8 好きに正直でいたいから
紛れもなくサニだ。休日だからか、雰囲気が学校とは違う。黒タイツで足元がスラッとしており、首元のマフラーは大きい四角のチェック柄で、全体的に英国カントリー風だ。子供っぽい体型が目立たない服装と言える。
「……うん。サニだって分からなかった」
服でこんなに印象が変わるのか、と驚いた。本日二度目だ。
「やっぱりビンゴなんだ……」
サニの言葉は尻すぼみになって消えゆく。ひどく落胆している様子だ。
ビンゴは首を傾げる。
「サニ?」
心配の声に食い気味で、
「すごいね! 似合ってるよ。超格好いいじゃん!」
唐突で明るすぎる返事をした。
「えっ……。か、格好いい? うん、ありがとう?」
服を褒められたことがなかったし、急な態度の変化のせいで返答に困った。
「褒めたのは服だけじゃないの、分かってる?」
チッチッチッ、と指を振る。どこか芝居がかって、言葉尻に苛立ちが垣間見えた。
(この感じ、前にもあったような気がする。どこかで大きな失敗をしていて、次の朝にはひとりぼっちになっているアレだ)
ビンゴはサニの逆鱗には触れようとしない。触れることができなかった。
「そ、そうなの? ……じゃあ、髪型?」
サニは、やれやれ、と肩をすくめた。
嘘。
何もかもが嘘で、上辺だけのやり取りだ。二人とも本音を漏らさない。
膠着状態の二人の元へトーノがやってくる。
「ビンゴくん、ナンパはうまく……、佐仁川さん?」
トーノがサニに気付いた時にはもう遅い。ビンゴが言わないでいたことをあっさり言ってしまった。
「やっぱりナンパだったんだ」
拳を強く握って、肩を怒らせている。ビンゴをじっと睨みつけた。
ビンゴは、なぜ? と言った風に首を傾げる。
サニの苛立った様子にトーノは動揺した。教室でサニがこんなにも怒っているのなんて、見たことがなかったからだ。
「ボク、何かまずいこと言いましたかね……?」
キッとトーノに強い視線を送る。
トーノは申し訳なさそうに俯いた。
サニがビンゴの手を取って、思い切り強く握った。
「えっ? なんで握手、って、うわなにこれ痛ぇ!」
ゴリゴリと手の甲から鳴ってはいけない音がしてその場にうずくまる。同時にサニが手を離した。
残された指の跡からサニの感情がビリビリ伝わってくる。
「私帰る」
即座に踵を返す。
(デジャヴだ。あんな寂しい放課後の教室はもうイヤだ!)
背中を向けたサニの肩をとっさにビンゴが掴んだ。サニを足止めする。
(ど、どうしよう……)
「離して。痛いんだけど」
怒っているのが冗談みたいに声色は平坦だ。
ビンゴは沈黙に沈黙を重ねるだけで、結局なにも言い出すことができなかった。引き止める手からするりと抜け出される。
(保健室でサニに相談するまで、失うものは何もなかった。けど、今は違う。それにサニの相談だってまだ聞いていない)
居心地が悪そうにしているトーノを尻目に、サニの背中を追いかけた。トーノの姿が見えなくなる時、心のなかで彼女に謝罪する。
サニの真後ろをついていき、改札を抜け、同じ電車に乗り込んだ。話しかけようとするが、顔を合わせてくれない。数駅で下車して、隣を歩こうとすると強い風が吹いた。サニは風などお構いなしにぐんぐん先へ行って、長いエスカレーターを下りて地下のホームへ行く。ごうんごうん、と不思議な音が反響していた。何か言おうと思ってサニの行く先に立ってみるが、いともたやすく横を抜けられる。ほとんど人がいないのに、ビンゴはサニの後ろに並んだ。後ろに並んでもそわそわするだけで、ここまでずっと話すことができなかった。
「はぁ、うるさい」
最初に口を開いたのはサニだった。
「ごめん」
軽い舌打ちが聞こえ、サニが振り返る。
「存在がうるさいのは謝らなくていい」
「そ、存在?」
「あと、ビンゴが私に謝るようなことは一つもないし」
話しかけるスキがなかった今までとは違い、少しだけ話しやすくなった。それでも二人の間にはドミノが途切れてしまうような距離感があった。
「いや、でもごめん。その、これは先回りのごめんで、つまり……、俺はサニが怒ってる理由を知りたいんだけど」
尻すぼみに声が小さくなっていく。怒っている相手にさらに怒らせるような発言だと自覚しているが、やっぱり怒られるのはイヤだと思って途中からビビっていた。
「いいよ」
あっさりと答えるものだから、守りの体勢に入っていたビンゴは驚いた。
「口、開けっぱなしは格好悪いよ? で、怒ってた理由か。うーん、なんでだろうね?」
サニが半歩下がって、点字ブロックの上に乗った。
無意識に開いていた口を手で隠したまま、話をはぐらかすサニに文句を言う。
「なんでって、どういうことだよ」
「さぁ、なんででしょう?」
自分で考えろ、と解釈して思案する。確実にナンパをしていたことが原因なのは分かっているが、なぜそれで怒ったのか分からない。合ってそうな部分だけ先に答えることにした。
「ナンパし……、いやちょっと待って」
(サニはなんて言ってた? 俺が謝るようなことは一つもない。じゃあ、どうしてサニは俺に万力みたいな握手をしてきたんだ?)
跡がうっすら残った手を擦りながらサニの本音を探ると、思いがけない答えが浮かんできた。
(いやいやいや、それはない! 全部サニが悪くて、それでも苛立つなんて、サニの方に原因がある。でも、考えられるのはそれだけなんだよな)
ホームに、黄色い線までお下がりください、とアナウンスが流れる。ちょうど線の真上にいたサニがホーム側へ戻ると、ビンゴとの距離が極端に近くなった。身長差があれど、密着しているのとだいたい一緒だ。
(なっ!? おいおい冗談だろ。サニが? 俺に? つまり、回りくどいけど、告白ってことなのか? だ、ダメだよ、俺は麗しの乙女に告白するって決めたんだ。それにしても急にどうして。あ、もしや本当に格好いいってことかな? って、今はそうじゃなくて……)
「ま、まさかなんだけど、サニ、お前、俺のことが好き、とか?」
「……はぁ?」
見上げながら見下した視線をしていた。器用な奴である。
「あっすいませんした冗談です」
ひたすら平謝りする。
対するサニは、困った困った、と唸っていた。いつもの調子に戻りつつある。
「うーん、どうしてそう思ったの?」
順序立てて説明した。ビンゴは、「サニは俺がナンパしてたことに怒った→で、思いきり手を握りつぶした→でも俺に悪いところはない→サニが個人的に怒ってた→いわゆる嫉妬で→サニは俺のことが好き→なぜなら見た目だけ男らしくなった俺かっこいい」という論理である。
サニはうんうんと何度も頷きながら話を聞いた。
「ビンゴの手を握りつぶしたのはムカついたからで、特に深い意味はないよ?」
「まあムカついたら誰でもそうするよね。あるあ……ねーよ!」
叫ぶと同時に電車がホームに入ってくる。
並んでいた人の視線がチリチリと痛い。早く電車の中へ逃げ込みたかった。さっさと降りろ、と胸中で怒鳴る。最後の人が降りた時、先にサニが車内へ行って、空いていた席に座った。その隣が空いていて、サニも心なしか座れるように脇へ寄ってくれていたが、結局ビンゴはサニの斜め前くらいに立った。
また無言が続く。サニはスマホをいじりはじめた。緊迫感はもうない。二人の乗った快速急行が多摩川を越えた時、ビンゴのポケットでバイブレーションが起きる。それを取り出し画面を見ると、知らない番号のSMSからメッセージが届いていた。怪しげなURLさえ踏まなければ問題ないと考え、メッセージを読んでみる。
《やっぱりナンパはダメだよ》
サニがビンゴを見ていた。メッセージの主はサニらしい。
返答を書き込んでいる間に次のメッセージが届く。
《一途でいなきゃダメ》
怒った理由はビンゴの行為が許せなかったからだ。
ビンゴは返信が追いつかず、またサニに先を越される。
《好きに正直でいて》
ほとんど入れ違いにビンゴは《わかった》を送信した。
サニが訝しげにビンゴの顔をうかがう。期待に目を輝かせている。
「わかってるよ」
今度は口に出して伝えた。
「そう。ならいいの」
そっけなく言う。言い終えると、嬉しそうな表情をした。
ビンゴはスマホの画面に視線を戻す。
(好きに正直で、か。俺にふさわしい言葉だ)
その言葉を忘れないようにSNSでつぶやいた。
「ん……?」
タイムラインにメンヘラっぽい書き込みがあった。書き込んだアカウントの名前はうつ主と言って、やっぱりメンがヘラってそうである。
《同人やめます》
ただそれだけの書き込みだが、ビンゴにとってうつ主という相手が言う言葉としては衝撃的なことだった。
もしかしたら他のうつ主かもしれないと思って、プロフィールのリンクから個人サイトへ跳ぶ。黒背景にオーナメントが施されたゴシック調のページには、『レコーズ・メイガス』の文字が浮かんでいる。間違いなくこのうつ主は、孤独だったビンゴ少年に安らぎと中二病を与えた張本人だ。今は掲示板だけでなくSNSでも親交がある。
ビンゴはあわてて書き込みを見る。すでにいくつかレスが付いていた。
《看守、本当ですか?》《えっ、どうして》《看守をやめないでください!》《WEBサイトは存続ですか? もう魚拓取ったけど》
更新頻度は低いが、一部から強く支持されているのがよく分かる。また、看守というのはうつ主の通称で、『レコーズメイガス』が魔導書の形をした牢獄であることから掲示板時代の頃よりそう呼ばれていた。
うつ主がネガティブな書き込みをすることは珍しい。名前こそネガティブだが、書き込みのほとんどはアニメ実況や描いた絵の投稿である。たまにソシャゲのフレンドを募集していて、ビンゴはうつ主とゲーム内でフレンドになったことがあるが、うつ主の手持ちは確実に重課金ユーザのそれだった。あと、夏コミと冬コミが終わるとめちゃくちゃ豪華な焼肉を食べているようだ。
(俺が脱オタを志したタイミングで、俺をオタクにしたレジェンドがやめてしまうなんて。なんだか寂しくなるじゃないか……)
うつ主は冬コミに参加予定だったはずだ。同人をやめるにしても、せっかく参加が決まった冬コミにも出ないのだろうか。
《看守! 冬コミには出ますよね?》
ビンゴは自分のアカウントからレスを書き込んだ。
快速急行が駅に止まり、再び発進した時にうつ主が新しく書き込みを投稿した。
《誤解させてごめんなさい! プロになるので同人活動はお休みします。WEBサイトは消しません。冬コミは参加します!》
うつ主の中の人はおっちょこちょいなのかもしれない。
ビンゴは内心でほっとしながら、運命的なものを感じていた。
(俺が男らしくなると決意したタイミングで、俺をオタクにした元凶がプロになるなんて。なんだか背中を押されているみたいだ。今まで男になれるか分からなかったけど、できるかどうかじゃない。なるんだ、格好いい男に!)
トーノは言っていた。ビンゴが男らしくないのは仕草がオタクっぽいからだと。つまり男らしくなるにはその元凶をなくすしかない。
電車が目的の駅に到着した。ホームに降りると冬の空気に身が引き締まる。
「俺、決めたよ」
ビンゴはサニに背中を向ける。改札に繋がる階段とも反対方向だ。正面にまっすぐ腕を伸ばし、人差し指でピンと壁を差す。否、壁の向こうの、そのまた先の、有明を指していた。サニはその奇行に小首を傾げる。
「俺は脱オタする。でも、中途半端な気持ちじゃオタクはやめられない。だから、オタクの頂点になる! そしてオタクをやめるんだ。そうしたらきっと格好いい男になれるはず」
サニは言ってることが分からない、という顔をしていた。振り返ったビンゴは少し考えて、今の宣言について補足する。
「即売会に参加して、うつ主の本を買う。俺は即売会に参加したことがない。特に夏コミと冬コミはたぶん世界最大のオタクの舞台だ。そこで欲しい本を買うのは、一人前のオタクになれたと言っていい」
きっとサニの望んでいた理由はこれではない。ビンゴはサニの求める言葉が何かくらい分かっていた。目をそらして頬をかく。
「す、好きに正直でいたいから」
視線を戻すとサニが笑いをこらえていた。こらえているのが分かるくらいには、笑みがにじみ出ているのだが。サニはくるりと反転して、階段の方へ歩いて行く。
(や、やっぱり変だったかな……)
ビンゴには運命に思えたことも、サニにとってはきっとどうでもいいことなのだ。恥ずかしいことを言ってしまった、と後悔の念がふつふつと湧いてきた。
「ちょ、サニ! い、今のわすれ」
サニが足を止めて振り返る。髪が夕暮れの日差しにきらめいた。
「……馬鹿」
焦るビンゴをからかって、ニシシと嬉しそうに笑っていた。
 




