第九話:美少女
運良く緑の小人から逃れ、運良く逃げた方向にクロッス町があって、今日も生き延びる事ができた。
この世界に来ていきなり魔物の襲われることなく町に辿り着けて、兵士の人とかエリンさんに親切にしてもらって、今回の逃走……もしかしたら人より運が良いことが俺に与えられた特殊能力なのかもしれない。
「……いや、ないだろ」
突き上げ窓の外で降り止まない雨を見ながらぼーっとしていた俺は無意識に独り言を口にした。
クロッスに戻って来てから近場の雑貨屋に飛び込み、五ゼースで傘を購入。預かり屋で衣類を引き出して四ゼース。五ゼースで風呂に入り、ギルドに依頼達成を報告しに行った。雨に濡れたままで報告に行くのは迷惑に思われると思って、先に風呂に入ったのだが、ギルドの中は雨に濡れようがお構いなしに訪れている冒険者の方が多かった。
パラリーフの納品を済ませて十二ゼース獲得する。合計の稼ぎは二十二ゼースだが、既に十四ゼース使っている。町の外に出る前に、預かり屋に四ゼース払って服を預かってもらったのと、朝飯に食べた串焼きの三ゼースを合わせると二十一ゼースの出費。そして、本日最大の出費となる宿が二十五ゼース。
ギルドの人に安い宿がないか幾つかの候補を聞いたが、一番安い二十ゼースの宿は既に満室だったので、その次に安い宿に泊まる事になった。木造三階建ての小奇麗な宿で、食事無し、浴槽無し、体と衣類それぞれの洗い場有り。ここにも賤民が常駐していて、金を払えば衣類を洗ってくれる。
風呂屋に行ったのが無駄に思えるが仕方ない。全部が全部、効率よくできるわけじゃない。
六畳程度の一人部屋は寝台も机も椅子も一人分だけだが、衣装棚と窓は妙に大きいものが設置されている。
木製の固い椅子に座って、同じく木製の机の上に置いた革袋を手に取る。
「残り百十八ゼースか」
革袋の中身は小銀貨一枚、大銅貨一枚、小銅貨八枚。合計十枚という枚数だけなら初めに貰った時と変わっていないが、価値は随分と下がったものだ。
明日も雨だったらどうしよう。またここに泊まって、飯を食べて三十ゼース? 依頼を受けないなら飯を抜くことも考えないとな。
現実世界で使用していた長財布から硬貨を出し、机の上に乗せた左腕に顎を乗せ、右手で硬貨をいじる。
小銀貨は十円玉くらいの大きさで、雷が落ちているような絵が彫られていた。大銅貨は五百円玉より一回り大きく、こちらには杖や槍が交差させられた絵が彫られている。小銅貨は小銀貨と同じ大きさで大銅貨と同じ絵が彫られている。
日本円をどうにかしてこっちの硬貨に換金できないものか。紙幣は無理でも硬貨は適当に異国の金だと言って物好きに売りつけるか。いや、そんなに口達者じゃないし、嘘がバレたらとんでもない目に遭いそうだから無しだ。
いっそ飛び道具にでも使ってしまうか。曲げた人差し指に乗せた十円玉を親指で弾く。十円玉は真っ直ぐ落ちず頭に墜落してくる。痛い。けど、思い出したことがある。
「鑑定屋ってどこにあったっけ」
体を起こして机の引き出しを開ける。空だ。都合よく地図なんて入っていない。宿の受付に行けば町の地図はあるが、立ち上がって歩くのも億劫だった。
「……暇だ」
暇なら地図を見に行けよと思うが、動きたくない。備え付けの時計を見ると、外側の短針が二を指している。日後二時だから二十時といったところだ。寝ても良いが夜明け前に目が覚めることは間違いない。この世界の人たちって、家の中では何をして時間潰してんだろう。
ズボンのポケットからスマホを取り出して電源を点けてみる。充電はもう十分の一くらいしか残っていない。画面を動かしてみるが何の変化もない。謎の人物から電話やメールが着信して、そこから本当の冒険が始まる、なんてのは夢物語だ。
現代人には珍しくスマホを多用する方ではなかったので、使えなくなっても禁断症状が出る訳ではないが、それでもやっぱり暇つぶしにも使えないと不便に感じる。充電できる訳でもないし、鑑定屋で値が付くなら売ってしまうか。
何の生産性もなくダラダラと過ごしたり、思いついたように筋トレをしたりして、その日は終わった。
一晩中振り続けた雨も日の出の頃には上がり、澄んだ青空が広がっている。
ひんやりとした風が流れていたので、革のシャツの上に上着を羽織る。少しヘンテコな組み合わせだが、上着を着た時点で周りからはヘンテコに見えてしまうから気にしないようにする。
薬屋が何時から開くか分からなかったので、とりあえず九時まで待ってから宿を引き払って外に出て来た。先にギルドへ行っても良かったが、籠の中にサルブリーフとパラリーフが入ったままなので、採取の依頼を受ける前に籠を空にしておきたかった。
「……やっぱ邪魔だな」
脇に抱えた着替えやタオルを見て呟く。薬屋に行く前に預かり屋へ行く必要がある。
俺が泊まった宿は間道通りという、大通りの反対側に位置する通りを更に奥へと入ったところにある宿で、預かり屋は大通りから北に伸びている銭貨通りにある。
「真反対かぁ」
頭の中に宿屋を出る前に見た町の地図を描いて、思わず溜め息が漏れる。薬屋は間道通りを抜けた先にあるから、預かり屋を経由するとほとんど町を一周することになる。現実世界と違って時間には余裕があるし、涼しい朝の空気を吸ってのんびり向かうとするか。筋肉痛が少し響くけど……。
宿屋を出て、広大な農場を眺めながら間道通りを曲がってギルドのある参集通りに出る。宿屋も多い通りなので、宿から出てギルドに向かう冒険者が数名見えた。
あの人、耳が尖ってるってことはエルフかな。凄いな本当にいるよ。
画面越しにしか見たことのない存在を、後ろ姿ではあるが目の当たりにできて少しだけ嬉しく思う。話し掛ける用事はなく、あまりジロジロと見ていると視線に気付かれそうだから直ぐに視線を外す。
あっちはパーティか。人間に獣人に、あれはドワーフかな。背は低いけど体格が良くて髭を蓄えているイメージがあるけど、人間でもそういう人いそうだし、エルフみたいに見分けられるところってないのかな。
多種族だが仲良くお喋りしながらギルドに入って行く様子を見送って、更に歩いて行く。
大通りまで出ると、一気に人通りが増える。馬に似た生物に引かれた荷車も行き交っており、非常に賑やかになる。あの首が長くて腕の生えた馬みたいな生物、何て名前なんだろ。でかいトカゲに荷車を引かせてるのもいるな。
行き交う荷車を眺めながら歩いていると人にぶつかりそうになる。前見て歩かないと。そう思って視線を正面に戻して歩く。すると視線の先に大きな噴水があり、噴水を囲むように花壇や長椅子が並べられていた。
少し歩き疲れたし、軽く休んで行くか。
空いている長椅子に座って一休みする。昨日の雨が乾き切っていなくて少し湿っぽかったが、それくらい気にしてられない。
預かり屋に荷物を預けて、薬屋に薬草売って、それからギルド……の前に飯かな。また屋台で安くて量のある物を探すか。いや、少しは栄養価が高そうな物を食べた方が良いか。野菜は嫌いじゃなくて寧ろ好きなんだけど、腹持ちがなぁ……。
大きな噴水から湧き出る水と、空を流れる雲を視界に入れて暢気なことを考えていたら、視界の端で不自然に人混みが捌けた。なんだろう。
視線を向けると、馬に似た生物……もう馬もどきでいいや。馬もどきに引かれた荷車を、身なりの良い二人の男が迎えるところだった。男はどちらも綺麗で高そうな服を着ているが、立場はまったく違う。片方が機嫌を伺いながら丁寧な動作を取っている辺り、主人と従者といったところだろう。
馬もどきの御者は御者台から降りて荷車の戸を開ける。他に見るものもなかったので、何が出てくるのかと眺めていると、もったいつける様に中から出て来た少女を目にして、絶句した。
金の細やかな長い髪は朝日を浴びて輝き、風に吹かれて白い肌を撫でている。薄い唇に、小さいが整った形の鼻。目は伏し目がちなのだが、それが反って長い睫毛を強調し、更に見る者へ儚い印象を与える。
服装は顔の造形とは裏腹に地味目のワンピースだが、袖や裾から覗く四肢は細く、腰の位置も高い。身長自体がそこまで大きくないこともあるが、顔が小さい。御者は別に顔が大きい訳ではないが、それでも少女の顔と比べると倍以上に見える。
少女は身なりの良い男二人に歓迎され、先に主人と共に噴水広場を横切って行く。従者の方は御者と少し会話をした後に報酬を渡して直ぐに主人の後を追った。
上流階級の人間が、どこからか人間を貰ってくる。朝の時間、広場前で堂々と迎えているのを見るに、この世界ではそう珍しいことではないのだろう。しかし、少女の美しさに道行く男のほとんどが足を止めて視線を集中させていた。
顔ちっちぇー。お人形さんみたいって、こういう時に使うのかな。横切っていく少女に視線を向けながら、俺は両手をそれぞれ自分の頭と顎に当てて少し押した。そんなことで顔が今より小さくなるわけではないので、まったくもって無駄な動作である。しかしながら、俺のそんな間抜けな動作を少女はチラリと横目で見て、沈んでいた口元を微かに上げた。綺麗な碧眼と目が合ってドキリとするが、直ぐにその緊張は別のものに変わった。
あ、やべっ、変な服装に変なポーズしてる変人だと思われたよ。
直ぐに両手を放すが、既に少女はこちらに背を向けて、主人と共に大通りの奥にある階段に向かって行った。
追い掛けて「俺は変人じゃない」なんて弁明したら正真正銘の変人だし、なんなら守衛でも呼ばれて牢屋行きになる。もう二度と会う事はないだろうし、直ぐに忘れてくれることを祈ろう。
思わぬ場面に遭遇したが、もう十分休んだし、預かり屋に向かおう。うん、今の事は忘れて向かってしまおう。




