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7 ……俺はレベル1

「脱オタした気分はどうですか?」

 トーノがしたり顔で訊いてきた。

 ビンゴは周りを見渡す。カップルで賑わう昼下がりの駅前広場だ。なぜかクリスマス仕様のハチ公のそばは特にカップルが多く、みんな堂々としている。ビンゴの前にいるトーノだってそうだ。

 一方、窓ガラスに映るビンゴの姿は、おどおどして縮こまって、羽化する前の蛹のようだ。目にかかる前髪はできるだけ残してもらったが、頭が全体的にすっきり整えられている。肌は元々のきめ細かさが現れて健康的な白さだ。

 ジャケットを着こなし、中に着たパーカーと同色のチノパンとスニーカーを合わせている。美少女にしか見えなかった顔も、髪型や服装いかんでは少年的に見せることができた。

 ビンゴの要望とは違って格好いいというよりはどこか愛嬌のある感じだ。そうなっているのは、全身からダメなオーラが漏れ出しているからだろう。

 オーラを押さえきれないのも仕方がない。今日は朝からいろいろな場所へ引きずられたからだ。朝九時に集合し、まずは美容院で髪を整えた。女に間違われつつも、なんとか誤解を解いて男に見えるようにしてもらった。

 いくつかの洋服屋を巡るだけ巡り、ビンゴは言われるがまま試着を繰り返し、トーノはその度にスマホでシャッターを切り続けた。そして午前中が終了。コーラとハンバーガーで昼食を済ませ、トーノが撮った写真を見せてくれた。その中から一つ選ぶように指示され、無難そうなパーカーを選ぶと、ファストファッションでの服を買い揃えた。

 東奔西走の後、最後にスニーカーを購入し、しめて一万七千円。驚いたのは美容院はクーポンを使えば普段行く床屋と千円の違いしかないということだ。

 時刻は午後二時半。金と時間を使っても、溢れる非リアのオーラを抑えられなかった。これで男になったと言うのは無理がある。

「胸を張っていれば、それなりに普通だと思うんですけどね」

「それなりに普通」

 褒めてるのかけなしてるのかよく分からない評価だった。

(一緒にいて分かったのは、この子は俺みたいな人間にも分け隔てなく接する懐の深い奴ってことだ)

 ビンゴは今日一日ずっとまともに会話ができていない。話しかけるのはいつもトーノで、ビンゴの反応のレパートリーはたったの三つ。無言で頷くか、一言付け加えて頷くか、オウム返しするか。もちろん、話しかける努力はした。会話は一度も長続きしなかったけれど。今も話しかけようと努力中で、チラチラとトーノの顔をうかがい、下を向くのを繰り返していた。

(たぶん、こんなメンタルを持ち合わせていたら、黒髪乙女も少しは……)

 様子をうかがっていると、決まってトーノは小首をかしげて、何かしら話しかけてくれる。サニを盲目的に信仰しているのに濃やかだ。

「ところで、ビンゴくんが男になる理由はなんですか?」

 かと思えばこうして切り込んでくる。

「俺が男になる理由……」

(そんなの簡単だ。アキバの黒髪乙女にこ、こくは……)

 考えただけで脳内回路がショートする。

「……わかりました。好きな人がいるんですね?」

「ふぇっ!? い、いいいい、いないし!?」

 見え透いた嘘を吐いた。こういう時、サニと違ってトーノはからかわない。

「ふふ、でも良かったです。ビンゴくんの好きな人が佐仁川さんだったら今頃ミンチにしてました」

 代わりに狂気がにじみ出ている。もしかしなくてもサニより危険人物だ。

「脱オタみたいにゼロからのイメチェンは誰でもそうですよ。ボクもそうでしたから」

「まあ……、ん? ボクも?」

 今までと同じにイエスマンをしていたら、聞き逃したに違いない。

「……」

 一度も見たことのない凍りついた笑みを顔面に貼り付けながら、

「なんでもないですよ。さっ、そこに立って。佐仁川さんに成果を送りますー」

 棒読みながらもすかさず話題を切り替え、スマホのレンズをビンゴに向ける。

 シャッター音が鳴る寸前で、ビンゴはくるりと回って背中を見せた。

(もしかしてトーノって俺と同類? だとしたら、話しかけるチャンスかも……。でも、話しかけてどうするんだ? 仲良くなっても、また突き放されないか?)

 答えのない問いばかり脳裏に浮かんでいた。

「ええと、ビンゴくん? それじゃ撮れないですよぉ?」

 依然として棒読みである。ビンゴの肩を揺さぶり、振り向くように急かした。それでも振り向かないビンゴにしびれを切らし、トーノは正面に回り込んでその顔を見る。

「写真を送らないと証明に……って、怖い顔してどうしたんですか?」

 目を合わせようとしてくるので、体ごとそっぽを向いた。

「べ、別に」

「別にはないじゃないですかぁ。あ、もしかして写真ダメな人?」

 隣に立って、ちょっと申し訳なさそうにする。

 そういう態度を取られると、さすがに無碍にはできなかった。

「ま、まあ、うん」

 吐かなくてもいい嘘を吐いた。

「そうでしたか! 気づかなくてごめんなさい」

 軽く手刀を切る。しかし、その感じとは裏腹に、トーノの目はどこかビンゴを値踏みしているようだった。

(見透かされてる。俺はなんて格好悪いんだ……)

 ビンゴはがっくりと肩を落とす。

 その傍らでビンゴのうなだれた様子を吟味する。

「ふぅん」

 何かに納得したような声を漏らし、

「今の自分が何レベかくらいは理解してるんですか?」

 おどけた言い方で問いかけた。あるいは、詰問した。

 ギクリとする。努めて平静を装った。やっぱり怯えがまろび出る。

「な、何レベ?」

「最大はレベル10。ボクがレベル5だとしたら、ビンゴくん、君はどれくらい?」

 まるでゲームのような例え方だ。その方が理解しやすいと思って配慮してくれたのかもしれない。ビンゴはそのルールに従って、まずはトーノを眺めて、次に自分のことを……、考える必要などない、ということだけ確認した。

「……俺はレベル1」

「ですよね。ではレベル上げをしましょう」

 簡単そうに言う。しかし、いったい何のレベルだというのか。ビンゴはいまいちピンと来ていない様子だった。

 見かねたトーノがろくろを回すようなジェスチャーをして、

「君は今、いろいろ考えているようですが」

 見えないろくろを横に置いた。

「考えるのは一旦やめてくださいっ」

「えっ」

 次に、駅前の植え込みにいたスマホをいじる女の子に指をさす。

「手始めにあの子をナンパです」

「えっ」

 不意を突かれ、素っ頓狂な声が出る。

(いきなり何を言い出すんだ!?)

「だからレベル上げです。少なくとも君は、考えるだけで真っ赤になるほど誰かさんが好きなんでしょう? じゃあ、声を掛ける時もありますよね」

「うん」

 日本語はわかります、という具合の頷きだ。

「君がここにきた目的は何?」

「ここに、きた、目的……?」

 サニの言うとおりに来ただけだ、という答えはやっぱり間違いだろう。サニがああ言ったのはビンゴを男にするためである。そして、男にならないと告白してもフられると問題視したのはビンゴだった。

 トーノは今か今かと回答を待っている。

 ビンゴは深呼吸をして、グッと拳を握った。

「だっ、脱オタして男になって、……告白する!」

 少し声が大きかったみたいで、周りの人がチラリと二人を一瞥する。

 カーッ、とビンゴの顔が赤くなった。

(こんな人混みで、いったい何を宣言してるんだよ俺はもう!)

 トーノがビンゴの背中を、トン、と押す。はじき出されたビンゴに向かって、

「ガンバです!」

 満面の笑みでエールを送った。

 すでに一歩を踏み出したビンゴは後にも引けず、恐る恐る女の子に歩きはじめる。近づくにつれて容姿が明らかになってきた。年の頃は十代後半、背が低くてタレ目で胸が大きい。少し派手目な外套を羽織っている。

(お願いだからどこかに行ってくれっ――)

 しかし、そんな願いも儚く散って、とうとう女の子の前に立ってしまった。

 女の子が怪訝そうにビンゴを見ている。

(ああ……、ああ……、すげー不審に思われてるーッ! ていうか、ここからどうするの? ねえ、勢いでここまで来ちゃったけど、マジでどうすりゃいいんだ!?)

 女の子はいくらか考えた後、ビンゴに声をかける。

「あのう……、迷子かな?」

「……」

(迷子だと思われてる!?)

「ち、違いますっ」

 一目散に逃げた。元いた場所へ戻ろうとすると、トーノが人差し指を立てている。もう一度アタックしろ、という意味だろう。次に、指先をレインボーのレリーフ前に向けた。今度のターゲットは別の女の子らしい。

(考えるのを一旦やめるって言っても、考えてしまうものは考えてしまうだろうが!)

 疑問に思う余裕など与えられず、何度も玉砕覚悟のアタックを仕掛ける地獄の特訓が始まった。

 五人連続で無言を貫き、五人連続でナンパだと思われなかった。迷子かお使いだと勘違いされた。ビンゴはトーノに呼び出される。何か考えがあるに違いない。

「何か声を出してください。このままだと通報されますよ?」

「つ、通報……」

 確かに通報されてもおかしくない。もはや不審者が板についてきたくらいだ。

 不安そうなビンゴに肩をポンと叩く。

「まあ、その時はダッシュで逃げましょう」

 頼りがいがありそうな笑みを浮かべ、ノーテンキなことを言った。

(お前も考えてないのかよ!)

 ますます不安が増したが、何を言っても無駄そうだった。本気の本気でかからないと、警察が出てくることもありえるわけだ。袋の鼠は猫を噛むしかない。幸い、服だけはマトモである。と言っても、それ以外が問題でこの有様だが。

(今まで人に話しかけずに生きてきたから、人に話しかけるってこんなに難しいことだとは思わなかった)

 トーノに話を聞こうにも、そもそも彼女への話しかけ方すら分からない。コタローやサニとは違うから、どんな言葉が適切なのか不明なのだ。できるだけニュートラルな言葉を選んで、目の前でイキイキしているクラスメイトに声を掛ける。

「あの……。何か、アドバイスとか。ない、かなぁって、思うんですけど……」

 声が震えていた。思ったより重症であるらしい。

 トーノは感心して、

「わかりました。アドバイスと言っても、ビンゴくんが自分で気付いて自分でできなかったら意味のないことですが」

 アドバイスを教える前のちょっとした注意を述べた。

 わかった、と首を縦に振る。

 右手で数字の一を表すジェスチャーをした。

「相手との共通点を探すこと」

 そのまま黙ってしまう。アドバイスは終わりだった。

(おいおい、他にないのかよ。誰とでも仲良くなれる言葉とかさぁ……)

 そういう都合の良い言葉があったなら、今こうして苦労などしていない。

「簡単カンタン。共通点のある人を見つけて、さっ、話しかけましょう!」

 敢えて作り笑いで、ガッツポーズを取る。

(こいつ、完全に楽しんでやがるな。……ええい、俺の本気のホンを見せてやろうじゃねぇか)

 ヤケになりながら自分の意志で駅前の広場に立った。足を止めている人のほとんどは待ち合わせ中。もちろんクリスマス・イブだから。少し暗くなり始めた夕方だからか、ハチ公前は人が集まってくる。歩いている人の中に法則を見つけた。駅に向かう人のほとんどは歩くスピードが早くて話しかけられないが、駅から出てきた人は急いでいる人とそうでない人がはっきりしている。なんとか話しかける余地がありそうだった。

(駅から出てきた人で、だいたい俺と年が近く、かつゆっくり歩いている人……、そして共通点を持っている人。つまり、俺の知ってるアニメかマンガのアイテムを……、ってあれは!)

 夏に見たアニメ映画を思い出した。ビンゴはすかさず、そのアイテムをカバンに付けた相手に近づく。ちょうど街灯の影になる暗がりで、服装しか見えないが、若い女の子だと分かった。

「あああ、ああの!」

(やっ――べぇ……! 声が震えすぎて大変な感じにににに!)

 動揺して顔すら見れない。

 運良く女の子が足を止める。ファーの付いた起毛のブーツだ。サイズが小さい。

「はい?」

 声はちょっぴり枯れ気味ハスキーで、どことなく少年的な感じがある。

 ビンゴはカバンを指さして、

「そ、それ。そのラバストって、君の……、あれ?」

 持ち主の女の子と視線を合わせた。否、合ってしまった。

「ビンゴ?」

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