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5 白雪姫のように起こしてあげたのにな

 誰かの「失礼しまーす」という声に、びくっ、と体を震わせて目を覚ます。反響する喧騒が聞こえ、一瞬だけトマトケチャップの匂いがした。昼休みの匂いだ。ゆっくりとまぶたを開ける。


(知らない天井、……じゃないな。保健室だ)



 消毒液の匂いがする上に、周囲をカーテンが囲っていて薄暗い。固めのベッドに仰向けになり、薄いのに重たい掛け布団を掛けていた。シャツのボタンをきっちり上まで閉めたままだからすこぶる寝心地が悪い。寝返りを打つと、白くて丸い膝が二つ揃って目の前にあった。



「あ、起きた?」



 頭上から声がして、その方を向く。髪がさらさらと落ちた。

 サニが心配そうに覗き込んでいる。


(なんでサニがここに?)


 サニがほっと一息ついて、ビンゴに向けた目を細める。



「おはよう。お早いお目覚めだね」


「え?」



 返事に窮する様子を見て、少し思案した後、うんうんと頷く。



「もう少し眠っていたら、白雪姫のように起こしてあげたのにな」



 変わった言い回しに、視線を落として頭を回転させる。


(白雪姫は毒リンゴを食べて眠りの呪いにかかり、その呪いを解くには王子様の)



「キス!? えっ?」



 サニを二度見した。


 お静かに、と示すように、唇に人差し指を当てる。ビンゴが落ち着きを取り戻すと、くつくつといたずら好きな小狐のように笑った。呆気にとられるビンゴに謝罪代わりのウインクをする。



「昔から変わってない。騙されやすいのと鈍くさいの」



 遠い昔のことを思い出すように、目を閉じてリラックスした姿勢をしたが、すぐに肩を震わせて笑みを浮かべた。


 ビンゴは上体を起こして、首のチョーカーにそっと触れる。



(佐仁川早苗。俺に『男になれない呪い』をかけた張本人。もちろん呪いなんて信じてないけれど)



 サニにそっぽを向き、窓ガラスに映った自分と向き合った。前髪を上げてみる。美少女がいた。



「はぁ」



 ふたたびサニに向き直る。


 高校に入学して、何度もすれ違った。あの出来事さえなければ、「小学生の時に同級生だったサニじゃないか?」なんて話しかけられただろう。高校生のビンゴには、すれ違う度に話しかける勇気が出なかった。いつの間にかすれ違うのが当たり前になって、同じクラスになった今もよそよそしい態度でしか話したことがない。



「えっと……、佐仁川さん。なんでここに?」


 サニはしゅんとしてうつむいた。


「サニでいい。幼馴染じゃん」



 いじけた子供のように言った。


 幼馴染という言葉に心打たれ、まじまじとサニを見つめると、サニは目を伏せて申し訳なさそうに言葉を紡ぎだす。



「忘れたフリをしてたなら、ごめん。謝る。忘れたままでいいよ」


 たどたどしく謝った。言い方は雑だけど、縮こまる姿は誠意が垣間見える。


「なんで忘れたフリするんだよ。俺のこと、もう覚えてないのかと思った」


「……それはこっちのセリフだよ」



 始めにすれ違った時、話しかけておけば良かったのだ。そうすれば、高校に入学してからはもう少し違う生活を送れたのかもしれない。例えば、三次元女についてもう少し知見を得れたのではなかろうか。

 今朝の決心を思い出す。


(俺は本当に三次元に心惹かれるようになってしまったのか? 幼馴染とは言え、サニは三次元女だが……)


 じっくりとサニを観察する。


(胸なし、尻なし。女の子っぽくない。男物の服に着替えれば、少年にすら見える)


 うんうん、と一人で勝手に頷く。

 シャッ、と突然カーテンが開いて、保健室の先生が顔を出した。



「起きたの? 失神したんだってね。それただの寝不足だよ。ちゃんと寝ないとダメ。いい?」



 まくし立てるように述べるので有無を言えぬ気迫があった。ビンゴが、はい、と答える隣で、なぜかサニも一緒に、はい、と返事をした。


 溜息を吐くと、ボキボキと背骨が鳴る。ずっと同じ姿勢で爆睡したらしく、後頭部の髪の毛がペッタリと頭皮に張り付いていた。


 冴えない顔で頭をかくビンゴに、サニはじっとりした目を向ける。



「寝不足で倒れるとか、人生で初めて見たよ」


 返す言葉もなく、そんな自分を鼻で笑う。


(ドン引きされた……)


 サニは何か言いかけて、無言で目をそらす。居づらそうにしていた。

 やや伏し目がちな様子を見て、ビンゴは自分の胸に手をやる。



「俺と話すの、そんなに嫌? あっ」



 気づいた時には口に出てた。あわてて取り繕う。



「その、小学生の頃までは話してたけど。ほら、最近なんか、クラスでお前いい感じだし、俺と話さなくなったっていうか。うん、俺と話す時間は無駄みたいなさ」



 言ってるうちに、ビンゴは自分とサニの立場、というか身分の差のようなものを徐々に理解していく。ビンゴはクラスで地味でパッとせず、どのグループにも属していない。サニは友達の輪の中にいた。理不尽な人間関係の高低差が教室にはびこっている。


 ビンゴが自分の言葉に自分で頷く一方で、サニは不機嫌そうに腕を組んでいた。



「そっちが話しかけてこないからだよ」


「えっ」


(つまりそれは本当は話しかけてほしかった、ということ?)



 幼馴染の突然の、そしてちょっとした告白に目を白黒させる。

 サニはクラスで上層グループだ。当然、ビンゴとは住む世界が違う。



「いや、学校で俺が話しかけたら迷惑かと思って」



 不服そうな視線から逃れるように壁のひびやシミなどに目をやった。幾ばくかの逡巡を経て、頬をかきながら言葉をもらす。



「まあ、これからは話しかけようかな……」


 話せる相手がコタローだけだった半年間ともおさらばである。


「ダメ」


「えっ」


 思わずビンゴはサニを見た。何言ってんだこいつ、って顔だった。


(また引っかかってしまった……)


 その様子に満足したようだったが、サニは椅子から立ち上がる気配がない。


「ビンゴ。あのさ、相談があるんだけど」


 目が泳いでいて、落ち着かない様子だ。普段の姿からは考えられないほどいじらしい。


「相談って……、いや」


 ビンゴは警戒する。髪の隙間から目を覗かせて様子を窺う。少し不気味。


(待て待て。また罠かもしれない。簡単には騙されないんだからな!)


「フフ。俺に相談したいのなら、そうだなぁ……」


 騙されない方法は何も考えてなかった。


 サニがビンゴのセリフの続きを待つ。


「あ、そうだ。俺の相談を聞いてくれよ」


「じゃあビンゴの相談を聞けば、私の相談も聞いてくれるんだね?」


(たしかにそうなる……)


 今さらになって相談を聞かないという選択肢があったと気づく。


「う、うん。聞くよ」


 ビンゴが腑に落ちない表情をしながら肯定したら、サニがにっこりと笑った。


「良かった。で、相談って?」



 相談の内容を頭の中で整理して、この相談はサニに弱味を握られることになるのではないかと心配になった。二次元にしか興味がないはずなのに、三次元に惹かれているかどうかを確かめたい、なんて誰かに相談できるようなことですらない。


 スカートのしわを気にするサニをまじまじと見た。



「なにかな?」


 キョトンとして、小首を傾げる。ちょっとだけ可愛い。



(三次元に心惹かれないと決めるのは早計かもしれない。だってサニだぞ? 心惹かれなくて当然なのでは? そもそもアキバのあの女の人は清楚で上品で、サニとはまるでちが……、いやそうじゃなくてだな……)



 頭に血が上って考えがまとまらない。



「話がないなら行くよ?」


「ま、待って」


 姿勢をサニに向け、ベッドの上できちんと正座をした。すぅ、と息を吸って、



(いやいやいや! 引き留めて話せるのかよ? 仮に話したところでどうにかなるのかよ! あの感情は、萌えとかブヒとかそういう類の、でも、ちょっと違うというか、……ああああああ! 思い出しただけで顔から噴火しそうだ!)



 ふしゅうううう、と気の抜けた溜息が漏れる。



「なにそれ」


 素で突っ込まれる。



(でも、たぶん、ここで話さなかったら前に進めない。それはなんかわかる。親には話せなかったし、コタローは話題に出すだけ時間の無駄だった。かと言って相談できる相手なんて……。それに、また変な噂を流されたらどうしよう。また友達をなくすのはイヤだ……。ん? でも友達がいないから関係ないのか。……ああもう、くそ! 失うものが何もないなら、今度こそ手に入れたっていいんじゃないか? だったら!)



 ビンゴは初詣では決断力を神様にお願いしようと思いながら、立ち去ろうとするサニの制服の裾を掴んだ。



「そ、相談があるんですけど!」



 裾を掴んだ手は軽く払われた。無情だ、とばかりに脱力する。ベッドの上に正座して、小さくしぼんでいきながら、床にうっすらと映るサニの足を目で追いかけた。影は遠ざかるどころか、ふたたび椅子の方へ移動する。驚いたビンゴが顔を上げた時、サニがちょっと嬉しそうに笑ったのが見えた。



「いいよ、聞こうか」



 サニが笑ったのは必死になって引き留めるビンゴが滑稽だったから、だけではなさそうだった。真面目な顔したビンゴに、真摯に向き合ってくれる。



(あれ? なんか立場が逆転してね?)


 という突っ込みを心の中で入れた後、気持ちを入れ替えるように深呼吸をして、三日前の出来事をできる限り詳しく話した。



 サニは嫌な顔ひとつ見せず、うん、うん、と相槌を打つ。話を聞き終えたサニは腕を組み、五分近く続いた話を一言にまとめる。



「三次元の女の子が嫌いなのに、好きな二次元のキャラに感じるのと同じような気持ちを三次元の女の子にも感じたってことね」



 ビンゴはまとめの内容に首肯し、熱くなった頬を両手で挟んだ。たい焼き屋の特別な鉄板みたいにジュウと音がしそうだった。



「好きなキャラに抱く気持ちがよくわからないけど、ずっとその人のことを考えて倒れるくらいまで夜も眠れない、なーんて。答えは一つだね」



 はて、どんな答えなのか、と改めてサニの言葉を待つ。

 サニはふむふむと頷いて、組んだ腕を解きながら、



「それは恋だよ」



 医者がただの風邪を診断するかのように答えた。

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