20 精神は男の子って設定になってます
「任務完了!」
ビンゴは印刷した紙にチェックマークを入れると、大きく万歳した。
周囲は男たちばかりだが、ビンゴが汗をきらめかせる様子に見向きもしない。
今日は夏コミ一日目。十一時半。企業ブースだ。会場内に美少女はごまんといる。
コミケには個人で出品するサークル参加と企業が出品する企業参加の二種類がある。
二つはエリアレベルで区分けされ、今ビンゴがいるビッグサイト西館の四階が企業ブースだ。
L字型のホールに企業の一スペースが余裕を持って配置されているのにも関わらず、見渡す限りの人がドヤドヤとひしめき合う。
「俺はこの中をくぐり抜けてきたのか……」
秋葉原の年末ギャルゲーの日とは比較にならないし、渋谷のスクランブル交差点とも比較にならないほどの人の数だ。
どれもが列をなし、粛々と待ち、淡々と移動する。
列形成を促すスタッフの賜物だ。中には待機する男たちの注目を集めるために掛け声を上げる者もいた。
ビンゴは美少女が描かれた紙袋を事前に用意したポリ袋で包んで小脇に抱える。
抱き枕カバーやタペストリーの箱とひとまとめにすると、リュックへ丁寧に詰め込んで背負った。
(割と重いけど、式場のバイトと比べたら余裕!)
人混みを縫うようにくぐり抜け、エスカレーター待ちの列に並ぶ。
トーノのサークルスペースにたどり着いたのは十二時を回る頃になった。
長蛇の列があった。列の最後尾には白い札を持った人がいて、列の最後尾ではないとお知らせするほどだ。
気まずさを覚えながら列の脇を通る。
「お疲れ様です、ビンゴくん」
「わ」
急に横から話しかけてきたのは、弓道着姿のトーノだ。
大人気ソーシャルゲームのキャラクターのコスプレである。
「あれ? ビンゴくん?」
ぐっと身を寄せて、ビンゴの目と鼻の先にはトーノの美人すぎる顔があった。
「もー、返事してくださいよ! 今日はコンタクトしてないんですから」
どうやらカラコンを入れて碧い瞳にしているらしい。
「ご、ごめん。あっ、これ……」
ビンゴは完全に勢いに圧されつつ、企業ブースから運んだ荷物を見せる。
「戦利品ですね! それはこっちに!」
長机の横を通るように手招きされて、彼女の背中についていくと、
「ビンゴ、おかえり。……あっ、新刊セット一つですね」
ポニーテールにしたサニが忙しそうに売り子をしているのが見えた。
半袖の白シャツとありきたりなプリーツスカートは夏の制服姿とほとんど変わらない。一見すると分からないが、髪を一つに縛る赤い組紐がなければ何のコスプレか分からなかった。
「最高です、佐仁川さん。あ、一応、精神は男の子って設定になってます」
トーノがうっとりとサニを眺めながら耳打ちした。
打ちっぱなしのコンクリートのそばでユキヒが納得した顔で頷く。
「絶妙なチョイスだよ。コスプレ経験の少ないサニちゃんに身近な制服。なおかつ去年大ヒットしたアニメ映画のヒロイン。しかも、『入れ替わっている』設定がまた……」
延々と話を続けるユキヒの横に手荷物を置いた。
ユキヒもコスプレ姿だ。露出は少ないが、ラバー生地がぴっちり体を包んでいる。
ビンゴはキャラ名を言い当てられず、じっとユキヒを観察した。
「惚れた、ですか?」
あからさまなアニメ声で、水色のウィッグをひらめかせ、赤色の瞳をウインクさせる。
(やべえ、わかんねえ……)
ビンゴが降参すると、ユキヒは頬を朱く染めた。コスプレが通じなかった時の恥ずかしさは尋常ではないらしい。デコデコにしたスマホを取り出して画面を見せる。
「あっ、格ゲーのキャラですよね」
守備範囲外だったが、ネットで見たことがあった。
ユキヒは「で、出てくる!」と言って立ち去る。
(悪いことしたな。あとで謝ろう)
ユキヒのいないスペースでは話せるような相手はいない。トーノは知り合いが来るたびに挨拶をするし、サニはひっきりなしにやってくる参加者をさばくので手が離せないようだった。もう一人の売り子の女性や売り子二人に商品を受け渡す女性も忙しそうで話しかけられない。
疲れたせいもあって仕事風景をぼんやり眺めていたら、ジーンズのポケットに入れたスマートフォンが震えた。緩慢な仕草で取る。
「昼飯か……」
スケジュール帳アプリが昼飯の時間をお知らせしていた。
昼食の場所は西ホールと東ホールをつなぐ中央棟にあるレストランだ。携帯食料で済ませてもいいが、どのみち中央棟でコスプレの衣装に着替えなければいけない。
ダンボール箱からコスプレの衣装を手に取る。
「男キャラのコスプレって言うけど、これニセコの変身バージョンじゃん」
ビンゴが函館でなりきった『おやすみからおはようまでの99』のヒロインの一人、ニセコは男の娘の夢魔である。男の夢魔は女性から精を吸い取るインキュバスとなるが、ニセコは男性から精を吸い取るサキュバスだ。そのために男を誘惑する衣装は、全年齢のレーティングをスレッスレの露出度である。
ビンゴは自分が衣装を着た時を想像し、首に触れながら唱える。
「俺は男だ、俺は男だ、俺は男だ」
両手でつまんだそれをそっとダンボール箱に戻す。
あたりを見回したらトーノがいなかったので、ビンゴはサニに助けを求めた。
サニは営業スマイルを浮かべたまま、小声で「ごめん。もう少しで休憩だから」と心配してくれる。
「サニが休憩になったら、俺が売り子になるんだよな……」
売り子をする時にはコスプレをする約束だからだ。
ビンゴは渋々衣装を持ってスペースを出る。




