第百一話:工作の時間
涼しいが肌に張り付くような空気に、土くさい水のにおい。天井や突き上げ窓から流れてくるのは、無遠慮だが控えめな打音。時々、人の話し声が聞こえてくるが、じっくり聞き耳を立てていなければ、内容は理解できない。通り掛かった側からしてみれば、屋内から出て来る鎚を振るう音の方に気を引かれるが、それも一瞬の事。天候のことを考えれば、わざわざ何をしているか聞くような事ではない。
日中も七時間以上が経ち、ただでさえ薄暗かった空が明るくなることを諦め始めた頃になっても、俺は鎚を振るっていた。とは言っても、鍛冶屋のような激しいものではなく、木と釘等を用いた木工作業である。
家を借りた翌日、俺たちは冒険者ギルドへと赴き、魔界についての情報提供の報酬を得た。その金額、四千五百ゼース。アルヴィンから貰った金額よりも些か少ないが、重要な部分が欠落しており情報として不十分だった事を踏まえれば十分すぎる報酬だ。
今の住居なら一年は家賃を支払える。そう考えると身に余る大金を手にしたようで落ち着かない。
「いてっ!」
集中が乱れて釘の尖端を掴んでしまった。
血は……出てないな。
一人作業で伸び伸びと作業をして、久しぶりにストレスフリーな日を満喫しているが、だからと言って疲労を感じない訳ではない。集中を戻すついでに、固まった体を動かして筋肉を解す。
冒険者ギルドで報酬を貰い、昇級し、アクトとシオンが魔物狩りに行くのを見送ってから、ずっと家で家具作りに勤しんでいた。適度に休憩は取って来たが、結構疲れが溜まってきている。
説明されていた通り、家内は仕切りも何も無い木張りの広い部屋であったが、部屋の隅の調理場や浴場となる場所は石の床となっていた。木張りの床に傷を付けまいと、石の床の上で作業をしていたが、これが予想以上に疲れる。
集中してしまえば気にならなくなるが、今みたいに小休憩の後だと作業に戻るのが億劫に感じる。
あともう少しで一区切り付けるし、集中だ。
溜め息を吐き、精神を安定させて鎚と釘を手にする。
そう言えばの話だが、冒険者ギルドの方から魔窟の再調査について、特に話は出なかったな。昨日の今日なので、向こうもまだ検討中なだけかもしれないけど……このまま忘れ去られないかな……。願わくば、今日のような緩やかな日常が一生続きますように。
心の隅からの願い事を思い浮かべている間に、最後の釘打ちが終了した。
俺は手にしていた工具を床に置いて、出来たばかりの長方形の木箱の上に寝転がった。
うん。変な軋みもないし、大丈夫そうだな。
木箱の上から下り、釘や金具のずれがないか確認する。
「問題無しっと」
樹脂を塗り付けた短い足の上に枠組みを作り、適度な感覚で木の板を張り付けただけの簡単な物であるが、一度に三つも作ると少しだけ大工技術が上昇したように思える。そのうち、アビリティを覚えたりしてな。
そんな呑気なことを考えているが、俺の気持ちはやや落ちていた。物は出来上がったが、調理場の前に置き去りというわけにはいかない。完成済みである二つと同じ所まで運ばなくてはいけない。
「よっこい……っせ!」
誰も居ないことをいいことに、掛け声を上げて家具を持ち上げる。
貧弱な筋肉に、消耗した体力。長くは保たない。小走りで部屋を横切り、筋肉を全力に、体力を限界まで振り絞って目的地付近で慣性を殺す。
震え、痛み、限界を伝えてくる体に、あと少し、と喝を入れる。
位置取り良し! 後は静かに……下ろす!
忘れていた呼吸だが、いよいよ苦しくなってきた。楽を求める体と、手抜きを認めぬ思考が体内で火花を散らしたかと思うと、手にしていた木箱の足が床に着いた。
「ふ〜……」
運搬まで完了し、気の抜けた体を維持できずに座り込んだ。
本当はもう少し……布団を設置する作業があるけど、それは二人が帰ってきてからでいいか。
引越しをして、初めて用意した家具がベッド。体が資本である冒険者にとって、睡眠は重要だ。生まれも育ちも日本である俺や、野宿慣れしているシオンは問題ないが、アクトは床で寝ると体が痛くなるようだったので、今日からは安眠できるだろう。
本来であれば、仕切りまで作りたかったところだが……疲れたな。少し休んで、ベッド作りで出た屑を掃除して、まだ二人が帰って来なかったら作るか。
壁際に積まれた木材と、その上に置かれた時計へ視線を向ける。
もう直ぐで日後の八時を回りそうだ。夕飯どうしようかな……作ろうにも食材どころか調理器具も無いんだよな。
作業に集中している間は感じなかった空腹が主張し始める。
………………。
先程まで疲れたと言っていたのに、もう立ち上がって掃除を始めている自分に苦笑した。
広い部屋で暇を持て余していると、落ち着かないというか、罪悪感に近い何かを覚えた。
箒と塵取りで木屑等を集め、鎚や余った金具を工具袋に仕舞う。木材の寸法は昨日の内に済ませていたから、大きなゴミも無く、意外と直ぐに掃除が終わってしまう。
…………仕切り、作るか。
作業をするには暗くなってきたので、火打ち石を使って部屋に灯りを点ける。それから置いたばかりの工具袋を再び手にし、必要な木材を手にしようとした時だ。
玄関が開き、流れるような雨音と共に外気が一気に入り込んできた。
「たっだいまー!」
「帰ったよ」
「お帰り。と言いたいが、入ってくる前に雨具を脱いで靴を拭いてくれ」
結局置くことになった工具袋の代わりにタオルを手にし、二人へ渡す。
「おっと! つい踏み込んじゃったよ〜」
へらへらと笑うシオンを無視して、もう一枚タオルを持って来て床を拭いた。
汚れやすい場所だけど、だからって汚したままにすることはできない。……昨日引越して来たばかりだし。
「これ、どうしたらいい?」
軒下で脱いだ雨具の置き場に困るアクトをみて、俺も困った。外に出しておいたら盗まれるかもしれないし……。
「水気を切って浴場の方にでも置いておくか」
「ん」
浴場とは言っても、風呂釜が置ける空間は無い。以前泊まった宿に備え付けられていた体洗浄魔法室--シャワー室程度の空間だ。服を掛けられるような物は無いが、小物を置ける台があったので、そこに上手いこと引っ掛けて貰おう。
他のお宅が濡れ物をどうしているのか気になるが、服を掛けられる場所は必要だな。
「おっ! ベッドらしき物がある!」
「一日かけて作ったよ。今日から使ってみてくれ。寝心地は保証しないけど」
「うん、うん! 仲良く三台並べてあるところに、レイホの友好的な思いやりを感じるよ!」
……やっぱり、三台バラバラに置くべきだったな。
冗談のような本音はさておき、横並びにまとめた理由としては、これから増えていく家具の設置の邪魔にならない為ってだけなんだよな。
「おれ、ここ」
いつの間にか自分の布団を持ってきたアクトは、玄関から一番近いベッドを寝床に決めた。
「じゃ、あたい真ん中!」
残った部屋の隅が俺か。
「シオン、本当に真ん中でいいのか?」
「いいけど、なんで? レイホも真ん中狙い?」
「いや、そういう訳じゃないけど、両脇が男で気にならないのか?」
「……気にしないよ〜」
なんだよそのふやけた感じのにやけ面は?
「あたいは二人のこと好きだからね〜。どっちかに寄ったらもったいないじゃん?」
酒でも飲んでんのか、こいつ?
アクトは我関せずでベッドメイキングを完了させてるし。
「そうか。じゃあ、俺たちの役に立ってもらおう。シオンに夕飯の買い出しを任せる」
外食に出ようと思っていたが、一連の会話から仕切りを作らねばならない使命感に襲われた。仕切りを設置したところで同じ部屋で寝ていることに変わりはないが、一枚の板切れが大切な何かを守ることだってきっとある。
なんか訳の分からない思考が過ぎってしまったが、そこまで時間がかかる物でもないし、買い出しから帰って来るまでの時間でも、作業はそれなりに進められるだろう。
「いいよ。何買ってくる?」
魔物狩りを終えて帰って来たばかり、しかも外は雨。この状況で買い出しを頼まれて快諾できる人間がどれだけいるだろうか。……エルフの血が入っているのは関係ないよな?
「おれ、食べに行きたいな。買って来るの大変だと思うから」
腹の音は静かだが、相当に腹を空かしているのだろう。アクトの視線は真っ直ぐに俺へ向けられていた。
確かに、アクトの食糧を運ぶのだけで一往復必要になりそうだし、食べた後に足りないと言われても困るから、出た方がいいか。
「それなら二人で食べに行って来ればいい。俺はまだ耐えられるし、もう少し作業をしたい」
「……」
「……」
こら。黙って見つめるんじゃない。
「レイホも行こうよ」
「そうだそうだ!」
今日一日で随分と仲良くなったみたいだな。尚更、俺がいなくても大丈夫だろ。
「……」
「……」
緩急を付けて粘ろうとするな。面倒くさいな……。
「分かったよ。俺も行くよ」
「ん」
「わ〜い!」
俺が居ても居なくても大して変わらないだろうに、何がお前たちに意地をもたらしたのか。聞かないけどな。
俺は乾いた雨具を、二人は濡れた雨具を着用し、火元と戸締りを確認してから、自然の明かりがすっかり届かなくなった街へと歩き出した。
次回投稿予定は12月19日0時です。




