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25 勝利の朝

 夏コミ三日目、ビンゴはサニと一緒に始発に乗って国際展示場に到着した。

 ビンゴは運動用のTシャツにハーフパンツ、ランニングシューズという機動力に優れた装備だ。誕生日プレゼントの髪留めで視界も明瞭だ。

 サニは夏らしく爽やかなマリンコーデで、セーラー襟とタイがガーリーでかわいらしい。

(これで女子にしかモテない? 嘘だよなぁ)

 ビンゴも背筋を伸ばして隣を歩く。

 周囲の男たちは二人が気になる様子だ。

 待ち合わせ場所のファーストフード店の前にはコタローとユキヒがいた。

 コタローは白シャツ黒スラックスで、マリンキャップを頭に乗せる。学帽のつもりなのだろうか。

 ユキヒはキャスケット帽をかぶり、大きめのサングラス。キャリーバッグに寄り掛かるようにして立っていた。

 ビンゴは思わず笑みを浮かべ、頬をぐりぐりして笑みを揉み消す。

 真っ先にコタローがビンゴに気がついて、おもむろに手を上げて居場所を知らせた。

 ユキヒはサングラスを軽く下げて、安心したようにニコと笑う。

 合流した四人は挨拶を交わし、東ホールの待機広場へ向かった。

 新しく増えた東ホールを右手に見ながら、綺麗に舗装された駐車場に出る。

 風が潮の匂いを運び、ふと顔を上げると暁の水平線があった。

 コタローが太陽に向かってビシッと指をさす。

「勝利の朝! 刻め、心に」

 テンションが上がると何らかの名言を吐かずにはいられない病にかかっている。

 ちょっと周りが見えない部分があると呆れるが、今回ばかりはビンゴも焚き付けられた。一緒になって太陽に指をさす。

「水平線に!」

 ユキヒがやれやれと言って、サニが「イタいなぁ」と感想を述べた。

 四人は列形成に混ざり、スタッフに圧縮されてから座る。

 隣の人との密着度や暑さに不快感を覚え、コタローとサニはため息を吐いた。

 ビンゴは特に気にならず無防備で、隣にいたおじさんがドギマギする。

 ユキヒがキャスケット帽を被り直して満足そうに頷いた。

「うん、悪くない場所かな」

 ユキヒが簡単に説明する。

 今いる場所はブロック分けされた六番目の待機列で、最も海沿いの最後尾だ。

 六番目はかなり前の方である。最初の一万人以内と言えた。

 列の前に座ると屋台からの匂いでどうしても腹が減り、列の真ん中に座ると人の熱気に包まれてだんだん暑くなる。後方は簡易トイレへ行きやすく海が近い。他と比べればやや涼しい。

 位置取りに何の違いがあるのか、最初は三人とも理解できなかった。

 九時を過ぎたあたりで、座り疲れて立ち上がったビンゴが周りの様子を見渡してユキヒの意図に気がつく。

「かなり体力を削られたけど、風が来るだけでも違うな」

「だろう? 昔は下が砂利だったんだ」

 ユキヒがアスファルトを手のひらで叩く。

 到着してから二時間ほど作戦会議をした。後は黙々と待機するだけだ。

 ビンゴはしゃがんでコタローと目が合うが、会話のないまま目を離した。

 一方、サニはユキヒと談笑する。

「一日目はトーノにサークルチケットをもらったから楽だったけど、そうじゃない人たちはこの中を何時間も待ってたんだね」

 ユキヒはビンゴを一瞥する。反応がなかった。話を続ける。

「ちなみにだけど、スペースはどこって言ってたんだい?」

「たしか、ツ、で始まってました」

「じゃあチケットあったらビンゴくんのお目当ては近かったかもね」

 困ったように笑いを返した。

 目当ての『レコーズメイガス』は同じ東ホールに配置されている。

 おどけた言い方をするユキヒと頭をかくビンゴにサニがくすくすと笑った。

(他愛ない会話がこれほどとは)

 大切なものは失ってから分かる、とよく言うけれど、失いかけて改めて分かった。仲間はかけがえのないものだと心から思う。

 スマホを見ていたコタローが「ビンゴ、これ見て」とそれを差し出した。

「これって、うつ主のサークルの人?」

 よく『レコーズメイガス』の後ろに掌編小説を掲載する人のツイスタだ。

 つぶやきに目を移すとビンゴは小さく驚嘆した。

「『新刊がない』? ってどういうこと?」

 コタローはうーんと唸った。言いにくそうに答える。

「少なくとも何かトラブルがあった、ってことかな?」

「そっか……」

 ビンゴの顔には安堵の表情が浮かび、ふと肩の力が抜けた。

(って、なんで俺はほっとしてるんだ)

 崩れた姿勢を直しながら、他の三人の様子を眺める。

 三人がいれば満を持してオタクを卒業できるだろう。

 そうすればサニが信じる呪いはなくなり、ビンゴに協力する理由もなくなる。

 コタローはオタク友達として以外の接点がほぼないから疎遠になるに違いない。

 目的を達成したからバイトはやめる。大学受験に備えなければならない。

(またひとりに戻るのか?)

 シャツの胸元をぎゅっと握った。

 サニが「どうしたの?」と気にかけてくれる。

(いっそオタクのままでもいいんじゃないか?)

 ビンゴの脳裏には煮え切らない考えばかりが浮かんだ。

 スタッフが開始の三十分前を告げて、行列が先のブロックから動き始める。

「どうしよう。怖くなってきた……」

 浮足立つコタローが「え、何が?」と聞き返した。

「コミケが終わることが怖い」

 巨体がぬっと現れ、ビンゴの右隣で腕組み仁王立ちをした。

「コミケはこれから始まる」

 ユキヒが左隣でビンゴの肩に優しく手を載せる。

「気が早いなぁ、今を楽しもうよ」

 ビンゴは二人に無事に同人誌を買えたら、オタクを卒業すると打ち明けてない。

 トーノの「仲間を考えたことがあるんですか?」という声が脳内に響く。

(考えてるよ。考えてるから、言えなかった)

 仲間たちが協力してくれる限りは裏切れない。

 サニがビンゴの前で拳を作って胸に当てた。

「ビンゴが選んで」

 今まで背中を押してくれたサニが先にいる。

 列の前方が少しずつ動き出した。

 首のベルトを少しだけ緩める。

 外気に触れて涼しさを感じ、ため息をついてからサニの手を優しく払った。

「行こう」

 そうして行列の群衆に紛れ、植え込み手前で三日目開催の合図が鳴る。

 拍手とともに夏コミ三日目が始まった。

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