始まり
人生は逃げられないもの。有限だ。掛け替えがない。色々かっこいいことを言って、人生を美化しようとする人間は沢山いた。虚言とは言わないが、そんな前向きな考えがすべての人間に共通して使えるかと言われれば、限りなくNOに近い。人生は始まりも違えば、内容も人それぞれ。共通して訪れる死さえも、速さや辛さ、残してきた物によって変わってくる。まぁ、だからどうだってわけではないんだけど。
十人十色。世界中に同じタイミングで生まれ、同じ環境で育ち、同じ時間に死ぬ人間なんていない。
人生なんて、神様のメモ書き程度の内容しかないんだろうから。
昔から変なものが見えた。漫画なんかじゃよくある設定だけど、俺に見えたのは人の霊とか、悪魔なんてものじゃない。いや、むしろそんなものが見えたほうが良かったんじゃないだろうか。
人の言霊が見える。人の思い、怒り、悲しみ。その他諸々の思念が見えた。物心ついた時から見えていたせいで、特に気にかけることもなかった。たまに、「自殺したい」とかマイナスの思念を垂れ流している人もいたが、無視。人の思いを抱ええていたら、やっていけない。心を無にしているからこそ、普通の人と同じような生活ができる。
小学校の時、俺の将来の夢は正義のヒーローだった。自分には特殊な力がある。だったら、それを正義のために行使しよう。
そんな甘い考えが通用することもない。
誰かがイジメられている。心の悲鳴が聞こえる。暗い思念が見える。正義のヒーロー参上!
正義のヒーローが強いのは、みんながその存在を正義のヒーローと認めているからだ。どんに強い悪にも、最後は絶対勝つからだ。
俺には、悪を見つける力はある。でも、悪を倒す力はない。故に、俺は正義のヒーローにはなれない。
イジメっ子に戦いを挑むも、勝てるわけもない。挙句、イジメの新たなターゲットになり、助けたはずの奴は、ボロボロになる俺を見て笑っていた。
イジメは表沙汰になり、俺は助かったが、すぐに転校した。
その日から、俺は助けの声を聞き入れない。蚊の羽音。耳につく雑音。その程度に思えば、気にすることはなかった。
中学、高校と上がるたびに、助けを求める声はどんどん大きくなっていった。神様が、「お前に力をあげたんだから、役目を果たせ」とでも言っているのか。とはいえ、神様の身勝手に付き合う必要もない。厄介ごとに首を突っ込まなければ、人生は平和なのだから。
そんな考えは、大学生になった今でも変わらない。正義のヒーローは、正義のヒーローではない。ちょっと正義感の強い、運のいい人なのだから。
大学の新歓で持ち帰りを試みる先輩。男性陣を金としか見ていない女性陣。見える世界は黒々と、ある意味、特別な雰囲気をかもし出していた。
結局どのサークルにも入らず、友達も作らず、行き当たりばったりに生きる毎日。たまには特別なことでも起こらないものか。考えるだけ無駄なのはもう知っている。
それは、今日も同じ事。いつも通り大学に行き、授業の終わりとともに帰る。帰り道に、早く家に帰りたくないからと遠回りをしたことだけが、いつもと違うことだった。
いつもと違う道を通ると、いつもと異なる思いが見える。聞きなれない声が聞こえる。
「燃えよ!」
大きな火柱が天高く上がった。住宅街のど真ん中から立ち上る火炎。
異変に気づくのに時間がかかった。住宅地の真ん中から火が上がる。非常事態以外の何物でもない。
「ひ…火だ!」
思わず大きな声を上げてしまった。
周りを歩く人々は、俺を変わったものを見るように見つめていく。
〈何あの人。〉 〈見ちゃダメだよ!〉 〈キチガイ出たぁー〉
俺の耳に入る声。見えないのか、周りの人には。
近くの人を掴んで、強引に問いただす。
「ほ、ほら!あそこ!あそこ!火!火柱が…」
「放せよ!キチガイ!」
掴んだ手を強引に振り払われ、俺は地面叩きつけられた。野次馬がどんどん集まり、写真を撮ったり、動画を撮ったり。警察に電話する人もいた。
急いで立ち上がり、人の群れを強引にはねのける。
誰にも見えない。なら、この目で確かめてやる。何が起きているのか。あの火柱はなんなのか。
龍の様に立ち上っていた火柱が消え始める。
急げ。あの火の元へ。
足の動きが速まる。炎のせいか、近づくたびに温度が上がって行く。周りを歩いている人は、涼しげな顔をしている。汗をダラダラと流しているのは俺だけ。
火柱が消えきった。
柱が見えなくなってから、どれくらいの時間がたったろう。もう、後も見えない。
記憶をたどって、柱の下まで駆けつけた。
空き地。石が転がっているだけの、だだっ広い空間。火柱が上がっていたのに、焦げ跡はなく、誰かがいた痕跡もない。
何かが変わると思っていた。自分にしか見えない火柱。それを突き止めれば、すべてが変わる気がした。
見つけられない。なら、いつもと変わらない。千載一遇のチャンス。人生の転機。出会うことは多くても、ものにできる人間は一握りもいない。それが世界。それが人生。
諦めよう。俺は選ばれた人間じゃないんだ。その他大勢。少し変わった、ありふれた人間。社会の歯車。世界の一点。神様のはしがき。
「うまそうだな、お前。」
後ろから声がする。慌てて振り返ると、そこには見たこともない生物がいた。
イノシシの様な顔に二足歩行の身体。牙は口をからはみ出ていて、目は猛獣を思わせるような凶暴な目つきをしている。
「お、おい!お前、俺の姿が見えるのか?」
少し驚いた表情のイノブタ人間。
「見える…みたいだな。お前は魔術師か?だが、それにしては魔力を感じない。」
言葉は出なかった。恐怖が、頭の中の言葉を忘れさせている。
「チッ! ビビらせやがって!安心したぜ。お前が魔法使いなら、食うどころか、こっちが焼肉になるところだった。まぁ、ちょっと特殊な人間って訳か。」
魔法?特殊?言葉が、途切れ途切れでしか耳に入ってこない。
詰まる呼吸。遠くなる意識。これが死の寸前というものか。俺は死ぬのか。こいつに食われて。抗う術はない。太い手足。鋭く尖った牙。あぁ。しょうもない人生だな。
「なんだ…つまらんな、その反応は。このオレが見えてない奴らは、見えない恐怖で泣き叫んでたのに。お前は何も言わないんだな。」
走馬灯すら見ないなんて。何から何まで見放したか、神よ。こんな厄介な人生も、一瞬の痛みと共におさらば。それも悪くないかもしれない。
「興が冷めた。お前のことは、特別に痛みなく殺してやろう。」
へへ…化け物に情をかけられたなんて…
正義のヒーローになりたかった。みんなを守り、みんなに慕われる。そんなヒーローになりたかった。それが、気づけば化け物にやられる側。自分のことを勘違いしていた。
オレはヒーローになれない
そう思うと涙が出てきた。
なんて滑稽な人生なんだろう。勘違いという井戸で泳ぐカエル。真実の世界を知らずに自分の中だけで生きていた。
涙が視界が滲んだせいだろうか。イノブタ男の姿が見えなくなっていた。今までのことが夢じゃないことはわかっている。とうとう、化け物を見る力すらも失ったのだ。
「正義の…ヒー…ロー…」
視界が、空高く登って行く。軽い。まるで、体が空気になった様だ。
目を下ろすと、体が下に置き去りにされていた。
痛みはなかった。
遠くなる意識の中で、最後に見たものは赤い炎だった。
「起きてください!ね、ね、早く!起きてくださいよ!」
なんだ!?ここは天国か?
目の前がぼやけていて何も見えないが、異様なほどにあたり一面が真っ白い。さっきまで住宅地が見えていたから、別の場所だろう。まぁ、曖昧の記憶だが、クビチョンパされて生きている人間がいたら、そいつは人間じゃない。
「起きなさい!いつまで寝てるんですか!」
あぁあ。知らない声が聞こえるよ。死んだな、オレ。これは死んだわ。
「いい加減にしないと、怒りますよ!」
なんだ?夢オチか?目が覚めたら学校の講義中で、教授に起こされるとかそんな展開なのか?でも、オレ楽単しかとってなかったから、起こされるなんてシチュエーション、一回もなかっ...
「オキローーーー!!!!」
「はい!すいませーん!」
思わず口から声が飛び出た。
「はぁ。やっとですか。結構かかりましたね。3分48秒。それが、あなたが私から奪った時間です。カップラーメンが作れるじゃないですか。」
「へ?」
カップラーメン?何を言っているんだ?
強い一声と共に、ぼんやりしていた視界も戻り始めた。黒い燕尾服に似合わないピンクの蝶ネクタイ。背丈は175程で、スラっとした洋風の顔立ち。右手にはステッキを持ち、顔よりも長いシルクハットをかぶっている。片眼鏡をかけ、白手袋をつけ、いかにも英国紳士といった形相。
「用事の帰りに立ち寄ってみれば、何とまぁ。面白そうだったので、ついつい手を出してしまいました。良かったですね、私が近くを通って。って、聴いてます?」
こちらに向かって話しかけてくる男が、なぜ俺に話しかけられるのか。頭しかないはずの俺に。現に、体は見えない。なんとなく、地面に足をつけて立っている気はする。気はするんだ。体が見えないから、確かめる方法はないが。動かせそうにもないし。
「まぁ、いいです。疑問を解決してあげましょう。あなたは生きています。嘘ではありません。不思議ですよねぇ、死んだはずなのに。」
目の前で起きていること、男の話していること。すべてが幻にしか感じられない。自分が死んだことは理解している。なのに、突然生きているなんて言われても、信じようがない。夢としか思えない。
「それもこれも、すべてこの私のおかげ。この偉大なる大魔術師である私のおかげ!さぁ!私を崇め奉りなさい!」
コイツ、頭おかしいんじゃないか!?自分が魔術師?生きていると言った後は、自分を魔術師呼ばわりなんて…
「はぁ…ノリが悪いですねぇ。ここは、ジャパニーズDOGEZAスタイルで『ハハー』というところでしょう。全く、なってませんねぇ。それとも、信じてないんですか?なら、見せてあげましょう。」
男は、そう言って胸ポケットの中に手を突っ込んだ。しばらく、ゴソゴソと手を動かし続けたが、顔を次第にしかめはじめる。両手でありとあらゆるポケットを探り始め、最終的に、手袋の裏から一枚のカードを取り出し、こちらに見せつけてきた。
真っ黒いカードの左側に、この男そっくりの顔写真。右のほうには名前っぽい印字と生年月日っぽい印字。他にも色々と書いてあるが、見たことない象形文字で読めない。ただ、写真の上に、なぜか大きく『クロ・マギノ学園 学園長』と書いてあった。というより、そこだけは読めた。
「私、『クロ・マギノ学園』にて学園長をしております。これで、ご理解いただけましたか?」
ダメだ。あんなカード一枚で、人がおいそれと信じるわけないじゃないか。コイツ、正真正銘のアホだ。アホの天使か悪魔のどっちかだ。んで、俺のことを迎えにきたんだろ。
「悪魔ですよ」
深い声が、空間に響き渡る。本当かどうかわからないはずのことを、この重い一言で信じてしまいそうになった。
「アハハ!ナーンちゃって。そんなわけないじゃないですか。」
目の前で笑う男。そんなわけないとは言っているものの、全くそんな気がしない。信じるなと言う方が無理だ。
「おっと。そろそろ機関にバレますねぇ。最後に、対価をいただきましょう。え、タダで生き返れると思ったって?そんな美味しい話はありませんよ。物を買うのに、お金は必要でしょ?何かをするのにも、対価は必要なのです。とはいえ、人の命一つとなると、いい値段ですよ。」
対価…だって?何を取るつもりだ。体の一部か?それとも寿命とか。まさか、生き返らせておいて、魂が欲しいとか言わないよな?
「まぁでも、欲しいものなんてありませんし、どうしましょうか…」
目の前で、男が必死に悩んでいる。その様子を、あるのかわからない固唾を飲んで見守ることしかできない。
「そうですねぇ。では、あなたの記憶をいただきましょう。あ、別に抜き取るとかそういう訳じゃないので。記憶は残ったままですよ。」
記憶をもらう…いまいちピンとこないが、抵抗する体もない俺には、『はい』の一択しかない。
男が手を伸ばす。すると、頭の中が急にボンヤリとし出した。熱が出た時のように、何も考えられない感覚。
5秒ほどすると、男が向けていた手を離す。手が離れるとともに、ボンヤリした感覚も薄れ始める。
「面白いですねぇ。人の考えや思いが見えるのですか。大変な人生だったのですね。それに…」
そのまま、男は固まってしまった。何か、驚くべきことでもあったのだろうか。頭を抑え始めた男を前に、少し恐怖を感じていた。
「あなた…魔術を学ぶ気はありませんか?」
唐突な申し出に、現状が理解できない。
「え…」
「魔術を…魔法を学ぶ気はありませんか?きっと、あなたのためになるはずです。」
まだ、魔術の存在を理解していない。信じてもいない。そんな自分に、何を言っているのか。
「それより…魔法は存在するんですか?そんな非科学的なこと、信じろという方が難しいじゃないですか!」
「興味がないと?」
興味がないことはない。ヒーローは力があってこそのもの。悪を倒せてこそ、正義のヒーロー。力があれば、正義のヒーローになれる。
「興味は御有りなんでしょう?何を断ることがあるのです。こんなチャンス、滅多にあるものじゃありません。あなたは、正義のヒーローになりたいのでしょ!!!」
胸の奥を突かれた気がした。隠していた感情も、あの男には筒抜けなのだろう。
別に、見て見ぬ振りをしていた訳じゃない。悲しみにくれる人を助けたくないわけはない。心に傷を抱える人を、救いたくない理由なんてない。力がない。だから、助けられない。屁理屈かもしれないが、力がなければできない。悪を倒せるのは、それを上回る力だけ。
「力が…人を助けられる力が欲しいです…俺は…正義のヒーローになれますか…?」
「それは、わかりません。強大な力は、本人の使い方次第で変わります。悪にもなり、善にもなる。力と精神。この二つを両立しなければ、思うように力は使えません。力を持つことの責任というものです。正義のヒーロー、悪のヴィラン。このどちらになるのかは、あなた次第です。ですが、これだけは言えます。この体験は、あなたを大きく変えるでしょう。それは、あなたの見たこともない世界を見ることになります。」
ただ、男の言葉に耳を傾け続ける。その言葉を一字一句こぼさないように。
「人と人同士の争い。それよりも、もっと強大な悪があるのです。この世界に入れば、その悪と対することになります。あなたは、今回は助かりましたが、次はないでしょう。あなたが目にした化け物。あのような存在と戦うことを余儀なくされます。死ぬかもしれません。しかし、より多くの力なき人々は、何が起こっているのかわからないまま死んでいくのです。言ってしまえば、あなたはその人たちを守るために、断頭台に立つのです。知りもしない人たちのために。それでも、いいですか?」
長々と続いた男の話は、まるで一つの物語のようだった。ただ、断る理由は一つも思いつかない。本当に突拍子のない話だ。未だに何を言っているのかを、完全には理解していない。でも、やりたい。その想いの方が、強かった。
「教えてください。魔術を。人を守る術を。」
言い切った。言った後から押し寄せる後悔、雑念。詐欺だったらどうする?さっきの化け物みたいに、俺のことを食うつもりじゃ?考えれば考えるほど、巡る思いは止まらない。
「いいでしょう。いえ、よろしくお願いします。後日、あなたの家にお迎えに上がりましょう。おっと。予想以上に時間を浪費していしまいました。では。」
最後の一言と同時に、白かった空間と、男が消えていく。まるで夢を見ていたようだった。
「大丈夫ですか!大丈夫ですか!」
また別の声が聞こえてくる。ゆっくりと目を開けると、たくさんの顔が、俺を覗き込んでいた。
「よかった!目を覚ました!」
警察官の男が、俺の肩をがっちり掴んでいる。現状をうまく理解できていない。俺は…
「こんなところで気を失ってたんですよ。何があったんですか?」
「え…そんな…」
ハッと思い、首元に手を当てる。くっついている。くびが…ある。じゃぁ、あれは夢じゃない。
警官の手を振り払い、人だかりを押し切って、走る。
「おい!待ちなさい!」
警官が遠くで声を上げている。
気のせいか、周りの声が聞こえない。
このわずか15分程の出来事が、この壮大な物語のきっかけになるとは、俺はまだ知らない。