23 惨敗
夏コミ、二日目。
東ホールの外の木陰でアルファルトに直に横になる。
ビンゴは連続の参戦で満身創痍だ。
結果、惨敗。
オタクの頂点には程遠い。
人気サークルの本はほとんど手に入れられない。作者だと思って話しかけたら人違い。東ホールのひふみとしごろを間違える。階段で足首を捻挫した。
「コミケは一人で参加してもおもしろくない……」
(俺は同人が好きだったんじゃないのか。好きなら楽しめるはずじゃないのか)
元々はコタローやユキヒと回る予定だった。
昨日、あんなことがあったから、二人とも別行動になった。
個別に連絡をしなかったから分からないが、少なくともグループチャットを見る限りでは二人とも今日は晴海に訪れているらしい。
(『レコーズメイガス』の最終巻が出るって話も聞いたのにな)
コタローからの報告で、お目当ての品は無事に刊行されると決まった。そうなれば、後はそれを手に入れて、好きな作家の好きな本をコミケで手に入れるまごうことなきオタクになれる。ビンゴの目標とするオタクの頂点に相違ない。
おもむろに起き上がり、紙袋に入れた何冊もの本をリュックに移し替える。
「今日は二日目なんだ。救急の掘り出し物があるかもしれない」
コミケは概ね二次創作が盛んだ。原作の媒体によって日程が分かれる。今回の夏コミでは、一日目はアニメが中心で、二日目はゲーム、三日目はエロだ。
ビンゴはすでに完売したシャッター前サークルの脇を通って屋内へ入る。
「なんだ? 暗いぞ……、目が慣れてないせいわっ」
誰かと肩がぶつかった。
「失礼しましたっ」
相手が頭を下げる。
ぼんやりとしか見えないが、声に聞き覚えがあった。
徐々に視界が開けて、見えてきたのは長い黒髪の少女だ。
「千影さん!」
ビンゴをそう呼んだ。マーヤだった。
(千影? あっ、俺、千影モードで会ったんだ)
荷物はなく、夏にぴったりなさわやかな装いだ。
ここが戦場だとを一瞬で忘れてしまうような華やかさに見とれるが、ふと恥ずかしくなってうつむいた。
マーヤはキョロキョロと見回す。
「あら、千影さんだけですか?」
「うん……。本当は一緒だったんだけど」
見るからにしょぼくれた肩に、マーヤが優しく手を置く。
ビンゴは顔を上げて、マーヤの清らかな相貌を見た。
(うわ、天使かよ……)
マーヤは至極真面目な顔をして、
「わたくしもです」
突拍子もないことを告げた。
「えっと? それは?」
「わたくしも友人たちがはぐれてしまって……」
困りましたわ、と頬に手を当てて心配そうにした。
「いや、迷ってるのはマーヤさんの方なのでは」
「まあ。それではお互いにはぐれているのですね」
ビンゴはマーヤを日陰で風通しの良い場所へ誘導する。
風にあたって気持ちよさそうに目を細める横顔をじっと眺めた。
マーヤが振り返って、きょとんとする。
「どうかされました?」
恥ずかしそうに笑う。
「なんだかこうして話してると、いま夏コミに参加してるって忘れそうになる」
「あら、ごめんなさい。買い物の途中でいらっしゃるんですね?」
買い物の途中といえば途中だ。
「そうだけど、踏ん切りがつかなくて」
本当にやる気があったら外で寝っ転がってなどいなかった。
マーヤはビンゴが元気のない様子に気づいて、空を眺めながらつぶやく。
「わたくしにも悩みがあります。あぁ、それとここからはひとりごとです」
マーヤはわざとらしく付け加えた。
ビンゴは黙ってひとりごとに耳を傾ける。
「一途で居続けるのは難しいことです。初めての好きと出会った時、わたくしの心は小さなカップでした。好きで満タンになると、心はティーポットになりました。また満タンになると今度はお鍋。今度は大きすぎて好きだけじゃ満たされません」
ビンゴは明るい場所だというのに目を丸くして彼女を見た。
「それは……、恋の話?」
マーヤも驚いた顔をする。ふふ、と笑った。
「ええ、わたくしはマンガに恋してるんです」
マーヤが去った後、ビンゴはあることに気がつく。
「函館以降、サニに抱いた気持ち……、まるで初恋の黒髪乙女に抱く気持ちじゃないか」
胸に手を当てて、頭の中で反芻する。
(好きに正直でいる、か)
ビンゴは踵を返し、救急の島へ堂々と歩く。
その目には決意が表れていた。
 




