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陸軍少尉の回想 2

 エスパニアでの日々は、夢のようだった。

 月並みな物言いだが、他に的確な言葉が思いつかない。

 今までの物乞い、逃亡生活が嘘のようだ。


 おっさんは俺とサティに一流の家庭教師をつけ、様々な分野の教育を施した。

 エスパニア語の勉強。

 算数や歴史といった基礎教育。

 身体能力強化のためのトレーニング

 そして、体魔術と法魔術。

 使用人として雇われたはずが、屋敷の手伝いをする時間よりも教育を受ける時間の方が圧倒的に長かった。


 俺はチャンスをものにしようと、全力で吸収していった。

 1年も経つ頃には、エスパニア語は完璧にマスターした。

 さらに、体魔術に適性があったため、俺の腕は極端に上達した。

 どうやら、逃亡時代に鍛えられた筋力と集中力が、体に流れるマナの扱いを容易にしているらしい。

 ”スライド”に関しては教師の威力すらも凌駕することができた。


 サティに関しては、論理的思考は苦手だったものの、直感が物を言う部分に関しては、恐るべき速度で成長した。

 語学、美術、運動、体魔術などがそうで、メキメキと腕を上げていった。

 ちなみに、リブロ伯爵の息子、アキトともよく遊んでいる。

 もちろん、俺の監視付きだが。


 美味しい食事と立派な衣服も与えられた。

 俺たちは、幸せだった。


 なぜ、ここまで良くしてくれるのか。

 それがわからなくておっさんに尋ねたことがある。


「ん? ワシは慈善家ではないぞ。商人じゃ。商人はコストとリターンで物事を考える。お前たちに一流の教育を施すのは、いわば投資じゃよ、投資」


「それはわかったが、なんで俺たちなんだ?」


「一目見た時から、お前には並々ならぬものを感じたからのう。恵まれたエスパニアではまずお目にかかれない、野獣の様な力強さ。それは間違いなくこの国の力になる。もちろん、サティもじゃ。あの子には不思議な魅力と才能がある。開花した時に何が起こるか、ワシにも想像できん程のな」


 俺たちへの投資がおっさんに直接的なリターンがあるのかはわからなかったが、何にせよ才能を放置するのは愚者の行いということらしい。






 さらに1年が過ぎ、俺は18歳、サティは7歳になった。


「シヴァよ、お前、軍人になれ」


 おっさんの私室に呼び出された俺は、唐突にそう告げられた。


「は? 軍人?」


「そうじゃよ。お前にぴったりじゃろ。国王様主導で最近開設された陸軍将兵養成所があってな、18歳から入学できるんじゃ」


「それって王都にある全寮制のヤツだろ。サティと離れ離れになるじゃねえか」


 当然、そんなことは断固拒否する。


「はー……。お前の愛は賞賛に値するが、いい加減、妹から自立すべきじゃよ」


「サティからの……自立……?」


「そうじゃ。お前はサティを守っているつもりかもしれんが、その実、彼女に精神的な依存をしておる。お前がサティに守られておる、と言った方がわかりやすいかの」


 なん……だと?

 俺が、サティに、守られている?


「今はまだいい。が、今のままが続けば、いずれお互い不幸になる。そうならんためにも、まずはお前が自立するんじゃ」


「でも……でも、サティには俺が必要なんだよ! ずっと二人で生きてきたんだよ!!」


「言いたいことはわかる。しかし、ワシが後見人としておる限りサティは安全じゃ。その点は安心せい。少なくとも、サティが15歳で成人するまでは、ワシがきっちり面倒見るわ」


「そんなの、信用でき「信用できんかの? 少なくとも、お前と二人で物乞いしておった時よりも、ワシらと寝食をともにし、アキト坊ちゃんと遊ぶようになってからの方が、サティは幸せそうな顔をしておるよ」


「ッ!」


 俺は、何も言い返すことができなかった。

 サティに幸せのきっかけをプレゼントしたのは、間違いなく俺ではなく目の前のおっさんだからだ。


「よいか、シヴァ。ワシはお前を貶めたいわけでも馬鹿にしたいわけでもない。ただ事実のみを告げるぞ。お前には、力が無い」


 力が……無い……


「お前にあるのは、妹を守りたいという気持ちだけじゃ。それも、”自分のために”妹を守りたい、という至極自己中心的な」


 おっさんは淡々と告げる。


「お前は、貧しい家庭に生まれ、父と母の死をどうすることもできなかったという歴史を持っておる」


「おい! なんでそのことを!」


「サティが話してくれたよ。賢い子じゃ。幼いながら、自分の身の周りで何が起こっておったのか、よく理解しておる」


 知らなかった。

 サティが両親の死について理解していたことも。

 それをおっさんに話していたことも。

 サティとおっさんが、それ程に打ち解けていたことも。

 俺は、サティの一番近くにいながら、サティのことを何も知らなかった。


「お前は、恵まれなかった過去、両親の死という心の傷の反動から、自分に対して深い理解を示してくれる妹への愛情が極端に肥大化しておるんじゃよ。それは、お前自身を正常に保つための精神の働きじゃ。ゆえにワシはお前がサティに依存しておると言った。その結果、お前はサティを正しく見ることができず、真に理解できておらん」


 そう……だったのか……


「人間誰しも聖人のように生きられるわけではないから、仕方がない部分はある。それに、動機は何であれ、妹を守りたいという気持ちそのものは間違いではない。だが、残念なことに気持ちだけでは何一つ守れん」


「気持ちでは……守れない……」


「そうじゃよ。大切なものを真に守るためには、力が必要じゃ」


「……おっさん、力って何なんだよ」


「力は全てじゃ。わかりやすいところで言えば、金の力、権力、武力、知力。少し抽象的じゃが、仲間の力、愛の力、精神力なんてものもある。魔術に使われるマナも力の一種じゃ。この世のありとあらゆるものは力の流れで動いておる」


「じゃあ、どうすれば力が手に入るんだ? 俺は何の力を手に入れればいいんだ?」


「心じゃ。心を成長させるんじゃよ、シヴァ。そうすればお前に必要な力は自ずと手に入る」


 心の…成長?


「……おっさん、心って、どうやったら成長するんだ?」


「養成所に行け。社会を知れ。仲間を作れ。軍人として国を守り、金を稼げ。その過程で、お前の心は磨かれる」


「……そうすれば、俺はサティを幸せにできるのか?」


「ああ、できるとも。開かれた目で、世界が見えるようになる。サティを正しく理解することができるようになる。もちろん幸せにすることもな」


「……わかった」


 そうして、俺は陸軍将兵養成所の入学書類にサインした。

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