16 だから、運命的な再会があるんです
函館は五月と言えど肌寒く、バスから降りるなりビンゴは両手で肩をさすった。
ビンゴの様子に気が付いた男子たちがぞろぞろと上着を脱ぎだす。
今日のビンゴは髪を上げた千影モードだ。
バスターミナルから函館駅を見ると、憂鬱そうな顔がパッと明るくなる。大きく手を広げて青々とした空を仰いで、ゆっくり深呼吸をした。
「聖地に来た!」
周りの男子が「聖地?」「よくわからないけどかわいい」と困惑する。
荷物運びの手伝いを終えたコタローがビンゴの隣で腕を組んで立った。表情一つ崩さず、ガラス張りの函館駅をじっと眺め、ぼそっと言葉を漏らす。
「運命的な出会いには」
セリフめいた言葉にビンゴが続けて、
「運命的な別れが待ってる、だから」
と繋げると、二人は声を合わせて「運命的な再会があるんです」と言い切った。
そう、函館はギャルゲー『おやすみからおはようまでの99』の舞台なのだ。
ビンゴははやる気持ちを押さえきれず、リュックを下ろしてカメラを探す。潮の匂いが混ざった風が吹いて、ビンゴはかわいらしいくしゃみをした。
震える肩にコタローが学ランを掛けた。男子たちの口から不満が漏れたが、お構いなしにコタローはビンゴに耳打ちする。
「ところで、今日はどうして千影モードなの?」
「シッ! そういう言い方するとバレるだろうが。ん、いや……」
ビンゴが後ずさりして、
「わたしの秘密、内緒だよ?」
人差し指を唇に当てて、上目遣いでウインクした。
コタローは目を丸くして口をパクパクさせた。
「おっ、気づいたか。今日の俺……、わたしは救急の男の娘ヒロイン、ニセコだ」
肩に掛けたままの学ランをコタローに返す。
そうするとビンゴの装いはパッと見、女子と見分けが付かない。
細身の白シャツとジーンズが体のラインを出している。
チョーカーもジェンダーレスな雰囲気を強めた。
コタローはスマホで救急のニセコのイラストと見比べる。
「さ、再現度……! ぬぁにっ、は、背景も函館駅じゃないかぁ!」
「フッ、オタクを極めるならこれくらいは朝飯前よ」
コタローはビンゴに合掌を捧げる。
全員の下車が完了したらしく、実行委員のトーノが自由行動開始の合図をした。
クラスメイトたちは事前に決めたグループで固まると、各々の目的地へ向かう。
全員が駅前を去ったのを見届けて、トーノがサニに駆け寄る。
周りを囲むように今日も花柄髑髏のロックな女子とダズル迷彩の女子がいた。普段のビンゴなら入り込む余地などない。
サニがおいでおいでのジェスチャーでビンゴを導き、
「まさか本当に千影ちゃんで来るとはねぇ」
いじわるそうにビンゴをねぶり見る。
花髑髏が「でってなんだよ」と突っ込みを入れた。
ビンゴがあわてて取り繕うとする前にサニが「言い間違いだよ」と軽く返す。
千影の正体がビンゴであると知らない花髑髏とダズル迷彩は笑った。
トーノは終始ほほえみ顔をしている。背丈があるからか、威圧感があった。
ビンゴは圧に怯えながら、
(サニを追いかけなかった後、サニは何事もなかったように振る舞っている。でも、トーノを見れば察しはつく)
トーノの威圧感に気づいた花髑髏は「そろそろ行く?」と提案する。
目的地に向けて歩き出そうとした時、ビンゴたちは呼び止められた。
ビンゴは呼び止めた人間を見て激しく動揺する。
「く、黒髪乙女……!」
秋葉原で出会った時と同じように「あら」と驚いて、片手を頬に当てる。
白い肌、長い黒髪、青リボン。セーラー服と青カーディガン。秋葉原の時との違いは髪の一部を編み込んで、胸元に垂らしている程度だ。
間違いない、とビンゴが首を縦に振る。
一方、コタローはしばらく考え、「モーセ系女子だ」と掌を拳でポンと叩く。
サニは男子たちの反応を一瞥したのち、黒髪乙女を注意深く観察した。
トーノはニコニコした顔で遠巻きに眺める。
もう片方の手に持った「旅のしおり」の地図を指差しながら、
「この場所に十五時に集合なんですが、道をお教えいただけませんか?」
おずおずとしながらも礼儀正しく尋ねた。
「あっ、えっと、えっ? ここが今いる駅で、あれ?」
ビンゴがしどろもどろになりながら地図を確かめ、ふたたび乙女に顔を向けた。
「こ、これ、地図ですよね……?」
「まぁっ」
口を手で隠して驚きを露わにした。
「わ、わたくしとしたことが……。しっ、失礼しましたっ」
勢い良く頭を下げ、バスターミナルの方へ踵を返す。
「あっ、あの!」
ビンゴは反射的に呼び止める。手をぎゅっと握って、振り返った乙女をしかと見た。
「そっちは目的地と反対方向です!」
乙女は真っ赤になった顔をうつむけて、ビンゴたちの方へ戻ってくる。
(ど、どうしよう。アキバ以来の再会なんだぞ。何でもいい……。何か、何か……)
「あっ、運命的な出会いには、運命的な別れが待ってる……、だから」
とっさに口走ったのは救急のキャッチコピーだ。
乙女がその場に立ち止まり、呼吸を忘れて佇むビンゴをしかと見た。
「運命的な再会があるんです……?」
二人は顔を見合わせて、お互いが同類だと気がついて、嬉しいような恥ずかしいような曖昧なはにかみを見せた。
横にいたコタローはモーセの奇跡の再来だと合掌する。
サニは警戒するように口を一文字に結んでいたが、黒髪乙女とビンゴが途端に通じ合った割に、もじもじするだけでまったく会話を始めない様子を見て、こわばった顔をほころばせる。
サニの態度が変わったタイミングでトーノが乙女の前に出た。
「迷ってるなら、ボクたちも一緒に行きますよ?」
それを受けてビンゴをちらりと見た後、嬉しそうに笑って頭を下げた。
修学旅行の自由時間班は黒髪乙女を七人目に迎え入れた。乙女は名前をマーヤと言った。マーヤはビンゴのスマホを借りて、はぐれた修学旅行の旧友と連絡を取り、十五時に旧函館区公会堂で落ち合うと話した。
サニやトーノが自己紹介した後、ビンゴはしばしの逡巡の後、自分を千影だと名乗った。
マーヤは「まあ」と驚いた顔をした後、ビンゴの手を取り微笑むと、何かに納得したみたいに頷く。
七人は十四時に到着した路面電車に乗り込む。
ビンゴが隣にいたコタローに話しかけようとすると、トーノが割り込んで立ち位置を入れ替わった。ビンゴは仕方なく逆を向く。
マーヤがキラキラした目で外を見ていた。
視線の先を追うと、赤レンガ倉庫のようだ。
嬉嬉としてビンゴのシャツを引っ張り、窓の向こうを指差した。
「ご存知かしら? デートイベントの定番エリアですわ!」
「デっ……!?」
心臓の高鳴りとともに飛び上がりそうになった。
マーヤは両手で作ったフレームに風景を収める。
「あっ、救急のデートスポット」
「はいっ」
ビンゴは首にかけたカメラを片手に、マーヤの横顔から目をそらせなかった。
四駅目で下車すると、マーヤは引き寄せられるように坂の下へ行き、そのまま港へ歩いていく。ビンゴとコタローは「恋宵シナリオの港がこんな感じだったな」と話しながら、自由奔放なマーヤを連れ戻すために走った。
「ご覧ください! ああっ、実際にはゴライアスクレーンさんはいらっしゃらないのですね」
指をさす方向には造船所があった。タワークレーンが乱立するように佇んでいる。ゴライアスクレーンはもちろん人ではなく、ゲートのような形をしたクレーンの一種で、昔は造船所のシンボルだったらしい。
コタローがマーヤの言葉に「ゴライアスクレーンにさん付け!」と突っ込む。
ビンゴはハッとして二人を見た。
「原作で見た通りのやり取りだ……」
二人は救急のゲーム内で交わされる会話文をそのままに話したのだ。
マーヤは続きのセリフを言うが、コタローは追随できなかった。続いてビンゴの方を見たが、ビンゴも同様についていけなくてシャツの裾をぎゅっと強く握るばかりだ。
トーノたちが「協調性ゼロですか」と注意しに来るまで、三人して港を眺めた。
浜風が吹いてマーヤの長い黒髪がなびき、編み込んだ一部の髪が揺れる。
ビンゴは急いでスマホを取り出して、救急のページを開いた。編み込んだ髪は救急のヒロインの恋宵と同じ髪型だった。
スマホを片手に立ち尽くし、函館湾を遠い目をして眺める。
(オタクの頂点を目指すなんて言ったけれど、俺は井の中の蛙だ)
ビンゴが視線を感じて振り向くと、サニがどこかへ指を差した。
なんだろうと思ってその方を見る。
マーヤがポロポロと涙を流した。
隣でコタローが慌てる。
「なっ、いったい何を。おいコタロー!」
ビンゴはあわててマーヤに駆け寄る。コタローは全力で首を横に振った。
マーヤが怒鳴るビンゴを制止して、「ただの思い出し泣きです」と理由を述べる。
サニはグッと手を握って、ビンゴとマーヤを見守った。
「よし、そのまま行け!」
近くにいた花髑髏が「佐仁川、何の話だ」と突っ込む。
ビンゴが差し出したハンカチで涙を拭った。
「ごめんなさい。思い出したくらいで泣くなんて、はしたないですわ」
申し訳なさそうに言いながら、最後は照れ隠しに笑う。
答えに困窮していると、マーヤはまた何かに気がつく。
「あっ、ハンカチ汚しちゃいましたね……」
ビンゴの水色のハンカチを手に取り、申し訳なさそうに目を伏せた。
トーノはサニの思惑を察し、サニの隣で二人の会話を盗み聞く。
事情を知らない花髑髏は海から吹く風で髪が大変なことになっているダズル迷彩に呼ばれて、だから今朝言ったろ、と面倒くさそうにその場を離れた。
ビンゴはハンカチとマーヤを見比べて、ハッとする。
トーノが「連絡先の交換ですかね?」と言うと、サニが「シッ」とトーノを静めた。
言葉を選ぶように、ビンゴが口を開く。
「感動して流した涙はハンカチを汚せない」
サニたち二人はかすかに聞こえた言葉に「は?」と首を傾げた。
コタローとマーヤの二人は、うんうんと首を縦に振る。
「すばらしいですっ」
マーヤはビンゴの手を包むように持って、ハンカチを手渡した。
続いて熱い視線。
(近くで見ると本当に綺麗……。絵画から出てきたようだ)
ビンゴはハンカチをポケットに仕舞い、満足げにサニのところへ戻ってくる。
「サニ? 銅像に隠れて何やってるの?」
「『何やってるの?』はこっちのセリフ! はぁ……、これだからオタクは……」
サニは伸びた自分の影に視線を落としながら、やれやれと頭を抱える。
トーノに急かされたグループは目的地を目指して坂を上り始めた。




