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24 心の器を満たすもの

 すっかり日が暮れて、帰宅途中の大崎駅に到着した時に電話が来た。

 どす、と重たい音を立てて手荷物をホームに置く。

 マーヤと別れてから大量に購入した同人誌のせいだ。

 スマホの画面にはアニメアイコンが表示されている。

「コタローか……、もしもし、俺だけど」

 通話を押すと矢継ぎ早にコタローの声がする。

「ビンゴ!? 今から送るライブ映像を見て!」

「はぁ?」

 ポップアップが出た。ライブ配信サービスのサイトへのリンクだ。

 タッチするとブラウザが開いてライブ配信が始まる。

 どうやらコミケの徹夜を実況するようだ。

 通話を継続中だ。動画の音声に混じってコタローの声がする。

「どう? ビンゴ、見つけた?」

「見つけたって、何を?」

 もう一度、配信された映像を確かめる。

 撮影地は冬コミでビンゴとコタローが二人で徹夜をした広場だ。

 障害物のない平らな海と無骨なコンテナ倉庫が見える。間違いない。

 まばらに列をなす人々がいた。その中に、

「サニ!?」

 一人だけ場違いな格好の少女がいた。

「やっぱり佐仁川さんだよね……。今、家でこれ見てるんだけど、ビンゴは佐仁川さんと一緒にいるんだよね?」

「いや、一緒じゃない……」

 冬コミの徹夜に参加した時をフラッシュバックする。

 カネ目当てのオタク狩りに狙われ、女と間違われてひどいことをされかけた。

「サニが危ない!」

 動画で見る限り、サニは一人で徹夜に参加するつもりだ。

「電話きるぞ」

「あ、うん」

 ビンゴはコタローの返事も待たずに通話終了をタップしようとして、手を止める。

「いや、コタロー」

 逡巡し、言葉をまとめる。

「その、連絡、ありがとな」

 ビンゴが頬をかきながらたどたどしく言った。

「あっ、ええと……、どういたしまして?」

 コタローはうろたえながら返事をした。

 ちょうどビンゴの目の前に電車が入ってくる。

「じゃ、行ってくる」

 国際展示場へ向かう電車へ乗り込んだ。


 国際展示場駅に到着し、窓から見えた光景は人の塊だった。

 いや、帰路に立つオタクの群衆である。

(まともに動けそうにないな)

 予想は大いに外れた。

 まともに動けないどころか、どんどん出口から遠のいてしまう。

 人の流れに逆らって歩くのはどんなに難しいか思い知り、なんとか脱出した。

「し、死ぬ……」

 あまつさえ、ビンゴは大量の荷物を両脇に抱えた状態である。

 地上に出てもうだるような熱気に当てられて、ビンゴは軽くめまいがした。

「だが、倒れていられる状況じゃない」

 精神力だけで移動を開始する。

 休もうとすると、サニの身に何かあったら、という懸念が脳裏をよぎるからだ。

 そうして到着した東ホール脇の広場は、動画で見るより多くの人がいた。

「サニ!」

 大声で名前を呼ぶ。大勢の人がビンゴを不審そうな目で見た。

「ビンゴ?」

 列の真ん中くらいで、サニが立ち上がって手を振った。

 ビンゴは荷物を放置して、サニの元へ駆け寄る。

「帰るぞ」

 サニの手を取って、有無を言わさず列から引っ張る。

 サニが手を払った。

「なんで帰るの? それより、どうしてここにいるの?」

「いいから。帰ろう。こんなところ、いちゃダメだ」

 周囲の男たちがジロジロと二人を遠巻きに眺める。

「ダメだよ……。私のせいでトーノとああなっちゃった。何もしなかったら、ビンゴが欲しい本、手に入らなくなっちゃうんだよ?」

 そうしたらオタクの頂点になれず、オタクを卒業できない。

「呪いはいいよ」

 サニが頭を横に振る。

「ううん。呪いを解きたいから、ここにいるわけじゃない」

 ビンゴはサニの言葉に意外そうな顔をする。

「私ね、嬉しかったんだ。ビンゴが約束を守ってくれたこと。だからね」

(好きに正直でいる、か)

 じわ、と目頭が熱くなった。

「どうしたの?」

「ううん。なんでもない。でも、ありがとう」

 ビンゴはサニに顔を隠しながら、サニの手を握り直した。

「だけど俺、サニに何かあったら嫌だ。だから頼むよ」

 言外にビンゴの切実さが伝わって、サニは少ない荷物を肩にかける。

 ビンゴはサニの手を引いて、置きっぱなしにした荷物を手に持った。

 びり、と紙袋がやぶけて、中身をぶちまけてしまう。

 サニが拾ってひとまとめにした。

 ビンゴは荷物に手を伸ばし、ふと手を止める。

「ありがとう」

 もう一つあった自分の荷物を持って駅へ歩き始めた。

 気に入らないのは隣でサニがニヨニヨしていることくらいだ。

 駅に到着すると人だかりはやや減って、乗り換えもスムーズに済んだ。

 繋いだ手はずっと離さなかった。

 光田へ向かう電車のホームはお盆のためか、夕方なのにガラガラだ。

「空いてる……。あ」

 もう自分たちが人混みにいないことに気がついて、ビンゴはサニと手を繋いだままだったと気がつき、パッと手を離した。

「ごっ、ごめん! 手、繋いだままだった」

 サニがぼそっと言う。

「謝らなくていいのに」

「え?」 

 聞き間違いかな、とサニに振り向く。サニが手を差し出した。

「到着するまで繋いでよっか?」

「なななっ」

 みるみるうちに顔が赤くなる。

 ちょうど電車が到着し、サニが手を引っ込めた。

 乗客が向こうのホームへ降りる少しの猶予でビンゴは深呼吸をする。

 目の前の扉が開くとビンゴは椅子の端に座った。

 隣にサニが腰掛ける。

 電車が動き出しても車内にはほとんど人が乗っていない。

「こっからは、ひとりごとなんだけどさ」

 前置きをして話を続ける。

 手探りで言葉をひとつひとつ並べていく。

 サニは黙って耳を傾けた。

「一途でいなきゃダメって難しい。普通は目移りしちゃうよ。三ヶ月で嫁が変わるんだ。なぜって楽だから。心の器を満たすものは好きって気持ち。満たされると心の器はたくさんの好きを受け入れるために大きく成長する。すると大きな器を満たすのに時間がかかる。それに好きって気持ちは無限に湧いてくるわけじゃないでしょ? だから、時間がかからなくて、満たすのが簡単な、最初の心の器さえ満たされればいいって思う。俺は一途でいたい。だけど、できるのかな? 大きくなりすぎた心の器を満たすには、好きって気持ち以外の何が必要なんだろう?」

 ビンゴがサニの方に顔を向けた時、サニが身を寄せた。

 側頭部が肩に寄りかかって、密着しているところがじわりと汗ばむ。

「……サニ?」

 ビンゴはサニが寄りかかってきていない方の手を胸に当てた。

 亢進する心臓の音に驚いてビンゴは呼吸を止める。

(きっとこの感情は黒髪の乙女を見た時と同じ名前をしてる。サニが教えてくれた)

 大きく深呼吸をして、

「サニ」

 耳元で短く名前を呼んだ。

 電車が橋に差し掛かる。

 けたたましいレールを鳴らす音。

 ビンゴがサニの顔にゆっくり近づいて……

 ここまでやってまったく反応がない。

(あれ?)

 電車が橋を渡り切ると、すやすやと穏やかな吐息が聞こえてきた。

「ね、寝てる……」

 考えてみれば、昨日、今日と連続で晴海まで来たのだ。

 ビンゴのようにバイトで体力を付けていなければ疲れて眠るのも当然と言える。

「ったく……、って、俺なにを言おうとしてたんだ?」

(恋……、なわけあるか! 俺は二人の女の子を好きってことになるんだぞ)

 バツが悪そうに見を縮こませる。

 こういう時の癖でため息を吐いた。

「二次元ならこんな悩みないのになぁ……」

 ビンゴは窓に映る冴えない顔を見た。

 もうすぐ日が沈む。

「明日か」

 夏コミ三日目は運命の日だ。

 『レコーズメイガス』を手に入れられるか。

 最善を尽くして望まなければならない。

 スマートフォンを取り出して、ビンゴは思案する。

(とりあえずコタローにサニを連れ戻したことだけ報告しよう)

 チャットを送ると、コタローから返信が来る。

《明日はどうする?》

 ビンゴは間髪入れずに送る。

《参加》

 間を開けて返事が来た。

《トーノさんに手伝いいらないって言われたから、オレ一応フリーよ?》

 元々はサニたちのボディガードを兼ねた参加だったから、サニがトーノと参加しない様子なのでコタローにも声がかからなかったのだろう。

(うーん……、改まって言うのもなんだしなぁ)

《なら、俺と行く?》

《行く!》

 サブカルに流行りのマンガのスタンプも送られてきた。

(あ、そのスタンプ買ったんだ……)

 次にビンゴの脳裏に浮かんだのはユキヒだった。

 いつでも力になると言っていたことを思い出す。

 チャットの文を敬語で書いていると、ユキヒの方から連絡が来た。

「エスパーかよ」

 最寄り駅に着く頃、ビンゴは目頭を押さえて不敵に笑った。

 大量の荷物と共にわずかな責任感を背負って、ビンゴはサニと一緒に帰宅した。

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