[第二話]
※
……。
ふわり、と。
意識が浮上する感覚。
そして。
それと同じく徐々に徐々に聞こえてくる、
がんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがん。
騒音。
「うるせえええええええええええええええええええええええ!!」
掛布団を蹴り飛ばして起き上がった。けたたましい音は今も鳴り響いている。ドアをノックするような音ではない。もうドアに拳を叩きつけているような音だ。
どこのどいつだ俺の安眠を妨げる奴は。ぼーっとする思考を制御しベッドから降りる。文句の一つでも言ってやろうと、やや強引にドアを開け放った。
その先には。
訪問者の拳がいっぱいに広がっていた。
「は? ――へぶしっ!?」
視界が一回転する。ひっくり返るのとほぼ同時に激痛が襲ってきた。「まさか敵襲とは。こんな真正面からやってくるなんていい度胸だ」みたいなことを考えた直後に「でも殴るような勢いでノックしているドアをいきなり開けたら当然こうなるよね」みたいな結論に至りつつ相手の顔を見た瞬間、時が止まった。
「……久しぶりね。おはよう、聖夜」
……見知った顔だった。
というか。
俺の護衛対象だった。
「貴方、何様なわけ?」
鬱陶しそうに自分の髪を払いながら護衛対象者は言う。
花園舞。
この国五指に入る名家・花園家の一人娘。
以前日本にいた頃に、師匠経由で知り合ったいわゆる幼馴染のような関係の女の子。目を見張るような赤い髪に、程よく膨らんだ胸。きゅっと締まった腰。そしてヒップへと流れるような女性らしい魅惑的なライン。黙ってさえいれば完璧なお嬢様。
そう、……黙ってさえいれば。
「護衛対象者に自室まで迎えに来させるとか護衛舐めてんの?」
こんな口調である。お嬢様なのに。
それにしても、何でこいつがここにいる。
「まだ寝ぼけてるのかしら」
そう言いながら、舞は自分の腕時計の文字盤を見せ付けるようにして差し出してきた。そこには『8:30』と表示されている。
……って8時30分!?
「転校初日から寝坊で遅刻とか洒落にならないでしょうに。迎えに来てあげたわよ。どうせ教員室経由で行くんでしょ」
そう。
確か指定された時間は8時40分だった……。
※
「初めまして。貴方の担任、白石はるかです」
「中条聖夜です。よろしくお願いします」
目の前の小ぢんまりとした女性教師に頭を下げる。
洗顔・歯磨き・着替えを脅威の2分で終えた俺は、舞に指示されるがまま青藍魔法学園の本館にある教員室まで7分の時間を以って到着していた。舞からは「朝っぱらからこんなに走らせて……。憶えておきなさいよ」なる恨み言を頂戴し、教員室前で別れている。
どうやら舞のおかげで最悪の展開は回避できたようだった。
「今日から貴方は2年A組の仲間です。よろしくお願いしますね。ところで汗だくですけど大丈夫ですか?」
ぽわぽわした口調でそう問われたので、俺は曖昧に笑って返した。
※
「到着ですよ~」
緩い号令のような感じで担任・白石先生が言う。2年A組の教室は本館の3階にあった。
「私が先に入って君のことを話しますから。呼んだら入ってきてくれますか?」
「分かりました」
俺の答えに頷くと、白石先生が扉を開け中へと入っていく。閉められた扉の中からの喧騒が大きくなった。
「どうやら、転校生とやらは相当に注目されているようだ」
他人事のように呟いてみる。
花園家が護衛として俺を迎え入れる上で学園に何と言って通したかは知らないが、俺、期待されるようなことは何もできないぞ。
「中条くーん、入ってきてくださーい」
そんなことを考えているうちにお呼びが掛かった。
……仕方が無い。まあ、何とかなるだろう。
楽観的に結論付けて目の前の扉を開いた。途端に静かになる教室。ゆっくりと一歩を踏み出す。にこにこ微笑む白石先生に言われるがまま、教壇に立った。強い視線を感じそちらに目を向けてみると、そこには舞がいる。久しぶりの帰国、そしてその次の日には久しぶりの学校。慣れないことだらけの中で、知り合いがいるというのは実に心強いものだと感じた。
「初めまして、中条聖夜と申します。つい先日日本に戻ってきたばかりでして。右も左も分からない身ですが、どうぞこれからよろしくお願いします」
頭を下げる。パチパチと拍手が鳴った。「おー帰国子女」とか「えー女の子じゃないのかよー」とか「髪真っ白―」とか聞こえてくる。
「はいはいはい~。お話は後にしてください」
手を叩きながら白石先生が声をあげる。
「中条君は、呪文詠唱できない体質を克服するためにこの学園に来たそうです。同じクラスになった仲間として是非力になってあげてくださいね」
なるほど、そういう風に話は通っていたのか。剛さんとそこら辺を確認するの忘れていたな。「はーい」という想像以上に協力的な姿勢を見せるクラスメイトに面食らいつつも、もう一度頭を下げてから指定された席へと歩く。
窓際、一番後ろの空いている席。「はいそれじゃあ教科書を開きましょ~」「えー質問タイムはー?」的なやり取りを聞き流しつつ、席に着いた俺はお隣さんくらいには声を掛けておこうと思い、そちらに目をやった。
……凄く綺麗な子だった。
黒を黒で染めたんじゃないかと思う程に真っ黒な黒髪。抜群のスタイルに端正な顔立ち。絵に描いたお嬢様のような女の子だ。
「……何か?」
俺の視線に気付いたのだろう。綺麗な姿勢は崩さず、顔だけこちらに向けて女の子は聞いてくる。
「あ、お隣さんだな。よろしく」
「はい、こちらこそ」
少しだけ口元を緩め、女の子は言う。が、直ぐに視線は黒板へと向かった。授業中は私語厳禁を地で行っていそうな子だ。
「……ん?」
視線を感じ、そちらに目をやる。舞が鼻を鳴らしながら顔を逸らすところだった。
……何なんだ、いったい。
※
突然だが、この場を借りて改めて明言しておこうと思う。
俺こと中条聖夜は、呪文詠唱ができない。
魔法とは現代科学では証明出来ない未知なる力。あるものは物体を燃やし、あるものは物体を浮かせ、あるものは物体を消し去る。そういった現代科学のメカニズムでは証明できない力の総称として用いられる。
魔法使いが表舞台に胎動してから、どれほどの月日が流れたのだろうか。一昔前のテレビアニメを見てみると、魔法少女やら何やらが使い魔を連れつつ魔法のステッキか何かで華麗に魔法を発現させ、必殺技と共に悪を消滅させるものが多い。が、実際はそんなメルヘンチックなものなど使用されない。
魔法伝導体。
通称・Magic Conductor。
MCと略されることが多々あるこれは、その魔法の杖の代わりになる機械だ。使い方は簡単。自分の腕なり足なりにセットするだけ。ベルトを巻くだけでいい。見栄えは杖に比べれば劣るだろうが、実戦にそんなものは必要ない。
但し、このMCさえあれば誰でも魔法が使えるかと問われれば、その答えはNoだ。
魔法は先天的な才能に左右される。魔力という名称とて、このエネルギーが無ければ人は生きていられない。つまり、魔力がゼロの人間は存在しない。が、人間なら誰しも魔力を持っているとはいえ、その魔力容量はそれぞれだ。魔法として具現化出来ない程の微々たる量しか持たぬ者もいれば、膨大過ぎる程の魔力を持つ者もいる。MCがあれば誰しもが平等な魔法使いになれるわけではない。
魔法は、一般的に呪文詠唱を行うことで発現する。
これは、自らの体内に眠る魔力を、『音』によって導き魔法を練るためである。呪文詠唱には、大きく分けて二つの種類がある。『始動キー』と『放出キー』だ。
『始動キー』とは、読んで字の如く魔力を始動させるために用いるキーを指す。どんな『音』を用いても構わない。これはあくまで自らの体内に眠る魔力を循環・活性化させる為のものであり、魔法発現に直接的には関係しない。この『音』を発するのは魔法を使う時だ、と身体に憶えさせる一種の儀式のようなものである。
もう一つの『放出キー』だが、これも文字通りの存在だ。『始動キー』によって循環・活性化した魔力を、魔法という形に変化・放出させるキーのことを指す。これは『始動キー』と違い、どんな『音』でもいいというわけにはいかない。
それは当然と言えば当然なわけで。
なにせ、この『音』こそが魔法の源泉。つまり魔法を音で形作る核という扱いになる。現在確認されている『放出キー』は、全て『呪文大全集』という公認の呪文書に記されており国で保管されている。
これが呪文詠唱と呼ばれるものの仕組み。
魔法使いはこのスタイルに則り呪文を詠唱し、魔法を発動させているというわけだ。
つまるところMCなんていうのは名前の通り、あくまで魔力を内から外へと伝導させるための補助道具でしかない。魔法発現までの工程をスムーズに進める為には是非欲しいツールではあるものの、これが無いから魔法の一切が使えませんなんてことには成り得ない(当然、未熟な者であればMCに頼りきりで、無ければ魔法が暴走するってことは有り得る)。
そして、それは詠唱も同じこと。
魔法に慣れてくれば、『音』の力を借りずとも魔法は発現できるようになる。魔法の核を形作る『放出キー』とて、それはあくまで魔法をそういった形に変化させるよう刺激する為の『音の核』であり、それが物理的な核となるわけではない。卓越した魔法使いは、『音』を用いずとも自らの体内に眠る魔力を刺激し、思い思いの魔法を発現できる。
それを、世間一般では『詠唱破棄』や『無詠唱』と言うわけだ。
※
別に気取っているとかではなく、俺はそれなりに勉強できる方だと思う。なにせこれまで俺を鍛え上げてきたあの師匠は、欠点らしい欠点が見当たらない完璧超人であり、俺が同行していろいろとやっている時も、暇を見ては俺に勉学を叩きこんできた。仕事の合間に魔法の修行と学生の本分とも言えるお勉強。正直なところ相当ハードだったが、今にして思えば師匠なりの優しさだったと思えなくもない。
……この程度の内容なら、無難に切り抜けられそうだな。
そんなことをぼんやりと考えながら、俺は担任の眠気を猛烈に誘う授業を右から左へと聞き流していた。
※
休み時間は当然のように質問責めにあった。
「向こうでは何をしていたんだい?」
「こっちと同じだよ。親の事情で向こうに飛んでただけで、大層な目的を掲げてたわけじゃない。普通に学生やって普通に戻ってきた」
ほぼ百パーセントの純度で嘘だらけである。向こうでは師匠に言われるがまま魔法関連の雑用やいざこざに頭を突っ込んでばかりで、学校なんて通っていなかった。
「普通で片付けられるのが凄いよな。言語の壁とかあったろ?」
「はは。そんなの気合でなんとかなるって、向こうで実感したよ」
気合でなんとかしないと過労死していただろう。当たり障りのない解答でやり過ごしていく。喋るたびに事実がフィクションへと塗り替えられていく。仕方の無いことだけれども。
「向こうでも魔法学校に?」
「ああ。実際のところ、俺はほぼ攻撃魔法も防御魔法も使えないからな。実習とかでは苦労しまくりだったよ」
「……で、多分ここにいる皆の誰もが聞きたい質問だと思うんだけど」
定型文のような答えがすらすらと口から出る。当たり障りのない回答をいくつか続けたところで、一人の女子生徒が急に思わせぶりな前置きをしてきた。
「花園さんとは、どういったご関係?」
最初、何を言われたのかよく分からなかった。
「……は?」
「だって、今朝。花園さんが中条君の部屋まで迎えに行ったって情報が入ってるんだけど」
「ぶふっ!?」
何も口に含んでいないのに吹き出した。
「それも男子寮にだぜ? 廊下ですれ違ったとき、思わず二度見しちまったよ」
情報の発信源であろう男子生徒が苦笑しながら言う。
……ちょっと待て。
「男子寮?」
初耳だった。外から見た感じ、寮棟は一つしかないように見えたが、実はどこかに女子棟があったのだろうか。
「お前、知らなかったのか? エントランスホール入ってさらに奥の正面に、暗証ロックの扉があるんだぜ。その中が男子禁制の魅惑の女子寮ってわけだ」
あった、……かもしれない。正直なところ、まだそこまで見て回れてはいない。
「で? で? 中条君と花園さんはどういう関係なのかなー?」
「気になるなぁ中条。お前と友達になれるかは次の一言で決まりそうだ」
きゃーきゃー色めき立つ女子と、不穏なオーラを漂わせている男子のギャップが酷いことになっている。こ、これは回答を間違ったらエライことになる。そう直感した俺は、この輪に加わっていない舞の方へと目を向けるが、背を向けたっきりで反応は分からない。
「お、おい。舞っ!!」
とりあえず呼んでみる。舞は少し間を置いた後、億劫そうに振り返り口を開いた。
「だって、男子寮に暗証ロックないし」
「だから何!?」
不穏なオーラを纏う男子たちに殺気のようなものが混じり始めた直後、申し合わせたかのようにチャイムが鳴り響いた。
※
昼休み。
授業の合間合間にあれだけ質問タイムがあったにも拘わらず、またもやクラスメイト達がわらわらと集まり始める。うんざりしそうになる反面、昼飯が食えないかもしれない不幸よりもこうして構ってくれる幸運に感謝すべきなのかもしれない、と悟りの境地に入ろうとしたところで舞から声が掛かった。
やや強引に連れられて昼飯へ。
込み入った話になることを考慮し、学食でパンと飲み物だけ購入して屋上へとやってきた。
「随分と仲良さそうに喋ってたじゃない。私の他に知り合いでもいたの?」
「いんや?」
知り合いなどいるはずがない。日本での交友関係は絶望的な俺である。
「よくもまぁ初対面であんなに喋れるわね」
……このセリフを聞く限りでは、どうやらこいつも二年前から変わらず友達がいないらしい。
「で、どういうつもりなんだ」
「何が?」
「俺を呼び寄せた理由だよ」
舞は「あぁ」と相槌を打ちながらベンチに腰かけた。自分の隣をぽんぽんと叩く。どうやら隣に座れということらしい。
「別に。大した理由じゃないわよ」
俺が座ったのをしり目に、舞は買ってきたパンの袋を開封しながら言う。
「……大した理由も無いのにわざわざアメリカから呼び寄せたのかよ」
思わず絶望しそうになる。あのハードなタイムスケジュールは何だったんだ。
「今はまだ関係無いってこと。それより」
一度言葉を切った舞は、ギロリと俺を見据えながら一言。
「貴方、姫百合可憐になんて色目使ってんじゃないわよ」
……。
「ごめん、何だって?」
「とぼけるつもりね!?」
「ついていけないだけだよ!! 誰だ姫百合可憐って!!」
「貴方の隣に座ってた女よ!! 知ってるくせに!!」
「知らねーよ!! 姫百合可憐なんて……、ん? 姫百合? 姫百合ってあの姫百合か」
「まぁわざとらしい!!」
「だからわざとじゃねぇって……」
姫百合といえば舞の花園家と同じく、日本五指に入る名家の名だ。
そうか。あの女の子がねぇ……。
「お前、姫百合可憐と仲悪いのか?」
「良いわけないでしょ!!」
「……いや、知らんけども」
知ってるわけねぇだろ。
「あいつ、ほんっっっっとうに、嫌な奴なの!!」
「落ち着け。とりあえず、お前が本気で嫌っていることはよく分かったから」
「聞きなさいよ! あいつったら、ちょっと顔が良くて成績優秀だからって、学園中の男たちから人気集めてんのよ!? そのくせそれを気にしてないかのような素振りしちゃって! 猫かぶってんだわきっと! だから友達いないのね!!」
……ん?
「……それ、お前とどこが違うんだ?」
「……え?」
俺の発言がよほど心外だったのか、舞はぴたりと動きを止めた。
「お前は顔が良くて成績優秀でも、男たちから人気ないのか?」
「い、いや……それは、ちょっとはあると思うけど」
俺の質問に、舞がたじろぐ。畳み掛けてみることにした。
「お前はそいつらに誠心誠意全力で応えてやってるのか?」
「い、いや……。流石にそれは私のキャラじゃないというか」
「お前は猫かぶってないのか?」
「い、いや……。それはこのテンションだと周りヒいちゃうし多少はかぶるけど」
「最後だ。……お前に、友達はいるのか?」
「い、いや……。それがあれから友達なんて一人も――って、そんなことはどうでもいいの!! そんなことより!!」
今まで睨みあっていた視線を外し、そっぽを向きながら舞は言う。
「あのクラスの奴らの評価、なんなわけ」
「……別に悪い事なんて無かったじゃねーか」
クラスメイトから寄せられる声は「がんばれ」とか「力になるよ」とかそういったエールが多かった。てっきり「出来損ない」だ何だで馬鹿にされるものと思っていたので、拍子抜けしてしまったくらいだ。
俺の呪文詠唱ができないという体質は先天的な欠陥であり、治すことなど不可能。だからこそ、仕方が無いとはいえ嘘で同情を引いているようで罪悪感を覚えてしまう。
「……納得いかないわね」
「お前が怒ることじゃねーだろ」
舞の唸るような呟きを軽く受け流しつつ、俺も昼飯にありつくことにした。