小休憩
根性!!・・・なんていう文字通りの根性論を叩きつけられて、何分・・・いや何時間経っただろうか。特に休憩時間もなく、ほぼ同じ姿勢で何時間もというのは言うまでもなくしんどい。途中で、何度も「自分は何をやっているんだ」と迷走しそうになっていた。そう思うたびに心を落ち着かせようとするが、焦る心は止まろうとしない。時間はゆっくりと進んでいるように感じつつも、俺を押し抜けていった。
ファミ姉はというと、今はいない。初めて一時間が立ったときに飽きたのか、どこかへ行ってしまった。自由気ままで猫のような人だ。今はどこで何をしているんだか。出ていったときに、「できたら教えて」なんて他人事のように言っていた。まぁ、他人事なのだが。それにしても、熱意の抜け方が思いの外激しい。
とりあえず、一度やめることにした。手をおろして集中を解くと、一気に重力を感じた。尻を思いっきり引っ張られたようにドスンと腰をおろし、天井をじっと見つめる。
何も思い浮かばない。頭の中に適当に花でも浮かべようとしたが、何の花にするか以前に、花がどんなものかを想像する力もない。
後から思ったのだが、今までで一番集中している時間だった気がする。微動だにせず、よくもずっと同じことができたものだ。本を読むとか、作業をするとか、集中していてもまだできることはある。目に見えて結果が出てるからなのかはわからないが、たぶんそんなとこだろう。でもこれに関しては、側からみればボーッと立っているのと変わりはない。結局、小さな赤玉は出たのだが大きくはならなかった。そればかりか、最後の一時間はその赤玉すらも出てこなかった。そんな状況で、よく集中が持ったものだ。もしかして、寝ていたのかと錯覚するぐらい虚無な時間だった。
しばらく座っていると、徐々に気分が良くなってきた。重力も俺を引っ張ることに飽きたのか、その手を緩めたようで、すっと立ち上がると少しふらついた。貧血気味だろうか。立ちくらみが治るまでに、思いの外時間がかかった。
少し休憩すると、意外と元気になるものだ。また同じことをやれと言われると、体は嫌がりそうだが、精神的には特に問題はない。試しに両手を構えると、赤い玉は「待ってました」と言わんばかりにスッと出てきた。もうこの行程に障害はない。おそらく、いつでもできる。(疲れてなければの話だが)
立ち上がると、なんとなく体に懐かしい違和感がした。違和感というかは、感触だろうか。腹の真ん中から強い何かが胎動して外に出ようとしている。
便意だ。
うおー!!マジか!!
心の声が口元で疼いているのを感じる。なんとなく口にすることはやめたが、その思いは自身の廃棄物処理場がしっかりと受け止めていた。生産物を外に出さないように。ゲートが鋼鉄のごとく硬くなっていた。
だが、同時に何かを掴んでいる自分もいた。ゲートに力が入ると、自然に大きな力を感じた。みなぎる力。いや、そんな格好の良いものではない。言葉にしたくない強い目的のために、手が、脳が、全身が一点に力を集約している。細胞一つ一つに個人という感覚があるのならば、それは大運動。小さな細胞たちが蠢き、筋肉を働かせて排出物を体内に押し込んでいる。だが、対抗勢力も強い。有害物質を体外に排出することは動物的運動行為であり、本能的行動を止めることはできない。
本能と理性の抗争。押し合う力。一方が強く押すと、その力を超える勢いで押し返す。拮抗する力は時間が経つたびに増す一方で、紛争地帯はどんどん広がっていった。体から少しずつ汗が吹き出し始め、体温は上昇し、体はガチガチに力を入れている。
そこで悟ったのが、トイレに行けないかもしれないという事。争いの戦火によって、その他のことに理性軍が戦力をまわす一方、本能軍は一点集中の戦法を取り、グリグリと押し込みをかけてくる。破城槌が門になんどもぶつかり、その度に門は軋み、それでも争う。
止まらない冷や汗。ギュルギュルと唸る腹。足はガタガタと震えている。
目を上げると、見覚えのある一本のペン。ファミ姉が、空間から扉を作り出したのは覚えている。ドアを出すペン。さしずめ、ドアペンといった具合かな。
余計なことを考えるなと言わんばかりに、破城槌がまた攻撃してくる。
たった一瞬の心の揺らぎさえ、本能は許してくれないらしい。拮抗を保つ力によりまた思考回路を止めに入る。力と力が鬩ぎある戦い。ぶつかりあう力は弾きあって行き場をなくしたエネルギーを外部へと放出していき、そのエネルギーが熱を帯び、体を熱くさせる。
耐えろ!耐えるんだ。そう思いながら何分かたったその時、突然、争いが止まった。大きな槌はピタリと侵攻をやめ、ゆっくりとまるでそこには何事もなかったとでも言わんように息を沈めていった。和平交渉でも取り持たれようとしているのか。理性軍も敵の猛攻の前に疲弊しており、つかの間の休息に羽を伸ばしていた。
俺も、その機を逃さない。ペンを手に取り、とりあえずは見様見真似でファミ姉が扉を開いた時を再現する。ペンを持ち、自分の体がすっぽりと入るくらいの大きな長方形を目の前に描いた。
意外とシンプルなものだ。空に描かれた長方形はすぐに形を持ち、古い洋館で見るような木製の扉がムクリと現れた。アンティーク調の木目の浮かぶ扉にくすんだ金のドアノブ。裏がどうなっているのかとか、システムがどうとかも気になったが、とりあえずはそれどころではない。すぐさま扉を開けると、黒いタイルの部屋に白く輝く陶器がひとつ。黒の中にあるから、余計に輝いて見える。とりあえずは成功したようで、心の中では感動していた。ただここで、こんな状況でもし、もしも一つ要望を聞いてもらえるならば、言いたいことがある。
なにゆえ、『和式トイレ』なのだろうか。
いや、トイレはトイレなんだ。いま求めているものはしっかりと目の前にある。ペンはしっかりと自分の行きたいところに連れて行ってくれた。うん。なんら文句はない。このペンに人格があるのならば、満面の笑みでありがとうと伝えるだろう。ただ、和式じゃなくても良いのではないだろうか。いまの時代、和式の方が少ないだろう。むしろ、この世界に和式トイレなんてものがあるとも思わなかった。しゃがむタイプより、座るタイプ。現代人にとって、トイレと言えばこっちだろ。
ドアを開けたまま、目の前の和式トイレを見てフリーズしていると、
フフフ・・・そんな余裕をこいていていいのかな?
と、誰かが言ったわけでも、そんな声が聞こえたわけでもないのだが、と嫌気がした。
ここまでされると、どれだけ鈍感なやつでもわかる。雲隠れし、力を蓄えていた軍勢の奇襲。
ウオッツ・・・ン・・・
自分の声かと疑いたくなるような呻き声が、口の中から溢れてくる。
奇襲攻撃は大きな打撃を与えた。自身の回復のみに専念できた本能軍とは違い、理性軍は他のことにも力を割いていたのだ。完全に回復するのに長い時間がかかる。そこを狙っての攻撃。完全に策にはめられていた。むしろ、この状態を作るための平穏だったのだ。
破城槌が門の外に見え隠れする。必死に食い止める理性兵。しかし、門を押し破っていく力に抵抗するなんて不可能だ。
”作戦を変更する!”
理性軍の司令官が声高らかに叫んだ。
”防戦一方では戦況は打開できない!門の防衛は急務だが、守るだけではなににもならん!これより、防衛軍の戦力の一部を足に集結。前方の目標、『トイレ』への進行作戦を開始する。門を守る者たちよ!すまない。君達には大きな負担をかけるだろう。しかし、我々は勝たねばならない。人として、守るべき尊厳がある。君たちの功績は無駄にはしない!”
途端に足に力が入り始めた。さっきまではドアに捕まって体をガクガクさせていたが、足が一歩ずつ進もうとしている。その代償として門の力が緩んできているが、それでも底知れぬ力を感じる。二つの力を合わせれば、さっき以上だ。
足に身を任せると、ゆっくりではあるが一歩ずつ進んでいた。ただ、門の方も少しずつ減力の効果を見せている。争いはもう門の目と鼻の先で繰り広げられており、戦火は消える事はない。
それでも突き進む。後ろを振り向かず、ただ前へと向かう。おぞましく聞こえる死兵の呻き声。門の解放まで、もう時間はない。呻き声は前へ突き進む兵士たちの後ろ髪を引き、前へ進まする気持ちをザクザクとそり取っていく。だが、やめるわけにはいかない。
一歩。もう一歩と進んでいく。勝利の聖杯までもう何歩もない。
その時、門が開いた。
あぁ・・・もう終わりだ・・・
”諦めるな!!”
立ち上がる一つの影。名もなきその影はボロボロの体を奮い立たせ、門の前に立ちふさがる。彼を動かすのは脳信号でも、反射神経でもない。ただの意志。ここを絶対死守するという意志。その意志は他者を掴む。影は増え、一人、また一人と立ち上がる。個は群となり、軍となって、もう一度立ちふさがる。
その勇姿は進行するものたちには伝わっていない。だが、空気はその心を伝えていた。見えていない。聞こえていない。それでも、心は力強くなっていく。
張り詰める空気は、門が外世界と繋がるとともに、糸を切ったかのように切れていく。余力をなくした兵たち。最後まで戦い、力を出し切ったもののふ供。
戦いは終わった。理性は本能に勝ち、聖杯を勝ち取ったのだ。
聖杯は満たされ、それを流し去る・・・・・・・
我慢の限界だった。これほどまでに、しょうもないことで極限状態になったのは初めてだ。
ただ、極限状態とは表面張力の限界に至った水の様だ。あと一滴で溢れる。だが、蛇口の水は止まっていない。
解放の快感とともに、その時は訪れた。
なぜだろうか。トイレにいっただけなのに。
目が覚めた時、トイレには焦げ臭い匂いが立ちこめていた。
はだけた身体。とともに、なぜか体が軽くなっていることを感じた。
同時に、心は今の自分を見て地面にめり込んでしまいたいと思わせるほど、重くなっていた。
きったね




