30 このまま終点まで乗ろうか?
帰りの電車はかなり遅い時間になってしまった。
あれだけ騒いだ五人組も今ではビンゴとサニの二人きりだ。
この調子だと家に着く頃には九時を過ぎるだろう。
混み合う電車内でスタンションポールに掴まりながら、ビンゴはぼんやりと夜景を眺めた。
いや、窓に映る冴えない自分を見ているのかもしれない。
「はぁ……」
見るからに元気のないため息を吐いた。
女の子にしか見えない顔と身体がコンプレックスで、伸ばした髪はサニの髪留めで上げられて、夏場は身体のラインを隠しきれない。
自身の信じるオタクの頂点になれたのに、見た感じは何も変わった様子がなくもどかしさを覚えた。
オタクの頂点とは長いオタクの道の中間地点に過ぎない。
極めれば中途半端ではない、なんて単純な話ではなく、極めようとする指向性を持つことが中途半端さからの脱出になる。
つまり、今のビンゴはまっさらの状態で、次の指針を見つけなければならない。
だというのに過去の楽しかった日々に心が惹かれる。
(そっか。これ、寂しいのか……)
それぞれの帰り道が別だったように、いつかはお別れする定めだ。
手に入れたらずっと手元に置いておける同人誌やフィギュアとは違う。
ビンゴに必要なのは趣味を語れる友人だ。
電車が大きな橋を渡り始めると、川に住宅街の光が反射していた。
橋を渡ってすぐの駅で多くの乗客が降りると、傍らにサニが寄り添う。
「疲れたね」
二人は閑散としたホームを眺めると、夜風が車内に吹きこんだ。
「ビンゴ最後のオタクの日だね」
「……うん」
空気が抜ける音がしてドアが閉まる。
「明日からは普通のビンゴだね」
「……うん」
言われれば言われるほど、ビンゴの背が丸まっていく。
「このまま終点まで乗ろうか?」
「……うん。うん?」
思わずサニを見たら、試すようにニコと微笑む。
走り出した電車の窓からはどこかの大学の校庭が見えた。
もしも終点まで行けば、最寄りの駅に戻れなくなるだろう。
(そうなったらどこかで泊まって……)
「え!?」
サニに振り向く。
いたずら好きな小狐のように笑っていた。
「大きな声を出してどうしたの?」
乗客がビンゴを一瞥した。ビンゴがペコと頭を下げると、それぞれの時間に戻っていく。
今度は身を寄せて小さな声で抗議する。
「無理だよ、明日はデートがあるんだから」
「デート?」
サニがキョトンとした。
「あっ、いや。なんでもない。でも、光田で降りるからね」
「うそ、ビンゴが教えてくれないなんて。いじわる?」
わざとらしく小首を傾げる。
あざといと分かっていても、ドキリとしてしまった。
「いつもいじわるしてくるのはサニでしょ……」
手を背中の後ろで組んで、興味を失ったようにぷいとそっぽを向いた。
「そうだね」
もしかしたら顔を見せたくなかっただけなのかもしれない。
(なんで普通の反応するんだよ。もっと図々しいのがお前だろ、サニ)
「マーヤさんと明日、遊び行ってくるから」
いちいちサニに報告するようなことじゃないのは分かっていた。
「……」
サニは押し黙ったきりで、こっちに一瞥もくれない。
ビンゴは目を泳がせて、自分に無関係そうな車内広告を眺めて、ハッとする。
「あっ、明日がデートなんて嘘! 冗談だよ」
「……」
サニの後ろ姿に言い繕った。
「……ぷっ」
沈黙に耐えきれなくなって、サニが吹き出した。
「もう、ビンゴ。嘘はダメだよ」
振り返ったサニは困ったように笑みを浮かべた。
「それにね、いいんだよ。デートに行って。それでいい感じになって告白して、温泉で宣言してたみたいに男になってよ」
ビンゴが女子と付き合うとは男になった証。
呪いは解けて、同時にサニの呪いも解けるだろう。
(思い込んでもおかしくないよな、こんな見た目じゃ)
車窓に写り込んだビンゴの見た目はかわらしい女の子そのものだ。
「なら、俺がリア充になるまで見届けてよ」
ビンゴの提案にまだ理解が追いついていない様子だ。
ビンゴはスマホを取り出して、素早いフリック操作で何かを書く。
画面の上部に表示されているのはメランコリックマスターという名前だ。
もちろんうつ主であり、マーヤである。
少し長めの文が完成する。
送信するとものの数秒で既読済みになって、「うわあああああ」と回転する女の子が描かれたスタンプが送られてきた。
間を置いて通知が来る。
《よろしくお願いします》
いまいち何を考えているのか分からない相手だったが、ビンゴは決意するように頷く。
「明日は朝九時に駅前に集合。いいね?」
サニは不安そうな表情を浮かべたまま頷いた。
最寄り駅に着いて、夜風が車内に吹き込む。
 




