4 運命的な出会いには、運命的な別れが待ってる。
新作ギャルゲーを購入してから三日後。十二月二十三日の光田高校は、明日に控えたクリスマス・イブを前に、そわそわした空気が漂っていた。心なしか女子たちの装いには気合が入っている。
昇降口では「おはよう」と先生や生徒を問わずに挨拶が交わされ、外では雪が降るのに、校舎内にはどこか朗らかな雰囲気があった。一方で誰とも挨拶せずに棒立ちする男子生徒が一年C組の下駄箱の前にいる。ビンゴだ。
そんな彼のところへ、体格の良い男子生徒が上靴を片手に声をかける。
「よお、ビンゴ。雪が積もるのは久々だ」
ビンゴはよれよれの黒いウインドブレーカーのポケットから鍵を取り出して、動きを止めてぼんやりとした。
返事がないどころか反応すらない。
「って、その顔、どうしたの?」
「……うるさい」
充血した目でコタローの方を見る。視線を上に向けると、長い前髪がハラハラと滑り、かわいらしい顔が現れた。その双眸の下には黒いクマが目立つ。白い肌は青白く、髪はいつもと比べると元気がない。満身創痍という言葉がよく似合う。下駄箱から上履きを床に落とし、足だけで器用に履く。
その間、コタローが、ふむ、とつぶやき、ははーん、とにやついて顎をなでる。
「さては寝ずにゲームやったんでしょ? いや、簡単な推理さ。あれは神ゲーだ」
あごに手を当て名探偵気取りだ。名探偵の推理は続く。
「オレは触りだけプレイしたんだけど、いや~いいね。双子、吸血鬼、満月、路面電車、レトロゲームオマージュなど、オレたちの心ときめく要素満載で、何よりメインヒロインの恋宵がかわいい。そうそう、ぴゅ~ぴるソフトと言えば、発売して数ヶ月で忘れられるような軽いイチャラブもの専門ブランドだけど、今回のキャッチコピーで『運命的な出会いには、運命的な別れが待ってる。』とか悲恋っぽい宣伝文句だったよね。早くもギャルゲスケープ四半期のトップテン入りしたようだけど、実際どうなの? まだ第一章なんだけ……、いや待って。結末は自分の目で確かめたい!」
上靴を片手に持ったままで熱弁を振るう。いつの間にか推理は脇に逸れ、ビンゴに対して、待った、の姿勢を取っていた。
ビンゴはぼんやりとした目でコタローを見る。
(運命的な出会いか……)
三日前のことを思い出しかけて、頭を左右に振った。その度に首の後ろがズキズキと痛んだ。より頭がぼんやりしてくる。きっと寝不足のせいだろう。ただでさえ朝はテンションが低いのに、目の前にハイテンションな巨漢がいると頭痛が悪化しそうだった。
「うるさい。邪魔。ゲームはまだインストールしてない」
「えっ!」
コタローの驚きの声に、周囲の少なくない数の生徒が振り向いた。視線を感じたコタローは巨体をせっせと縮こませる。却って悪目立ちした。じっと動かないでいると自然に視線は他へ向く。
ビンゴの耳元に顔をやって、こそこそしながらささやいた。
「なんでやってないの? 楽しみにしてたじゃない」
ビンゴが鬱陶しそうに手で払うと、コタローは渋々と引き下がって上靴を履く。返事をしなかったら、ビンゴの顔を覗いてきた。髪にほとんど隠れた顔が赤いのを見られる。
「風邪? さっきまで青白い顔してたような……」
「知らん」
突き放してもコタローはビンゴの横を歩くのをやめない。階段を上り始めた時、はっ、とわざとらしく声を出してコタローが問うた。
「やっぱりモーセ系女子?」
「は?」
「オタクの海を割っていった、あのお嬢様」
秋葉原での一件から、コタローはビンゴの様子が変だと何度か指摘していた。名前を知らない少女をお嬢様と呼ぶようになったのは昨日からだ。
「ああ、それでモーセ」
モーセは旧約聖書で海を割ったとされる預言者だ。
ビンゴは言い得て妙だと頷いた後、一段上って足を止め、振り返る。
「俺 は 三 次 元 が 大 嫌 い だ」
言い聞かせるように、二段下のコタローに宣言した。
小学生時代の一件と中学時代のオタク三昧からビンゴは大事な心得を一つ学んだ。三次元は理不尽だが、二次元は裏切らない。異性はビンゴを男扱いしてくれないし、同性は体目当ての輩までいた。
コタローは肩をすくめる。
「やれやれ。君の三次元嫌いは筋金入りだね」
芝居がかった仕草で、呆れた様子を表現した。
一年C組の教室の前でビンゴはコタローと別れる。教室内ではできるだけ話さないようにする暗黙の了解があった。
普段の二人なら世間の取り沙汰なんて無視するところだが、教室という限られた空間の圧力から逃げる力も術も、今の二人は持ち合わせていなかった。
コタローは名残惜しそうに室内へ向かう。
時間差で教室の出入口に立ち、ビンゴは目にかかる前髪をいじりながら、充血した目で教室じゅうを探した。
(誰でもいい。俺は本当に三次元女を、その……、アレなのか。確かめるべきなんだ)
胸に手を当て思案する。通学の後というには脈が速い。深く息を吸って吐いて精神を落ち着かせる。いつもなら注意を払わないはずの、化粧の粉っぽい匂いがイヤに気になった。鼻がむずむずして、さっさと教室へ入ろうと足を出したその時。
「邪魔なんですけどー」
背後から声が聞こえ、驚いた勢いで跳ねるように教室へ入る。後ろを見ようとしたら、濡れた床に足を滑らせた。そのまま尻もちをつく。尻から伝わるひんやりとした感覚に眉をひそめた。雪を教室で払った生徒がいたのだろう。
視線を上げると、はっとした表情をする女子生徒がいた。後ろから呼びかけた女子に違いない。
「……サニ」
ビンゴが女子生徒をそう呼ぶ。外国人というわけではない。日本人にありがちな幼い見た目で、アシンメトリーなショートカットや目元、スレンダーな体つきはどこか少年的な美しさがあった。
「わ、私のこと、サニって呼んだ……?」
サニは怯えるようにビンゴを見た。
(呼んだかも……。あ、これってまずいのか?)
ビンゴはサニに正体を隠して過ごしてきた。それが今、水泡に帰すすんでのところ。
サニは教室とビンゴを交互に見て、申し訳なさそうに目を伏せる。
ビンゴは首にしたチョーカーを触った。
教室でビンゴが蔑ろにされるのは日常茶飯事で、床に転んだ男子生徒を気にかける者は誰もいなかった。窓際でたむろする女子生徒のグループが、ギリギリ聞こえる声量でざわざわと話を始める。二人に聞こえてきた言葉には、「なにあれ、わざと大げさに転んだんじゃね?」や「うわ、佐仁川さんかわいそう」などを含んだ。
ビンゴがどうしていいか分からなくなり始めた時、別の女子生徒が教室に入る。女子にしてはえらく背が高く、ゆるくウェーブがかかった前髪が鼻先に気怠げに垂れていた。サニを見るなりパァァと明るい表情になる。
「えっ佐仁川さん!? 今日は早く学校に来たんですね! おはようございます!!」
ビンゴとサニの間に割って入って、サニの手を取って挨拶する。
「あ、うん。おはよう、トーノ」
トーノと呼ばれた少女は嬉しそうに頬を赤らめた。彼女の周りに「さにかわいい、さにかわいい」とオーラが漏れ出している。クラスの一部の女子たちが嫉妬の視線をトーノに向けた。サニが困った顔をしながらトーノに微笑むと、トーノはそれだけで硬直する。
(出た、遠野命彩。クラスで一番美人の女子)
石になったトーノの脇を通って、ビンゴに手を差し伸べた。
「ごめん。怪我はない?」
「あ、ああ」
ビンゴがその手を掴むか躊躇う間に、サニの手をトーノが脇からかっさらう。
「この手は誰にも渡しませんよ!」
サニを慕うあまり取った行動は外野の女子たちに火を付けた。外野から「抜け駆けしないで遠野さん!」や「独占禁止法!」という言葉が飛び交う。
「むむ……」
トーノは名残惜しそうにサニから離れた。
サニの教室での扱いはまるで王子様のようだ。周囲の期待に反してサニはビンゴの背中に手を回す。
「立てる?」
ぼんやり眼のまま頷き、支えられながら立ち上がる。
サニがビンゴの耳元に口を寄せた。
「覚えてたんだね、ビンゴ」
「え?」
振り向くと、サニは離れた。伸ばした手は宙を舞う。
ビンゴは床がなくなったような不思議な感覚を覚えた。
それもそのはず、ビンゴは糸の切れたマリオネットのように床に倒れていた。
サニが驚いたような焦ったような顔をしてビンゴを覗く。
(なんでそんな顔するんだ。あれ? 背中が冷たい。なんか気が遠くなってきた)
ビンゴは自分の名前を呼ぶ声を聞きながら気を失った。
 




