15 後悔してからじゃ遅いんだ
あの絶叫事件はしばらく式場スタッフの間で語られた。
バイトを始めて三ヶ月が経ち、ビンゴは高校二年生になる。
三ヶ月も経つとミスが減ってきて、ゲストの接待に付きそう仕事も担当するようになった。
「僕らの趣味で式を挙げようって言ったのは君の方じゃないか!」
若い男の声が響く。傍らにいた同い年ほどの女性が何か言い返す。
結婚式の準備に話し合いに来たカップルだ。
結婚を決めてからもこうしてモメるカップルを三ヶ月で何度か見ていたし、こういう手合には口を挟まないのが穏便に済むのだと経験則が言う。二人の揉め事はどうしても気になってしまうのがビンゴという少年だった。
「そもそもあなたの好きなロボットは、私の好きな戦国時代とは相性が悪いのよ」
二人はオタ活で知り合って、オタク趣味を全開にした式を挙げようとしていた。
二人の趣味を両方取り入れた式にする、と言う予定だったが、どうにもうまくいかない。二人の注文を両方とも受け付けたらBGMや料理がチグハグになってしまうのだ。
(違うジャンルの趣味が一堂に会する……、これってまるで)
「あっ」
上司を含めて三人がビンゴを見つめる。
ビンゴは何かを言おうとしたが、言葉が喉に支えてしまった。
上司が二人の話し合う時間を用意して、バックヤードで上司から気を抜くなと怒られる。ビンゴは休憩スペースへと逃げ込んだ。
「あれ、いつもサボりのユキヒ先輩がいない」
アンティーク調の椅子が彼女の定位置だ。なぜか今は椅子ごとない。
ビンゴはいつも自分が座る椅子の背を残念そうになぞる。出入口を見るとユキヒがいた。
椅子ごと移動して、四月のやわらかな日差しを浴びている。
川沿いにある式場には一本の大きな桜が咲いていた。花見をするにはとっておきの場所だ。
ユキヒの顔を覗き込むとシガレットをくわえたまま眠りこけていた。
無論、咎める人はいない。
もしや休憩スペースの主なのだろうか。
「やっほ」
おっ、とびっくりする。ユキヒの隣で少女が片手を上げた。
「なんだサニか」
「む。お弁当あげないからね」
サニは抱えた弁当箱をサッと背中に隠す。
ビンゴはサニのおちゃめさをスルーして壁に寄りかかった。
「なに? 思い詰めたような顔して」
サニが包みを開けながらビンゴの隣に移動する。
「いや、オタク同士の結婚って大変そうだと思って」
「ふーん。よく分からないけど、これサンドイッチね」
包みの中は竹籠入りのサンドイッチが入っていた。一口サイズのそれは軽くトーストされ、カットラス型の楊枝が刺さっている。楊枝を取り、口に運んで咀嚼した。
「おいしい……」
ポロッと本音が漏れた。
しまった、と思ってサニを見る。
サニが照れたようにそっぽを向いた。
ビンゴの視線に気付いて、どんどん食べろ、と竹籠を頬にぐりぐりと押し付ける。
まあまあと押し返しつつ次のサンドイッチを食べた。
「……ん?」
「どうしたの?」
おいしくない、とは言いづらい。
「いや、なんか口がパサパサするんだよな」
先ほど食べた一切れと具は何も違わない。
レタス、オニオン、ピーマン、トマト。とは言え、トーストが合わさると確かに喉が渇く。試しに別の一切れを口に放り込む。
「これは、うん」
おいしかった。なんだか爽やかな味がして、乾きを感じない。
「あっ、もしかしてお酢を入れてないのがあるのかも」
言われてみるとたしかにお酢が足りなかった。野菜とトーストの仲を取り持つようにバルサミコ酢が良いアクセントになって、サンドイッチのうま味を引き出している。
ビンゴは何かに気が付いて、あごに手を当てて考え始める。
(ロボットと戦国時代を合わせるんじゃない。それぞれを確立しながら、別の何かで溝を埋める。考えられるのはやっぱり……)
「コミケか!」
手を打つ。隣で驚いた顔をするサニを置いて、ビンゴは上司のいるバックヤードへ走った。
パソコンの画面とにらめっこする上司にコミケについて話すが、そもそもコミケを知らないらしくうまく話が通じない。
上司にしてみればわけの分からないことを言う高校生バイトだ。安々とゲストの前に出さないだろう。直接話すことができれば違うのに、とビンゴが唇を噛んでいると、新郎が声を掛けてきた。
「あの! その人の言ってるアイディア、すごく良いと思うんですよ」
バックヤードは通用口を通らなければならない。
普通なら迷い込みようのないこの場所になぜ新郎がいるのか。
通用口でライトブラウンの髪が揺れた。
ビンゴに向けて振り返りざまに親指をグッとする。
(ユキヒ先輩!)
上司もユキヒに気付いたらしく、「乖々崎!」と怒鳴った。
一歩遅く、怒鳴り声は誰もいない通用口に反響するだけだ。
上司は溜息をつきながら椅子に腰掛けそうになり、目の前の新郎がいることに気がついて、慌てつつも失礼のないように新郎を通用口からロビーの方へ案内した。
こうしてビンゴはロボットと戦国時代が両立する大規模なイベントであるコミケを模した結婚式を提案した。その提案は趣味がきっかけで恋が芽生えた二人の胸を打ち、快く受け入れられたのだった。
夕方になり、就業時間が終わった。
スーツから普段着に着替え、前髪も下ろして控室を出ると、同じく着替え終わったユキヒがビンゴに声をかける。
「いい嫁を持ったねぇ。明日学校で会ったら私からもお礼伝えておいてくれるかい?」
ユキヒはワンポイントに和柄の入ったジャケットを羽織り、それ以外はラフな格好をしていた。
「わかりました。あと、嫁じゃないです。たぶんあいつ俺のこと嫌いなんで」
前にナンパをして怒られた時だ。好きじゃないと否定されている。結局、怒った理由は分からずじまいだった。
スタッフは裏口から出るのが決まりだ。ユキヒと一緒に通用口から休憩スペースへ抜ける。
(ユキヒ先輩はすごく良い人だし、俺のこと笑ったりしないよな……)
「あの、ちょっと話をしてもいいですか?」
ビンゴは積み重なったダンボールに手をついて立ち止まった。
真剣な眼差しを知ってか知らずか、アンティークの椅子の背もたれを指先でなぞりながらユキヒがつぶやくように返す。
「あんまり長くならないのなら」
ユキヒが話の長さを気にしたのは初めてだった。
ビンゴは視線を落とし、ふたたび顔を上げる。
「バイトの度に弁当や差し入れを持ってきてくれるのって、どういう意味かわかりますか?」
ふっとユキヒが、鈍感だなぁ、笑う。
「好きなんでしょ、キミのこと」
(たぶん、それだけはありえない)
首のチョーカーに指の腹を当てると、体温でぬるくなったレザーの温度が伝わってきた。次に、少し伸びた髪に触れる。クリスマス・イヴに髪を切ったきりだ。
「前に相談したいって持ちかけられたんですよ」
保健室で数年ぶりに再会した時のことだ。髪を切ったのも脱オタしようとしているのも、サニから相談を持ちかけられたので、相談を聞く代わりにこちらの相談を聞いてもらったからだ。未だに相談の内容は聞いていなかった。
「でも、おかしいんです。それより前に、俺は」
(サニから呪いをかけられた、とは言えないよな……)
「ひどく傷つけられた。それくらい嫌われてるってことです」
チョーカーに手をやる。
ユキヒが納得したように頷いた。
促されるように話を続ける。
「俺はこう考えました。サニは嫌いな相手にしかできないような、とてつもなくひどい相談をしようとしてるんだと。後からなかったことにされないように、こうして弁当を持ってきたりしてるんですよ」
ビンゴは目をつむってうんうんと頷く。
脳裏には昼になると弁当を渡してくれたサニ、春休みの宿題を手伝ってくれたサニの姿が浮かんだ。新年度になってからはトーノとの仲を取り持とうとしていたし、千影をきっかけに次第にクラスメイトと話す機会を作ってくれた。
「そうかなぁ」
ユキヒはあまり納得していない様子だった。
ビンゴは目を閉じたまま、今までされた仕打ちの数々を思い出す。
目を見開いて、
「サニは裏がある。俺が何度いやがらせを受けたか! 結果的に良くても……、あれ?」
高らかに持論を展開しかけたところで、出入口にいた人影に気が付いた。
アシンメトリーのショートカットが一瞬だけ見えたかと思うと、逆光の中に消える。
「サ、サニ!」
ビンゴはあわてた声色で名前を呼ぶ。
返事はなく、足音だけがする。
(今のは絶対にサニだ。サニがどうしてここに? もう帰ったんじゃないのか? どうして逃げるように出ていったんだ?)
出口をじっと見つめるビンゴの肩をユキヒが叩いた。
「追わないのかい?」
いつになく心配そうだ。
一方、ビンゴは確信を得たように頷く。
「今ので決まりました。やましいところがあるから逃げたんです」
ユキヒが首を横に振って、ビンゴの手を引いた。
「こういう時、追わなきゃダメなんだ。あとできっと後悔するから」
真剣な言葉に驚いたビンゴはそのまま出入口の近くまで連れて行かれる。
出入口をくぐるすんでのところで腕を振り払った。
ユキヒだけが外に出る。
「ユキヒ先輩らしくないですよ。それに俺は後悔なんてしません」
(そもそも三次元女は嫌いだ。だから後悔なんてしない)
強い物言いをしたら、ユキヒは軽く溜息をついた。
「私らしさなんてキミに分かるの? ううん、誰にも分からないよ。サニちゃんらしさだってそう。ちゃんと話をして。後悔してからじゃ遅いんだ」
ビンゴは頑なだ。ユキヒもまた頑なだったが、やがて諦めたようにその場を去った。
太陽が沈んだ。風が止んで、凪の時。
手のひらは汗で冷たくなっていた。




