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18 呪い、呪われ、穴二つ

 遊び終わった後の一眠りは、起きがけに畳のい草の香りがして良い目覚めだった。

 目の前にコタローの顔があること以外は。

「あ、起きた?」

「『あ、起きた?』じゃない。近いんだよ!」

 コタローを押しのけながら、布団から転がり出る。

 マーヤたちと別れた後、旅館で夕食を食べたビンゴは部屋に戻って休んでいた。

「そういえば、なんで俺だけ部屋に戻ったんだっけ?」

 休むために戻ったわけではなかったはずだ。寝ぼけていて思い出せない。

「そうだ! ビンゴもお風呂に入りなよ!」

 コタローが提案する。コタローの髪に付いた水滴が光った。

「七時半までだからね、それより遅くなったらダメだよ」

 壁の時計を見ると、七時を十分近く過ぎていた。

「めっちゃ時間ないじゃん」

「はいこれお風呂セット」

 コタローはビンゴのタオルや歯ブラシを渡す。

「お、おう」

 眠気まなこをこすりながら、コタローに急かされるように地下の大浴場に向かう。

「あれ? なんでコタローがついてくるんだ……?」

「あ、えーっと、そう! 喉が渇いたから!」

 インテリアとして壁を流れる水に手を突っ込んで、ごくごくと飲み始めた。

「なに飲んでるの?」

「み、水」

 浴衣の胸元をビショビショにしながら、コタローが返事した。

「……怪しい」

 大浴場の入口に到着する。入口にはのれんが一つだけかかっていた。コタローが先にくぐって、ものの数秒で出てくる。

「何やってんの?」

「そ、そうだなぁ……、また喉が渇いたんだ!」

「えっ、なに飲んできたの?」

 ぎょっとしてコタローを観察すると、今度は浴衣の足元が濡れていた。

「あ! 用事を思い出したのでオレは部屋に戻るぜ! いいか? 七時半までだぞ!」

 そう言い残して足早に去っていった。

「怪しいけど、あいつはいつも怪しいからな……」

 まず年齢からして怪しかった。

 気を取り直してのれんをくぐる。温泉のにおいがした。周囲に警戒しつつ、適当な竹籠を選んで、さっさと服を脱いでタオルで体を隠す。

「まさか俺を覗きしてる奴がいるとか……。いや、ないか」

 ビンゴは堂々と大浴場へ入る。

「広い!」

 だだっ広い浴場には誰一人としていなかった。

 頭と体を洗って、湯船に浸かる。血液が循環して、ぼーっとした頭が蘇った。

「あっ、これ、俺だけ入れるようにしてくれたのか」

 心のなかでコタローに詫びる。

(と言っても一人か……。どうしよう)

 膝をつかないよう器用に平泳ぎをして、窓際まで泳ぎきった。

 窓の向こうに薄ら灯りが見える。窓を手でこすった。外に露天風呂があった。

「寒い!」

 北海道は五月でも夜の気温が十度を下回る。

 急いで湯船に浸かった。石風呂の釜のおおよそ真ん中くらいに大きな岩がある。岩を背もたれにして厚い雲で覆われた夜空を眺めた。

 屋内浴場の方でキャーキャーと声がする。

 何だと思って振り向くと、わらわらと肌色のシルエットが見えた。

「しゃにかわしゃんの裸体!」

「だれか先生呼んで! トーノが鼻血で倒れました!」

 ビンゴは全力で岩の影に身を潜める。

(女子!? なんで? あっ、七時半までってそういうことかよ!)

 地下と言えども、石風呂の壁を上れば外に出られる。ただし、全裸が条件だ。あるいは、屋内浴場を突っ切るか。服を取る時間はないだろう。

(むしろ、女子風呂を覗いた罪で死刑! ならば外で全裸を晒した方がマシか!?)

 決断したビンゴは石が埋め込まれた壁に手をかける。と、同時に露天風呂に誰かが入ってきた。

「ひぃー、寒すぎっし!」

「でかい」

「だから言うなし! 関係ないし!」

 花髑髏とダズル迷彩の二人だ。

 一方、ビンゴは壁に張り付いたままの状態である。

 二人は二人で盛り上がっている様子だ。明るい屋内浴場から来た二人は暗い露天風呂に目が慣れていないのだろう。

 ビンゴはちょうど大きな岩を背にして壁をよじ上った状態だ。運良く条件が重なって見つかっていない。

(今のうちに、こっそり上れば……)

「二人とも露天風呂にいたの? こっちはトーノが大変だったんだよ!」

(サニ!?)

「あっ」

 手が滑った。

 背中から着水する。頭ごと沈んだ。ゆっくりと浮上して、はっはっと息を吸った。

「佐仁川、なんかした?」

「いや、私は何も」

「じゃあ誰かいるんじゃねぇの?」

 ビンゴは固唾を呑んで、三人の協議に聞き耳を立てた。

(やばい、じきに探し始めるぞ! そして死刑!)

 花髑髏が「佐仁川」と言うと、ダズル迷彩も「さにかわー」と復唱する。

「仕方ないなぁ」

 水面が揺れる。ざぶざぶ、揺れる水面を見て、ビンゴは大きく息を吸った。

「誰かいるんですかー?」

 サニが大きな岩に向かって問いかける。

 何かが沈んだ、とぷん、という音が返事代わりに鳴った。

 サニはおそるおそる岩の影を覗く。

「あれ、誰もいな……!?」

 ビンゴが勢い良く水の中から飛び出し、サニを後ろから取り押さえ、

「あっ」

 ようとして、思い切り足を滑らせ、サニを押し倒した。あまりの勢いに倒れ込んだ衝撃で花髑髏とダズル迷彩まで水しぶきが飛ぶ。

 水の中から非常に迷惑そうな目をしたサニがゆっくりと頭を出した。

 ビンゴは作り笑いを浮かべる。

(さよなら、高校生活……)

「あ、千影」

「千影ちゃんじゃーん!」

 花髑髏とダズル迷彩がフレンドリーに話しかける。

「へ?」

 ビンゴは自分の顔に手を当てる。

(そ、そうか! 今の俺は千影モードだった)

 二人は湯船に浸かって、昼間と同じテンションで話を続けた。メイクを落とした花髑髏はパッと見は中学生だし、ダズル迷彩は思った以上に巨乳だった。

「いたっ」

 サニがビンゴの手を思い切り握りしめる。

「そーいや佐仁川。千影の兄ちゃんとどんな関係なんだよ?」

 ダズル迷彩の声だ。

「え? なんで」

「前に一緒に登校してるの見たし。前髪もっさーは千影ちゃんじゃないっしょ」

 胸を張ると、大きな胸が強調される。

「家が隣なんだよね。あ、想像してるようなのとかないから」

 ふーん、と特に興味のないような顔を返される。

 すぐ隣の花髑髏がダズル迷彩の頭を軽くたたいた。

「悪いな、千影。佐仁川にはさ、誰も手を出さないって私ら決めてんだ」

「手を出さない?」

「んー、なんつーかな、私らもトーノと同じって言ったら分かる?」

 鼻の頭をかきながら花髑髏が言った。

「なるほど……」

 ビンゴがサニを見やると、困ったように微笑まれた。

「佐仁川、そろそろ私は上がるかな」

 花髑髏の声だ。

「私はもう少し入っていくよ」

 花髑髏と一緒にダズル迷彩が上がると、水面が軽く波打った。花髑髏が「でかい」とつぶやいて、ダズル迷彩が「だから言うなし!」と怒ったのを最後に他の人の気配がしなくなった。

 ビンゴは静かになったとは感じられない。自分の胸に手を当てなくても分かるほど、胸がドキドキと高鳴っていたからだ。居てもたってもいられず体を伸ばして緊張をほぐした。

「はぁ、はぁ……、気を失うかと思った……」

 無意識的にサニを見やると、サニは顔を隠すようにうつむいた。大きな岩の影になって顔がよく見えない。次第に雲が晴れて、月の光で少女の表情が垣間見えると同時に、体のシルエットが明らかになる。ビンゴはあわてて視線をそらした。

「ごめん」

 サニらしくない。突然の謝罪だ。

(女子たちと風呂の時間が鉢合わせになったことかな?)

「いや、なんで謝るの? 何もされてないぞ?」

「ううん。ずっと謝ろうと思ってたんだ」

 ビンゴは首元に手を当てる。

「あれ、チョーカーがない」

 サニが手を差し出す。手のひらの上にチョーカーがあった。

「小学生の時のこと、今更だけど本当にごめん」

 サニにしてみれば、ビンゴがチョーカーをしているのは自明の理だ。

 チョーカーを受け取って首に巻く。

 小学生の時、二人の仲が良いあまり、恋人だとからかわれたことで起きた。

「呪いなんてかけなきゃ良かったって、すごく後悔してる」

(呪いのこと、覚えてたのか……)

 水面に映った月が揺らいで歪む。

「なら、今まで優しくしてくれたのは罪滅ぼしのためだったのか?」

 ビンゴは祈るように目をつむった。

「そうだよ。ビンゴをひとりぼっちにしたのは私だもん」

 祈りは通じなかった。心のどこかで、善意から優しかったら、と考えていた。考えれば考えるほど、裏があるんじゃないかと疑った。サニはさっぱりした性格だから、きっと呪いも忘れてると思っていた。

(そうしたら……、なんなんだよ)

 見上げた夜空にはぽっかり穴が空いたように満月があった。

 サニが続ける。

「入学式の時にクラス表を見た時はびっくりした。ビンゴが転校してからずっと、呪ったことを後悔してたんだ」

「ずっと?」

 小学四年生で転校して、高校生になるまで六年間だ。

「正しくは中学一年生の時から。私が中学生の時、告白ブームだったんだ。きっとみんな異性のことを意識し始めたんだろうね。その後、私も告白されたよ。何度もね。相手はみんな女の子だった。それで思ったんだ」

 岩の影から出てきて、ビンゴと同じように空を仰ぐ。

「呪い、呪われ、穴二つ。男になれない呪いをかけた私は、男に好かれない呪いにかかったんだ、ってね」

 サニの横顔を見る。さびしそうな面持ちに嘘などないと悟った。

「じゃあ、保健室で持ちかけてきた相談って」

「うん。呪いを解けるか分からないけど、ビンゴを男にしようと思ったの。でも、先にビンゴの相談を聞いて、好きな子がいるって知って、それが成就すれば呪いが解けると考えた」

 サニは自分の呪いをなくすために、ビンゴの呪いをなくそうとしていたのだ。嫌いな相手にしかできないような相談をするためではなかった。

 恥じ入るように鼻から下を湯船に沈める。

(最低だ、俺。利害が一致していただけなんだ。サニは昔と変わらず、対等に接してくれた。俺が疑ってるってバレた後も。トーノが怒っていたから、サニは落ち込んだり、それこそ今みたいに泣きそうな顔をしてたのかも。あれ? だったら)

 一つ疑問が生まれる。

「どうして入学式で言ってくれたなかったの?」

 サニが振り向く。

「だって、私のことまるで覚えてない素振りをしてたよね?」

「いや、また無視されるんじゃないかと思って」

「……」

 今度こそ泣きそうだった。

「ご、ごめんって。ほらこれ、てるてる坊主!」

 本当はマナー違反だけど、水面にタオルを浮かべて、手でくるりと空気袋を作った。昔、サニとお風呂に入った時にこれを作ってやったら、

 ぶしゅ

 決まって今みたいにサニがてるてる坊主の頭を握りつぶすのだ。

「サニも俺も昔と何も変わってないよ」

 サニはタオルで顔を隠しながら咳払いした。

「入学式で言わなかったのは、私のことを忘れてると思ったから。忘れてるなら無理に思い出させる必要もないと思ったんだけど……。寝不足で倒れる前に私のこと、『サニ』って呼んだよね。だから、保健室に確かめに行って、確信した」

 ビンゴは意識が朦朧としていたので、その時の記憶はぼんやりとしか覚えてなかった。まさか、初恋が原因の寝不足で幼馴染と再会するとは誰が考えるだろうか。

 呪いを解くためにサニがしたのはトーノを紹介し、好きに正直になれと背中を押して、今日の昼間はマーヤとの時間を作ってくれた。

(じゃあ、それ以外は?)

 バイト先に弁当を渡してくれた。春休みの宿題を手伝ってくれた。トーノとの仲を取り持ってくれた。千影をきっかけに次第にクラスメイトと話す機会を作ってくれた。たぶん他にもいろいろ。

 ビンゴは愛おしそうにサニを眺めた。次の瞬間ハッとして顔を思い切り湯につける。大声で叫んだ。声が水を伝わって鈍く腹に響く。

(俺が好きなのはマーヤさん、理想の彼女。清楚で上品で黒髪ロングでオタクでちょっぴり子供っぽくて最高に可愛い。サニを異性と思ったことなかったはずなのに……。いや、待てよ?)

 顔を上げると、驚いた顔をしたサニがいた。

「なにしてるの?」

「幼馴染属性としては普通だ!」

 サニは「属性?」と首を傾げている。

(俺が幼馴染を異性だと思ってないように、サニだって俺を異性だと思ってない。すべては属性なんだ)

「俺がオタクなのは、オタク属性だからだ。ぼっちなのは、ぼっち属性だからだ」

「急にどうしたの?」

 サニが引いていたが、お構いなしに続ける。

「だから、呪いなんてない」

 勢い任せに言い切った。

(つまりは美少女属性を認めるってことだけど、サニが苦しむよりマシだ)

 サニがビンゴを見ている。期待の眼差しだ。

 勢い良く立ち上がって満月に向かって宣言する。

「俺は男だ! ……だ、だからもう、そんな顔するのはやめるのだ!」

 冷たい空気で自分が全裸だとに気がついて、途中から勢いを削がれた上に語尾がおかしくなった。

 サニはみるみるうちに顔を紅潮させて、

「馬鹿ぁ!」

 と叫んで、湯船に頭まで浸かった。

 あわててビンゴも湯船に体を沈める。

 サニが浮上してきても、二人はお互いに顔を見合わせず、風呂の時間の終わりを先生が知らせに来るまで無言だった。

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