21 引き合う二つの意思がいくつもの太陽系をなしていた。
西館から中央棟に行くには、外から階段を上った方が早い。
距離で言えばエスカレーターを上る方が近いが、昼過ぎの時間帯はちょうど混み合う。よって外通路が近道。紙の会場図に手書きされていた。
外に出てどうして階段を使う人が少ないのかビンゴは即座に理解した。
「溶ける……」
炎天下である。歩く先には逃げ水があった。
何やら良い香りがしてきて、本能的にその方を見る。
「ケバブか……」
通路はカラーコーンで二つに分かれ、片方は東ホール、片方はコスプレエリアだ。
ビンゴは暑さで案内を見落として、いつの間にかコスプレエリアの入口にいた。
一度入ってしまうと出口まで移動しなければならない。
コスプレイヤーとカメラ小僧の関係は太陽と地球のようである。撮ってもらう、撮らせてもらう、引き合う二つの意思がいくつもの太陽系をなしていた。
海沿いのコスプレエリアは海を背景に撮影できることから、最も混雑する撮影スポットらしく、出口までの道のりは熱い陽射しを浴びながらの行軍になる。
ビンゴの足取りは重く、コスプレを一つ一つ丁寧に見ていった。人が多く集まっているところでもどんな様子なのか逐一確かめる。
ポケットのスマートフォンが震えたが、布越しにスイッチを押して止めた。身を隠すように群衆の中へ入る。
祈りを捧げるユキヒがいた。
バズーカのような一眼レフを抱えた男が「目線お願いします!」と呼ぶと、ユキヒが男に赤い瞳を向けて、碧い髪を指で払い、胸元のジッパーをゆっくり開けていく。
しゃくり上げるようなショットが一斉に始まった。
(バイトでは休憩スペースの主なんて嘘みたいだ。エロスがはじけ飛んでる)
豊満なバストは修学旅行で見たダズル迷彩といい勝負だ。
こちらは妖艶さがあって、ビンゴの男心をくすぐってくる。
「あ……」
撮影が途切れた瞬間、ユキヒと目があってしまった。
ユキヒは指を唇に当てて、声を出さずに「あ」「と」「で」と伝え、「ね」とウインクする。
ビンゴはドキドキしながらその場を離れ、遠からず近からずの距離を保って、中途半端な位置で地蔵のように佇んでいた。
しばらくすると、白い薄手のパーカーを羽織ったユキヒがやってくる。
「どうしたんだい?」
はじめ、ビンゴはきょとんとしたが、はっとして口を隠した。
「どうってことないです」
フロントジッパーから弾ける二つのふくらみから目を離せないでいると、ユキヒは健全なそれを早々とスーツに収める。
「で、どうってことないわけないでしょう?」
ユキヒが木陰に移動する。背中に付いていき、束の間の清涼感を味わう。
(俺はどうかしてるのか……?)
細い木に寄りかかってあたりを眺め、自分の胸に手を当てる。
(そうか、『俺』か……)
ビンゴは静かにうなずいて、口を開いては閉じるのを繰り返す。
胸に手を当てたまま目を閉じた。まぶた越しに光がビンゴの視界を照らした。真っ白な視界の中で時が過ぎる。
ゆっくりとまぶたを開けて、傍らでドリンクを飲むユキヒに吐露する。
「すいません。うまく説明できないです。なんだかトーノのサークルに着いてから、モヤモヤしてるっていうか……。これでいいのかなって感じるんです」
ユキヒは聞き漏らしがないように話を聞いて、ドリンクから口を離した。
「きっとそれは君が楽しんでないからさ」
「そうですかね……。欲しい本も買えたし、コスプレするのも仕方ないと思うからいいんですけど、何事も順調に進んでる。楽しんでないのはどうしてだろう」
(これまでの楽しかったこと、年末ギャルゲーの日や修学旅行の自由時間は楽しかった。それと今日の違いが分からない)
「欲しいものは本だけなのかな?」
ユキヒはコスプレエリアを眺めながらぽつりとつぶやいた。話を続ける。
「カメコさんは写真が欲しくて撮影する、それだけじゃないと思うんだ。自分で撮影したっていう経験が良いって人やレイヤーさんとの繋がりを感じたいからって人もいる。ちょっと変態だなぁとは思うけどね」
最後にクスリと笑った。嫌悪感は微塵も感じられない。
ビンゴは自分に置き換えるように、コスプレエリアのカメコを観察する。
「はい。俺も本が欲しいだけでここまで来てないです。なんていうか……、こう言うとオタクじゃないって思われそうですけど、俺は物のためだけじゃなくて、誰かとこうして好きなことを一緒に楽しみたいだけなんじゃないかって。今思えば、なんですが」
手探りで言葉を選びながら、ぽつりぽつりと返事を紡いだ。
(今まで俺はオタクでぼっちだとふさぎ込んでいた。蔑ろにされると勝手に怯えて、サニに話しかけなかった。コタローは日陰者でも分け隔てなく交流するから、きっと友達にはなれないと勝手に線を引いていた。
でも、サニは俺のために知らないふりをしていただけだった。修学旅行はサニがいなかったら、きっと黒髪乙女とうまくいかなかったし、楽しめなかった。コタローと行った年末ギャルゲーの日は黒髪乙女と出会ったことを抜きにしても楽しかった)
ビンゴは木の影から一歩踏み出した。
ジージーというアブラゼミのしつこい鳴き声がする。
「忘れてました。俺、好きに正直でいるってあいつと約束したんです」
ビンゴは走った。後ろでユキヒが「早歩きするんだよっ?」と忠告する。出来る限り早歩きをした。
ふと、首にしたチョーカーに触れる。
(俺は馬鹿だな。たしかにサニは俺のトラウマを作った張本人だけど、今までずっと応援してくれた友達だ。ビビって事情を聞けなかったなんて)
コスプレエリアを出てから、どんどん歩く速度が早くなって、トーノのサークルスペースに着く頃にはひとっ走り終えた後みたいに息が切れていた。
「はぁっ、はぁっ……、サニ!」
行列の向こう側からトーノが顔を出して、
「あ、ビンゴくん着替えてきたんですか? あれ?」
汗をびっしょりかいたビンゴを見てキョトンとした。
ビンゴは売り子を続けるサニの手を取る。
「俺と行こう」
サニは疲弊した様子で、営業スマイルは仮面のように張り付いていた。ビンゴの突拍子もない誘いに仮面は容易く壊れる。
「行くってなに? 急にどうしたの?」
目の前の参加者には申し訳ないと思いながら、ビンゴはサニの手を引く。
サニは引かれるままにスペースを出た。
後ろでトーノが二人の名前を呼んでいた。
ビンゴは気にかけず、人混みの中に入る。
後ろでサニが「なんで? どうしたの?」と質問をぶつけた。
西館の中央にある吹き抜けに出る。
「待ってよ!」
サニがビンゴを引っ張って止めた。
「急にどうしたの? おかしいよ」
ビンゴは振り返り、サニの疑う顔を見て、ふっと笑った。
「好きに正直でいるって約束したから」
「え?」
繋いだ手を離し、ビンゴは握手をするように、改めて手を差し伸べた。
「そう約束させたのは誰だよ」
サニはその手をつかむ前に、確認するように問う。
「そんな言い方したら、女の子は勘違いしちゃうよ?」
頬を朱に染めて、おずおずと進言した。
「かっ、勘違い!? 勘違いって、えっ! いや、俺はその、友達に俺の好きなものや好きなことを話したいだけで」
せっかく勢いをつけてきたのに、だんだんうつむき加減になりながら答えた。
「……馬鹿。でも、うーん、うん。私は好きに正直だよ」
元気をなくしたビンゴの手をぎゅっと包むように握った。
「話してよ、ビンゴが転校してから好きになったもののことをさ」
(どうせニシシと笑ってるんだろうな)
顔を上げる。
そこには晴れ渡るような笑顔があった。
ビンゴの頬は一瞬のうちに赤くなる。
その時、スマートフォンが鳴った。フリーズしていたのでバイブと一緒になって震えた。
「トーノかな……。いや、コタロー?」
電話に出ると、コタローがビンゴにとって運命を変える言葉を告げる。
「『レコーズメイガス』、出るってよ!」




