?
「……あんた、妖精について何も知らないの?」
妖精について? 種族については資料室で少し見たけど、どうしても魔物や薬草の知識ばかりに気が行ってしまって、詳しいことは調べられていない。姿形は現代のファンタジー物と類似しているようだけど……そもそも妖精ってどんな存在だったか。手の平サイズの人形で、森の中で神木とかと一緒に暮らしてて、人間に対しては比較的友好。これぐらいの曖昧なイメージしか思い浮かばないな。
俺が疑問符を浮かべていると、コデマリは溜め息を吐きながら首を横に振った。
「まぁいいわ。魔物の気配も無さそうだし、話してあげる。妖精はエルフ領の辺境にある森に住んでいる種族よ。後で話すけど、訳あって他種族との交流は避けていて、ほとんどは森から出ることはないわ」
それからコデマリによる妖精紹介が始まった。
妖精体の時は飛行能力を使用できるが、人間体の時は羽が消えるので使用不可になる。人間体になっている時は、微量だが魔力を消費し続ける為、常日頃から魔力薬を飲んで補給していたそうだ。
見た目や性格に個体差はあるが、性別は存在しない。妖精王によって生み出された瞬間から体や器官は完成されており、年齢といった概念はなく、成長も退行もしない。そのため寿命が存在せず、妖精が死ぬ原因としては、魔物などから外傷を受けるか、体内の魔力を消費し切ってしまうかの二択である。そして、妖精が死んだ場合、遺体は妖精粉と呼ばれる灰になる。
コデマリは最後に「説明おしまい。何か質問ある?」と加えて一区切り付けた。
いきなり死んだ時の話までされるとは思っていなかったけど、気になる点といえば……。
「成長も退行もしないって言ったけど、それって……経年による変化が無いってこと? それとも、努力しても体力とか筋力とか、いわゆる能力値が上がらないってこと?」
「……両方よ」
そう答えるコデマリの視線は地面に落ちていた。
確か、コデマリが俺とパーティを組みたがっていたのは、自分を成長させて歴史的大魔法使いになる、みたいな理由だったよな。妖精である以上、成長は見込めないというのにわざわざ森を出て人間領まで来て、魔界から帰って来た俺を訪ねた。そうまでして大魔法使いになりたい理由は……べつに気にならない。大なり小なり理由はあるだろうが、なりたいから目指す。それだけだろう。
下手に踏み込んで厄介事が増えるのは勘弁だし、もう一つの気になった点について聞いてみるか。
「他種族との交流を避けてるってどうしてなんだ?」
明るい理由である可能性は低いけど、聞くだけ聞いておこう。知らない内に禁忌に触れて、妖精と人間の関係性を悪化させたくはない。
「妖精は死んだら妖精粉になるって話したわよね。その妖精粉は、摂取した者の魔力を上昇させたり、適性属性を増やしたりする効果があるからよ」
……聞かなきゃよかった。
摂取するだけで魔法関連の能力を向上させる粉。魔法を扱う者……いや、魔法に疎い者ですら欲する一品だろう。だが、その粉は妖精の死骸であり、妖精は寿命では死なない。……これ以上は考えたくないな。
肩に乗っているコデマリの様子を見る。いつもの、勝気で自信に満ちている雰囲気は鳴りを潜め、心境を読ませないように無を顔に張り付けていた。
困難を乗り越え、全員無事で帰路に着いているというのに、どうしてこんなに重い空気が漂っているのか……。後ろを付いてくる三人にも話は聞こえている筈だから、何か気の利いた言葉を掛けてはくれまいか。
…………駄目か。
「コデマリは、どうして大魔法使いになりたいんだ?」
空気に耐えかねて結局聞いてしまった。これでまた重い理由が出てきたらどうしよう……。
「妖精だって夢を見てもいいでしょ。一人じゃ駄目でも誰かと一緒ならって、期待したっていいじゃない」
妖精は成長できない。そんな常識に囚われず、夢を持って生きていたい。だから、冒険者になりたてでありながら、魔界から帰ってきた俺を頼ったというのか。急成長し、能力値以上の活躍をした存在と共にいることで、自身が成長できるきっかけを掴もうとしたのか。
俺を過大評価している点を除けば、気持ちは分からなくはない。
「妖精ってことを伏せていた理由は?」
「そんなの決まってるでしょ! 成長の見込めない妖精なんて、パーティに加入させたいと思う?」
成長が見込めないことよりも、隠し事をしてパーティに加入される方がよっぽど辛い。なんて死んでも言わないからな。仲間だからとか、同じパーティだからとか、そんな雑草の肥料にすらならない理由で隠し事は無しと言う奴は、本当に人と接して生きた事があるのだろうか。
思考が脱線した。コデマリの言葉に便乗して、妖精はパーティに加えないと言って故郷に帰してやろうか……しないけど。
「妖精粉にされる心配はしてなかったんだ」
冗談交じりに言ってみたら空気が凍った。あー、これはやったな。
「流石に冗談だぞ」
「じょ、冗談なら、それっぽい顔か声で言いなさいよ! 平然と言われたら怖いに決まってるでしょ!」
「悪い。冗談を混ぜ忘れたみたいだ」
「もー、気を付けなさいよね」
ふん。と素っ気なく鼻を鳴らすコデマリだが、顔色はいつも通りに戻っている気がした。
「それで、どうだ? 俺たちと一緒に居て、成長はできそうなのか?」
「まだ分かんないわよ。あんたが【死の恐怖】で戦いに参加できていないし、それに……」
俺の肩の上でコデマリが後ろを向いて座り直した。
「そこのチビ! あんた勝手し過ぎよ! あんたが馬鹿やらなきゃ、ゴーレムが来たって余裕で対処できたんだから!」
「…………」
後ろを見なくても、アクトがそっぽを向いて無視しているのは容易に想像できた。
アクトとシオンの様子に違和感があったから付いて来たけど、戦闘中の二人の様子が見れないんじゃ意味ないよな。コデマリの話しじゃ、後衛と連携もせずに一人でオーガの群れに突っ込んだそうだけど……べつに珍しいことでもないよな。
「ちょっと、聞いてんの!? だいたい、チビのくせに刀が長過ぎんのよ! 身の丈を知りなさい!」
「……うるさい」
「うるさいって何よ! そんなんじゃ明日にでも死ぬんだからね! 前衛はあんたしかいないんだから、勝手に倒れられると困るのよ!」
「…………」
アクトは意地でもコデマリと対話する気は無いようだ。肩の上がより一層騒がしくなりそうだったので、コデマリの前に手の平を差し込んだ。
「あんまり森の中で騒ぐな」
コデマリは不満たっぷりに唸り声を上げながらもアクトへの糾弾を止め、正面に向き直って座る。
荷物にしかなってない俺が叱られるならまだいいんだけど、実際に戦っている者同士で争われると、互いに主張がある分、仲裁が面倒なんだよな。どっちの敵にも味方にもなる気はないけど……アクトはまた個人面談かな。
万歩譲ってパーティを組むのはいいけど、揉め事は起こさないでくれよ……。




