第1話 死にゆく少年
ただ、一人になりたかった。
ただ、誰とも関わることのない世界へ、行きたかった。
ただ、絶望に塗り固められた現実から、逃げたかった。
その時の僕は、新月の夜が裸足で逃げ出す程の、暗闇に暗闇をぶちまけたような、黒い黒い心に支配されていた。
エスパニア王国、マルタ領、海に臨む街セトの外れ。
爽やかに照りつける初夏の太陽が皮肉に感じる、5月の終わり。
海に囲まれたこの地方でも随一の、切り立った断崖。
正常な精神で見れば、名勝と呼んでも差し支えない、なかなかの景色だと思う。
崖の遥か下方には、大小様々の突き出した針のような岩々に、喧嘩っ早い大波が轟々と押し寄せ渦を作っている。
「これで、終わりだな………」
僕は目を閉じた。
あの出来事から2ヶ月と半。
もう十分すぎるほど生きた。
生まれてからの17年間、いろいろあったけれど、途中経過は決して悪くない人生だったのかもしれない。
ただ、その経過の果てに僕が引き起こした結果は、一つの生では決して贖いきれない大罪だった。
そう考えると、悪くなかったはずの途中経過ですら、最悪の結末を導くためのフラグやトリガーだったように思えてくる。
脳内で、僕はいるはずのない神様を何度も罵り、恫喝し、責任を転嫁し、運命を呪った。
その反面、僕の一部、冷め切った理性が、誰かのせいにすることを拒み、神様を傷つけた言葉をそのまま僕へと返している。
わかっている。
あれは全て僕のせい、僕の責任なんだ。
僕が悪い。
僕が全て悪い。
僕は脳内で何度も何度も自分を殺した。
ナイフで腕を切断した。
剣で喉元を切り裂いた。
包丁で腹をかっさばいた。
槍で脊髄を串刺しにした………
自らの言葉が、刃となって僕を刺し貫く回数が3桁を超えた時、僕は目を開いた。
この残酷な現実からも、混沌の極みにある思考からも、もうすぐ解放される。
もう一度足元を確かめる。
ここから落ちれば、確実に死ぬだろう。
しかし、何を今更と思うが、一息に踏み出すのは怖い。
僕は後ろに下がり、崖から少し距離を置いた。
ここからなら、3歩進めば空中に足が出る。
躊躇しなくていいように、できるだけ下を見ないように進もう。
そう決意し、僕は足を踏み出した。
一歩目。
何も考えるな。ただただ、まっすぐ足を踏み出せばいい。
「ーーーーーーーぁぁ」
二歩目。
今際の際の幻聴か。甲高い音が聞こえる。だが、気にする必要はない。
「ーーーーーーーぁぁああああ」
三歩目。
を踏み出そうとした時、そのあまりにも大きな幻聴が頭上に迫り、僕は思わず空を見上げてしまった。
「ーーーーーーぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
……何かが落ちてくる。
黒と肌色を混ぜた何かの物体?
いや、これは……人?
あ、これもしかして直撃コース?
視界に迫る”何か”を前にして、僕は前にも後ろにも動くことができず、ただただ見上げるしかなかった。
そして、”何か”と目が合った気がしたんだ。
刹那、”何か”はとても美しいものだと直感が理解した。
僕は思った。
人生の終わりに、こんなに綺麗なものを見ることができてよかっ
「ひでぶっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
“何か”は僕に派手に激突した。
”何か”と僕は、初夏の太陽が照りつける峻険な断崖を錐揉み状に落ちていき、僕はいつの間にか意識を手放した。