プロローグ
「――くん……」
またこの夢だ。
小さな少年と、今にも泣きだしそうな少女がいる。
少女が口にした。
「――くん……あたし……」
嗚咽を漏らしながら、少女は少年の名前を呼ぶ。しかし、少年の名前を聞き取る事が出来ない。
「あたし、頑張るから……その時は、――くんと……」
そこでいつも目が覚める。これで何度目だろう。とても懐かしく、そして悲しく、大事な思い出のような気もするが、目が覚めた頃には何も思い出せない。
ただ、虚しさと悲しさだけが胸に小さな棘のように残るだけだった。
その時、襖を無造作に開け放つ小さな影が現れた。
「まだ寝てんの? さっさっと起きてよ、朝ごはんが片付かないじゃん! ……って」
現れた小さな女の子が、腰に手を当てながら僕を見やると、不意に汚らしい物を見るような目に変わった。
「また泣いてる……気持ち悪」
そこで気付く。下瞼に溜まった涙が、つーっと頬をつたっていた。
「男のくせに泣くとかみっともない。そんな姿、ママに見せないでよね!」
女の子はそう言い放つと、開けっ放しの襖に手をかけ勢いよく閉め、ずかずかと足音を立てて立ち去っていく。
「分かったよ、恵」
言った頃には既にいない妹の名を呼び、僕は両手で涙を拭い布団から出ると、まだ真新しい制服に袖を通し自室を後にする。
居間に行くと、既にちゃぶ台の上に用意された朝食が一人分だけ置いてあった。僕はそこに座り、少し冷めた朝食を口にする。
「あれ? 母さんは?」
辺りを見渡し、母の姿が見当たらない事に気付き、台所で洗い物をしている妹に声をかける。
「いつものとこ」
妹は素っ気なくそう返す。でも僕はそれですぐに理解した。その昔、母が高校生の頃に親友だった一人の同級生を不慮の事故で亡くし、それから足繁く手を合わせに行っているらしい。
「そっか」
それ以上追求する事もなく短く返事をし、再び朝食を口にする。
「ご馳走様でした」
食べ終わり、身支度を整えて少し早めに学校へと足を向ける。道中で母と遭遇した。
「行ってきます、母さん」
「あら、今日は少し早いのね」
無理に笑顔を作る母に、僕は微笑を浮かべる。
「うん、母さんは帰ったらゆっくり休んでね」
僕がそう言うと、母は小さく頷き僕の横を通り抜け帰宅して行った。
ここは小さな田舎村。コンビニも娯楽施設もない。唯一目立つ物は、村を分断するように流れた一本の大きな川。
それが今僕達が住んでいる村……流川村だ。