11 勝負しようよ
朝だった。
いつもと違うアラームの音が鳴って目が覚める。
スマートフォンには「あなたの誕生日」と表示されていた。
掛ふとんをめくると一月の容赦ない冷気で完全に覚醒する。
朝の支度を終えてリビングに入った。
テーブルの上に置かれた千円札をポケットに突っ込む。
玄関を出て空を仰ぐと白い息が漏れた。
去年、仙台の祖母の家で暮らしていた頃は朝からお祝いムードだった。
(まあ、もう十六になったんだしな……)
いまいちテンションが上がらないのはそれだけではない。
大晦日の冬コミ三日目を境に、うつ主はコミケに参加しないと表明した。
つまり、二度と『レコーズメイガス』は即売会で手に入らない。
オタクの頂点にはもうなれないという意味だ。
ふと、門の前に人影を見つける。
同時に相手もビンゴに視線を向けた。
「よっ」
片手を挙げてフランクに挨拶する。
サニだった。門を開ける。
「おはよう……、え? なんでサニがいるの?」
「む。なんでだと思う?」
少し機嫌を損ねた。理由は不明である。
「あっ、新年あけましておめでとうございます?」
素早く頭を下げた。目にかかる前髪がふわ、と浮く。
「違うし」
否定しながら笑う。
(まさか誕生日をお祝いに……、なんて都合のいいことないか)
「歩きながら話そ」
先を行くサニにおいでおいでされて、ビンゴは玄関の鍵をしめ、気乗りしない感じでついていく。
通学路は車一台が通れる程度の道幅の路地を大通りに出るまでひたすら歩くだけだ。
ほとんどの生徒は駅から繋がる大通りを利用するため、路地にはビンゴとサニの他に生徒はいなかった。
「で、どうだったの?」
(なるほど。あの宣言のことを聞きに来ただけかぁ)
何とも言えなかった。
年明けから何も考えないようにしていたので、まさかいきなりサニから結果を聞き出されるとは思ってもみなかった。
答えに窮していると、サニが背中に正拳突きを繰り出した。
「うまくいかない時ってあるよね!」
「痛い痛い。言葉と行動が一致してないよ!」
サニなりの励ましなのかもしれない。いや、単に殴りたかっただけかも。
殴るのに飽きたのか、サニはビンゴの隣を歩き始める。ビンゴが短い溜息を吐いてうつむくと、その顔を覗き込んできた。
「男になるの、やめちゃうの?」
距離が近くて、ビンゴは自然と姿勢を正す。追及するような視線が痛い。逃れるように目を泳がせる。
住宅街が途切れ、ちょっとした車通りに出た。ちょうど信号が赤になる。
「や、やめたくはない、けど。でも、『レコーズメイガス』はもう出ない」
「ふぅん。他の本じゃダメなの?」
その考えはなかった。もちろん他の同人誌も欲しいのはたくさんある。
「いや、ダメだ。やっぱり俺をオタクに引き込んだ作者の一冊は、俺が脱オタするために手に入れなきゃいけない一冊なんだよ。それに、もし他に欲しい本ができたとしても、手に入れるためには仲間、準備、作戦が必要だからね」
仲間についてはトーノの受け売りだ。ネットで調べた限りではソロプレイヤーも多いそうだが、やはりそれなりのリスクがあるらしい。
「俺にそれができるとは思えない。特に仲間を集めるって。無理だよ」
首に嵌めたチョーカーを指でなぞる。
サニがはっと声を出さずに口を開けて、手で口元を隠しながらわるーい笑みを浮かべた。
「久しぶりに勝負しようよ」
「懐かしい提案だな。別にいいけど、あっ」
ビンゴは思い出したように手を打ち、つーんとしてサニの提案を無視した。
「この手の勝負はどうせサニが勝つじゃん。やらないよ」
「そう? ビンゴが勝ったら今日一日なんでも言うこと聞いてあげるのに」
タネも仕掛けもないですよ、と両の手のひらを出した。
「な、なんでもって言った?」
ゴクリと喉が鳴る。
「言ったよ?」
さらっと肯定した。
「うぬぬ……、よし、わかった! 勝負だ」
「よしきた」
サニが考え事をするように人差し指を頬に当てて、その指を歩行者用の信号機に向ける。
「お互いに十秒ずつ数えて、数えてる時に青信号になったら負けね」
「うん、うん。なら……、俺が先攻でいい?」
ビンゴには勝算があった。しめしめと舌なめずりする。
(歩行者用の信号機ってのは、車用の信号機が赤に変わってから青になるんだ。つまり、車用の信号機を見ていればいつ青信号になるか分かるって寸法よ)
サニがどうぞと手を向ける。
ビンゴは車用の信号機を確認して、
「いーち、にーぃ、さーん……」
数え始めた。
(ゆっくりでいい。できるだけゆっくり……。赤になったらすぐに)
「しーぃ、ごーぉ……」
(早く赤になれ……、赤になれ……、ん?)
サニがビンゴの肩をトントンと叩く。ビンゴがサニを見ると、サニはプレゼント包装された小箱を持っていた。
「これあげる」
小箱を差し出す。
「ろ……、えっ」
思わず受け取った。軽い。
(今日、うちの前で待ってたのって、これを渡すため?)
「誕生日おめでと」
ビンゴは呆ける。ハッと気がついてサニを確かめる。頬を赤く染めていた。ふたたび気が遠くなりそう。
「十六歳だね」
「うん。十六歳だ。なんだか、いやその、……ありがとう」
目頭を押さえる。鼻先が赤いのは寒いからだけではない。
「ビンゴ、結婚できるじゃん」
「俺は男だよ!」
泣きそうだった気分は吹っ飛んだ。
日本で男が結婚できるのは十八歳からだ。
「アハハ、わかってるよ。で、だけど」
サニが歩行者用の信号機を指す。
ちょうど車用の信号機が黄色から赤色に変わったところだった。
「わっ。えっと、どこまで数えたっけ。いいや、いちにさんしごろくし、ああ~~っ!!」
急いでカウントしたのにも関わらず、無情にも信号が青に変わった。
ビンゴが断末魔の叫びを上げて、トホホとがっくりうなだれる。
「ま、また負けた……」
サニがビンゴを置いて、月を歩くようなステップで横断歩道を渡った。
「ビンゴ! ほら早く!」
渡りきって振り返り、おいでおいでをする。ビンゴはしぶしぶ道路を横切った。
「私の勝ちだから言うこと聞いてね」
ポンと手をビンゴの肩に置いた。
「わかっ……、いや待って」
(さっきどう言ってた? 俺が勝ったらなんでも言うこと聞いてあげる、か)
「サニが勝った時どうするかは決めてないぞ」
「む。たしかに」
肩に置いた手を腰に当てる。
「でも、私が負けた時にだけ今日ずっと言うこと聞くって不公平じゃない?」
諭すように問いかけた。
「だけどさぁ」
「しょうがないなぁ。じゃあ一個だけ言うこと聞いて?」
ビンゴはしばらく考える。信号はとっくに赤になって、車が一台だけ通り過ぎた。
「わかったよ」
「良かった。それじゃあねぇ、プレゼント開けてよ」
勧められるがままに包装を剥がして、白地に金色の文字が書かれた化粧箱を開ける。中にはシルバーの簡素なヘアピンが一本だけ入っていた。
「これって髪を留めるやつだよね?」
「そうだよ。ちょっとじっとしてて。付けるから」
ビンゴの前に立つ。サニは背伸びをしてビンゴの髪をいじり始めた。柑橘系の香りが鼻孔をくすぐる。
「下向かないで! ちゃんとじっとしてる」
「は、はい」
髪をいじった最後に、ヘアピンでビンゴの前髪を留めた。
うっとうしかった前髪はヘアピンで左目の上で分けられている。
「できた」
サニが手鏡を向けた。
簡素とはいえヘアピンというアクセサリーひとつで、身なりが大きく変わる。特にビンゴは目を見せるだけでパッと雰囲気が華やぐ。
しかし、当の本人は沈鬱な表情をしてチョーカーを撫でるだけだ。
「命令します。今日は一日これで過ごしてね」
サニの勅命はビンゴを驚かせるだけでなく、古傷に塩を塗りたくるものだった。
無理だと言っても、負けは負け。ビンゴに拒否権などなかった。




