[第十話]
※
早朝。
セットしてもいない時間から、携帯電話が勝手に自己主張を始めた。
画面を開いて見ると『花園 剛』の文字。つまりは剛さんの書斎からだ。気分一つでこの国の在り方に介入できる人物の番号が携帯電話に入ってるのは何気に凄いよな、とか場違いなことを考えながら通話に応じる。
『おはよう。すまないね、まだ寝ていたかな』
「いえ、……どちらにせよもう起きる時間でしたので」
時計を見れば、後十分で目覚ましが鳴る時間だった。
『そうか。事後処理は全て終了したよ。ありがとう。正直なところ、ここまで早く片付くとは思っていなかった』
「もったいないお言葉です」
ここまで早くという感想は、こちらも同じだった。
この時間に処理終了の報告が来たということは、花園家の関係者は徹夜で作業だったのだろう。本当にお疲れ様です。
『できれば直接会って話がしたい。学園が終わった頃に迎えを出すから――』
「いえ」
剛さんの言葉を途中で遮り、言う。
「今から行きますよ。こちらが本職なわけですから」
こういったことは、向こうも早く終わらせたいだろう。こっちの事情を優先させるわけにはいかない。
『……、そう、か。分かった。では、三十分ほどしたら、青藍の正面口へ出てきてくれ。迎えは出させてもらう』
「分かりました」
それだけ言って通話を切った。
……終わったか。
ようやくその実感が湧いてきた。
「さっ、準備するか」
ベッドから立ち上がる。
花園家の迎えが来るとはいえ、その理由を学園には話せない。正門を潜るときは転移魔法を使った方がよさそうだ。あそこには守衛がいるからな。
※
「よく来てくれた」
祥吾さんに案内されて書斎へと踏み入れると、いつもの定位置に剛さんは腰かけていた。
「ご苦労だったね、聖夜君。君のおかげで、今回姫百合家のご令嬢を狙った輩は一網打尽だ。……まあ、舞の護衛役だったはずの君にこの労いの言葉はどうなのか疑問に思う面もあるが」
「ありがとうございます」
頭を下げておく。
ですよね。言いたいことはよく分かります。
「ただ、魔法警察の方は相当の感謝をしていたよ。大事に至る前に犯罪組織を一つ潰せたわけだからな。君には是非、お礼に伺いたいと言っていたが……」
「結構です。もし、それでも形式的に何かする必要があるのなら、花園家宛てでお願いします。もともと私がこの依頼を受けたのは師匠による意志ですし、花園家から雇われた仕事の合間に片付けたという側面が強いですから」
「伝えておこう」
剛さんは一つ頷いた。
「舞を同伴させたと聞いた時にはどうしたものかと思っていたが、……立ち回りは実に見事だった。良く鍛えられているな、聖夜君。あれだけの人数を相手に、無傷で済むとは大したものだ」
「……ありがとうございます。それと、その節は大変失礼致しました」
とても耳が痛い話である。師匠に知られようものならお仕置きものだろう。
「いや、こちらの言い方が意地悪だったか。失礼。その話は不問にすると私が言ったのだからな」
剛さんは笑いながら葉巻を手に取った。今回は迷わず火を点ける。もしかすると、愛娘の前では禁煙と心に決めているのかもしれない。
「ふーっ。では、金の話に入ろうか。これが今回君の師匠から指定されていた口座に振り込んだ金額だ。確認してくれ」
デスク越しに差し出された紙を受け取る。
……。
そして、愕然とした。
この短い期間、そして護衛としてお粗末な仕事内容、加えて本題とはかけ離れた魔法戦を繰り広げたにも拘わらず、ゼロの数が想像より二つばかり多い気がする。
「え? 印刷ミス?」
「馬鹿を言うんじゃない」
俺の呟きは剛さんに一刀両断された。
「今回はたまたま姫百合の方を狙っていたというだけだ。姫百合から聞いていた話では、君と舞が介入しなければ成功しそうだったそうじゃないか。そうなれば、次は舞が狙われていた可能性もある。今回の君の働きは、結果として花園を守ることにも繋がっているのだよ」
「……はあ」
本当にいいんだろうか。こんな金額。
「娘の命を預けるということは、そういうことなのだよ。聖夜君」
「……っ」
剛さんの雰囲気が、変わった。日本五指に入る名家、その現当主としての顔で剛さんは言う。
「金額が多いと感じたのなら、それはまだ護衛という任務を甘く見ていたという証拠だろう。君の予想と提示された金額のギャップ。それがそのまま君の、護衛という職に対する意識の高さに直結するわけだ」
「……その、……通りですね」
返す言葉も無い。剛さんの考えは、まさにその通りだった。無意識のうちに歯を喰いしばる。俺は、まだ魔法使いとしての自覚が足りないということだ。
「それに気付けたことが……、今回の件での、君の最大の収穫だな」
一転し、軽い口調で剛さんは言う。
「ライセンスを取得し、初の正式な依頼に初の護衛任務。どうだった」
「……まだまだ、考え方が子供なんだなと痛感させられました」
「そりゃあまだ子供なんだから仕方が無いだろう」
剛さんは豪快に笑った。
「ただ、金を貰って仕事をするということは、そういった言い訳が通用しない世界に足を踏み入れるということだ。そこに年齢の差なんてものは関係無い。一人の魔法使いに対して、必要な仕事を任せる。それに対して報酬を支払う。必要なのはそれだけだ」
「……はい」
頷く俺を見て、剛さんは続ける。
「どうだ。もう少し舞の護衛を続けてみないか」
「え?」
その提案は予想外のものだった。
「いや、あの……。だって、俺、いや、私、結構見苦しい点をお見せしましたよ?」
「それは不問にすると言った。君の立ち回りは見事なものだったとも認めた。何より、舞は君に心を開いているからな。私としては、君こそが舞の護衛役の適任者だと考えている」
その評価には、目を白黒させることしかできない。
「全ては聖夜君の意思次第だ。君の師匠にはこちらから話をつけておこう。なぁに、苦言を呈されるようならその10倍の金額を契約金として支払ってもいい」
……10倍? もうゼロの数を1つずつ数えないと金額分からなくなるぞ。
「これだけは勘違いしないでくれよ、聖夜君」
固まったままの俺に、剛さんは昔と同じ穏やかな笑みを浮かべて言う。
「君の魔法が『特別』なものだから、いて欲しいわけじゃない。君が君だから、いて欲しいんだ。そこは信じて欲しい」
「っ」
その言い方は卑怯だと思う。
欠陥を持った魔法使いである俺に対して、その言い方は。
「俺、は――」
剛さんからの真摯な呼びかけに対して、俺は。
※
結局。
登校時間を大幅にオーバーした俺には、ある程度想像できたことではあるが恐ろしいまでのお説教が待ち構えていた。
今回の一件は内々に処理されたが故に、俺は一切の事情を説明することができない。
口にできる言葉は「寝坊しました。すみません」のみであり、何も知らない教師からすれば俺は絵に描いたような問題児なわけだ。当然こうなる。「高校生としての自覚を」「当校の風紀が」「時間はきちんと」「自らの体調管理」「生活リズムとスケジュール」等々。よくもまぁ寝坊と言う理由に対して、そこまで小言が思い付くなと感心してしまうほどの長い長いお説教を頂戴した上で、その授業は廊下に立たされる羽目になった。
その光景を、笑い声を噛み殺しながら聞き入っていたクラスメイトたちは後で殴る。顔は覚えてるからな。
授業中の廊下はとても静かだ。
各教室から聞こえてくるのは、眠気を催すために発せられているのではないかと疑いたくなる教師の声のみであり、窓から聞こえるのは木々のざわめき、鳥のさえずり、そして遠くグラウンドから届く生徒の掛け声だけだった。
至って平穏。
魔法同士のドンパチ騒ぎなど、ほど遠いと言える平和な日常。
……何となく。
何となくだが。
魔法をまだ知らなかった、あの頃。
日々の生活を無為に過ごすだけで良かった、温かい子供の頃に戻った気がした。
※
「むー」
最後に別れてからそう経っていないはずだが、嫌に久しぶりに感じてしまう咲夜の顔は、最後に見たときよりも丸くなっていた。あ、この表現は女性に対して失礼か。端的に言えば頬を膨らまして唸ってらっしゃる。本人は遺憾の意を示しているつもりだろうが、正直こちらは全然怖くない。むしろ、癒される。
「中条せんぱいっ」
「……おう」
「私、怒ってるんですよっ」
……そうでしょうね。可愛いですけど。
※
授業終了後、教室に入るなり絡んできたクラスメイトを拳で黙らせてぎゃーぎゃーやっていると、二年A組の教室に突然の来訪者がやってきた。
「あ、あの……。中条せんぱい、いますか?」
「えっ? 姫百合可憐さん、じゃなくて?」
「は、はい」
「えーっと、分かりました。中条くーん。姫百合さんの妹さんがお呼びよー」
「ぶっ!?」
その呼び声に、飲みかけのペットボトルを取り落としそうになる。
「……これは、また珍しいお客様だね。それに、呼び出しの相手が」
「中条ぉっ!! てめぇっ!!」
「いちいちうるせぇんだよ!! そんな期待される関係じゃねぇっ!!」
過剰に反応するクラスメイトたちをあしらい、咲夜の元へ。
「咲夜、呼んだ相手は俺か?」
ちらりと可憐の様子を窺いながらも、咲夜へと声を掛ける。
「……そ、そうです」
可憐は、ジェスチャーで「よろしくお願いします」とやってきた。どうやら、用件は知っているらしい。表情が苦笑いという点が、何とも不安を誘うな。
「……とりあえず場所を移すか。ここだと人目が嫌だ」
「分かりました」
行先は、お決まりのように屋上にした。
※
そして、咲夜の膨れ顔に戻る。
「1人で悪い人のところを襲撃なんて、どれだけ危ないことだと思ってるんですか!!」
「いや、それが俺の仕事なわけでな?」
どうやら、今回の事の顛末は可憐から聞いたらしい。屋上にて、まずは護衛任務について黙っていて悪かったと謝罪したら、「それはもういいんですっ」と誘拐騒動の話を持ち出された。
それに咲夜の話を聞いていると、黙っていたという事実よりも、除け者にされたことに傷付いたようだった。
……とは言ってもね。個人的には、是非今後とも争いの無い世界で穢れなく生きて行って欲しいと思う。切に願う。
「……今回の件については、お前に話さなかったのは悪かったよ」
今後も詳細を説明してやる気は毛頭ないしましてや連れていくなんてもっての外であるが、次回からはそれなりには対応してやらないと、後で痛い目を見そうだ。
「ちゃんと反省してますか?」
「……おう」
「なら、いいです!」
驚くほど即決された。
咲夜は、話は済んだとばかりに拍子抜けしている俺の横を通り過ぎ、屋上の扉の元へと駆け出した。
その手でノブを捻りながら、一言。
「……中条せんぱい。中条せんぱいは、中条せんぱいですよね?」
第三者が聞けば、首を傾げるような疑問。だが、俺はその質問の意図を正確に掴んだ。
「お前が、それを望んでくれるのならな。咲夜『後輩』」
「えへへ、もちろんですっ!」
咲夜は満面の笑みを浮かべながら、屋上から姿を消した。
「……ふぅー」
思わずため息を吐く。
何の話かと思えば。
まあ、大事にならなかっただけ良しとしておかないとな。
そう考えて、教室に戻ろうと足を向ける。
が。
屋上の扉を跨ぐ前に、それは鳴った。マナーモードに設定されていた携帯電話が唸りを上げる。お相手は予想通りの人物だった。
『お疲れ様。お姫様は無事守り切れたようね。正直、ここまで早く片付くとは思ってなかったのだけど』
「まあ、途中からいったい誰を守ってるのか分からなくなりましたけどね」
結果としては、姫百合の障害を取り除いただけだ。
『そんなこともあるでしょうよ。もともと相手側から誰を狙うかなんて聞いてないわけなんだから』
「そりゃあ、……そうですよね」
犯行の声明文が出されていたわけでもない。言われてみるとそうなのかもしれないな。
「それで、本題は何です? 単に労いの言葉をかける為だけですか?」
『私の有り難いお言葉に何の感動も抱かない君には減点1を』
いつから俺とあんたの関係はポイント制になった。
『労いの言葉をかけたかったのは本心。それと後もう1つ、貴方の今後について』
「……今後」
早いな。剛さん、もう連絡を取ったのか。
『貴方がその決断をするとは思わなかったわ。……、いえ、逆にそう決断するのが当たり前だったと言うべきなのかしら』
どっちだ。発言の内容が180度違ってるぞ。
『ま、いいわ。今回の功績へのご褒美も兼ねて、しばらく好きにやりなさい。またこちらから連絡入れるから』
「了解です」
俺のその答えを聞いて、師匠は一方的に通話を切った。
※
「――というわけでして、属性変化による強弱は、必ずしも結果に直結するとは言えないです。ですが、『魔法使いの鉄則』の一つに『魔法使いたるもの、相手の弱点属性をつけ』という格言があるように――」
頬杖を付きながら、教師の言葉を右から左に聞き流す。この程度の知識なら、あの拾われた初日に叩き込まれた。そう、初日に。病み上がりだったにも拘わらずだ。「数日は安静にしときなさい」とかいいつつ、枕元で呪詛のように魔法使いについて講義しまくってたからな。
今から思えば、それは一日でも早く魔力の扱い方を覚えさせて、俺の調子を安定させる為だったんだろうけど。
……あれ。
でも、それなら『魔法使いの鉄則』なんて心得的なものじゃなくて、魔力の循環方法とか発散方法とかだけでも良かったんじゃ……。
……やめるか、考えるの。
思い出は、美化できるのならそれに越したことは無いな、うん。
それにしても。
ちらりと横に視線を動かす。
「っ」
俺の視線に気付いて、隣に座る可憐が慌てて目を逸らす。
「……はぁ」
今日は何故かやたらと視線が合う日だ。という表現は回りくどいか。なぜかは知らないが、今日は可憐が俺を意識しているような気がする。今も、こちらが視線を外すなりまたちらちらと窺って来る始末。
……何かしたかなぁ?
そう考えつつ前に視線を向ける。丁度詠唱理論の講師が、最前列の席にて堂々といびきをかく一人の男子生徒の頭を、教科書で叩いているところだった。
※
「聖夜、お昼行くわよ」
「おう」
何ともむず痒い視線を受けながら午前の部が終了し、昼休み。例によって、真っ先に舞が俺の元へと寄ってくる。
「可憐も行くでしょ?」
「はい、ご一緒させて頂きます」
かたりと音を立てながら、可憐が立ち上がる。
「え?」
その光景を見て、思わず言葉を失ってしまった。
「……どうしたの? 聖夜」
「え、……い、いや? 何でも。何でも、……ない」
「おかしな聖夜。行きましょ、可憐」
「はい」
ちょっと待って。やっぱりおかしいよね。なんで舞が可憐誘ってるの? 舞は可憐が嫌いなんじゃなかったの? その光景はバリバリに違和感を纏っていた。
「何してるのよ、早く行くわよ。聖夜」
「中条さん?」
「お、おう」
まあ、仲が良いのは良い事なんだけどさ。本当に何があったんだ。
その違和感はやはり学園内共通のものだったようで、教室を出る時も、廊下を歩く時も、それはもうもの凄い注目を浴びた。当の本人たちは我関せずといった風情で、堂々と世間話しているのだから凄い。
「あ、お姉さま! 中条せんぱい! 花園せんぱい!」
可憐と咲夜がいつも合流場所として決めている下駄箱付近に差し掛かったところで、正面から元気な声が聞こえる。下駄箱に寄りかかり、片足をぷらぷらさせていた咲夜は、俺たち三人が視界に入るなり真っ先に駆け寄ってきた。
「よっ」
「こんにちは、咲夜ちゃん」
「お待たせ、咲夜」
「こんにちは、よろしくお願いしますっ」
三者三様の返事をして、学食へ。
周りから向けられる視線の温度が、ワンランク上がった気がした。綺麗どころが三人も歩いているんだから当たり前かもしれない。
早速女の子トークを始める三人の背中を眺めながら、少し遅れて歩く。俺、気まずいだけだぞ。舞も舞だ。もう他に昼食を一緒に食べる友達を見つけたなら、俺を呼ばなくてもいいだろうに。俺が女の子トークについていけるようになったら、それはただの変態だ。
俺に向けられる視線のみがますます冷たくなっていくのを感じながら、ひっそりとため息を吐いた。
……そのうち、闇討ちとかされるんじゃないだろうな。
※
「あら、咲夜。今日は多いのね?」
「えへへ。3,4時間目の授業が魔法実習だったので、お腹空いちゃいました」
恥ずかしそうに頬を染めながら、可憐の問いに咲夜がそう答える。
……多い? きつねうどんにちょこっとトッピング増やしただけなのに?
「どうかされましたか? 中条せんぱい」
「え? いや、別に」
こちらの視線が気になったのか、ちゅるちゅると麺を啜る作業を止めて、咲夜が小首を傾げてくる。
「……聖夜、昼間から犯罪行為に走ることだけはやめて頂戴ね」
「お前は俺を何だと思ってんだ」
そんな憐れんだ目で見てくるんじゃない。
俺の切実な抗議は、舞の「はいはい」というおざなりな返事で脆くも崩れ去った。
「んんー。それにしても、良い運動したわ。やっぱり気に食わない奴はぶっ飛ばすのが一番ね」
舞が言っているのは、俺が誘拐犯のアジトを襲撃する発端となった可憐の誘拐未遂の件だろう。
「……お前にお嬢様っぽい発言を求めるのはもう諦めたからさ。せめてもう少し穏便な言い回しに変えない?」
戦闘狂か、お前は。
「凄いです。敵の魔法使いさんを、お姉さまを守りながら二人だけで倒しちゃうなんて」
「……お行儀が悪いですよ、咲夜」
「あ、すみません」
何か羨ましそうな視線で舞を見つめる咲夜を、可憐が諌める。自分が箸の先っぽを咥えながら話していたのに気付き、咲夜は慌てて箸を置いた。
「ふふん。ま、あの程度なら余裕だったわね」
咲夜の羨望を受けて、舞が胸を張る。
「自慢すんな」
俺はうんざりする様な声色で、舞を小突いた。
「痛っ、何よ」
「口外はするんじゃないぞ。あの一件は、この学園では無かったことになってるんだから」
「分かってるわよ、そのくらい」
舞はふんと鼻を鳴らしながらそう答える。まあ、舞はそういうところはしっかりしてるから平気か。それにこいつ他に友達居ないからな。うっかり口を滑らせるってことも無いだろう。
……そういう納得の仕方は失礼だよな。
……。
「……ん? どうかしたか?」
思考を切り替え、ふと意識をテーブルへと向けて見れば。
いつの間にか会話は止まっており、三人は無言で俺の様子を窺っているようだった。
「え!? いや、別に何にも」
舞が誤魔化すように口を開く。しかし、うまく話題を見つけられなかったのかそれ以上は話さなかった。可憐は無言で目を逸らすだけ。
そして。
「あ、あのっ。えーっと。あー。うー」
咲夜も、はっとして何かを喋ろうと口を開いたが結局それは人の言葉としては成立せず、徐々に下がっていくボリュームと共に消えて失せた。
……。
ち、沈黙が痛いんだが。
やっぱり皆の様子が変だ。
※
結局。
二言三言話しては沈黙が生まれ、誰かが取り繕うように話題を運び、二言三言話してはまたもや沈黙が生まれるという、学食で初めて顔を合わせたメンバーの空気並みに気まずさが漂う昼食会は、とある教師の声掛けによって終わりを迎えた。
「あ、いたいた。中条君」
「……はい?」
その掛け声に振り返ってみる。そこに立っていたのは。
「白石先生?」
我らが担任の白石はるか先生だった。
「中条君。今日の放課後、少し時間取れないですか?」
「はぁ……」
「じゃあ、放課後は魔法実験室に来て下さい。忘れちゃダメっ! ですよー?」
年上とは思えぬ可愛い釘刺しをしてから、可憐・舞・咲夜の方へも軽く会釈をして、白石先生は自らの食器を下げに回収場へと歩いて行った。
「……まさか、貴方」
「あん?」
舞が、驚いたような顔でぽつりと呟く。
「まさかって、何がまさかなんだ?」
「……別に、何でもないわよ」
そう言うなり、舞は自らのトレーを持って立ち上がった。
「可憐、咲夜ちゃん。ちょっと時間取れるかしら」
「ええ、構いませんよ」
「え? わ、分かりました」
舞の問いかけに、可憐と咲夜も応じて立ち上がる。
「何だよ、もう行くのか? だったら俺も――」
「貴方はまだここにいなさい」
「は?」
「失礼致しますね」
「中条せんぱい、また」
呆気に取られる俺に可憐と咲夜は頭を下げ、既に背を向けて歩き出している舞の後ろへとついて行く。
「……ここにいろって言われても」
俺も既に食べ終わってるんだけど。……どうすればいいわけ?
※
終業のチャイムが鳴り響く。同時に各々の席ががたがたと不規則な音を立て始めた。
「ふぁ……」
欠伸を噛み殺しながら、隣に視線を向ける。バッという音が聞こえそうな程の速度で、可憐が顔を逸らした。
……何だかなぁ。今日は一日中視線を感じる日だった。睨まれているわけでも、その逆色目を使われているわけでも勿論無い。あえて言うなら、こちらの様子を窺うというか、タイミングを見計らっているというか。そんな感じの視線だ。
そのせいで無駄に神経を擦り減らし、いつもよりも余計に疲れた気がした。
「可憐」
「は、はい。何でしょう?」
……なぜ声掛けただけでどもる。
「今日はこの後どうすんだ?」
「え? えーと」
視線が泳いでいる。が、うろうろしていた焦点が、俺の直ぐ後ろの辺りでピタリと止まった。そちらに振り返る前に、そこから声が聞こえる。
「可憐は今日、私と一緒に帰るわ」
そこには既に帰宅の準備を整え、鞄を片手に立つ舞の姿があった。
「そっか」
「何? 貴方、可憐に用事でもあったわけ?」
「いや? お前も昼休みに聞いてただろう? 俺は呼び出しを受けてるんだよ」
何の話があるかはまったく分からないがな。
「……そうね」
俺の発言に、舞の目が僅かに細められる。
「どうした?」
「べっつに~? 行きましょう、可憐」
「はい。それでは、中条さん。また明日」
「あ、ああ」
俺の問いを払うようにそう答え、舞は踵を返した。ぺこりと頭を下げて帰りの挨拶を済ませた可憐が、それに続く。
その何とも表現しがたい微妙な態度に首を傾げながら、2人が教室から出ていく後姿を見送った。
※
「……失礼しました」
音を立てて魔法実験室の引き戸を閉める。
何のことは無い。白石先生からの呼び出し内容は、ずばりお説教だった。
先日、俺は捕えられていた男を尋問する為、舞に頼んで仮病を使って学園を欠席していた。加えて、今日の寝坊名目の遅刻。それに関するお話。
仮病を使って休んだ日のことだが、俺のことを心配してくれた白石先生は、どうやら昼休みの時間を使って一度俺の部屋を訪れていたらしい。誘拐グループのアジトを聞き出す為に、尋問をしていた時間だ。当然、俺は部屋にはいない。
白石先生曰く、俺の部屋に無断で入り込むようなことはせず(教師陣は、寮監から各生徒のスペアキーを借り受けることが可能)、ドア越しにノックと声掛けをしていただけとのことだったので、やろうと思えば高熱でそれどころじゃありませんでしたと白を切ることもできたが、しなかった。本気で心配してきそうだったからだ。
嘘を吐いておいた方が楽だったのは間違いないが、教師としての職務を全うする為という理由ではなく、白石はるか一個人としてここまで真摯に接してこられては、こちらもおざなりな対応はできなかった。この人の天職が教師で間違いなかったということを、俺はこの日無駄に確信した。
昨日の寝坊による遅刻含め、ある程度予想は付いていたのだろうが、俺の口から「すみません、サボりました」という言葉を聞いた瞬間、白石先生は一瞬悲しそうな顔をした後、直ぐにその理由について質問してきた。
どうやら、俺が転校早々いじめにあっているのではないかと疑ったらしい。
だが、残念ながらそんな事実は一切ない。「完全に俺の意思による、外的要因は一切ない純度100パーセントのサボりです」と告げたら、教科書を丸めて叩かれた。……全然痛くない。
それからは、ひたすらにお説教。と、言うものの。白石先生はサボること、遅刻することがどれだけ悪い事かを力説するというよりも、「そんなことしたら、中条君絶対に後悔することになりますよ」という内容で、お叱りというよりもアドバイスや、懇願に近い話し方だった。
『遅刻なんかして、途中から教室に入るの恥ずかしいでしょう?』
『……はい』
『そんなつまらないことで怒られてたら、学園つまらなくなっちゃいますよ?』
『……はい』
『中条君は転入して、まだ日が浅いんですから。今がお友達を作る一番大切な時なんですよ?』
『……そうですね』
終始、こんな感じ。完全なるワンサイドゲーム。クラスメイトの前、教卓でぐちぐち説教されて廊下に立たされたその時より、余程心が持って行かれた。
すみません、もうしません。ごめんなさい。
「……反則だ」
差し込む夕日に目を細めながら、そう呟いた。
くそう。これじゃ本当にもう遅刻も欠席もできそうにない。まさかこの年で『ゆびきり』までさせられるとは。それも素でやっているのだから凄い。
白石女史、恐るべし。
……次、遅刻なり欠席なりをしたなら、あの人泣くかもな。そんなことを考えていると、ポケットの中で振動。震源である携帯電話を取り出し、開く。
『19時に、教会にて』
本文は、それだけ。用件のみ伝えられた、簡潔すぎる文面だった。
「何考えてんだ? あいつ」
教会、か。
咲夜と初めて出会った場所だ。
教会に呼び出していったい何をするつもりだ。舞の奴、教会を使い勝手のいい談話室と勘違いしてるんじゃないだろうな。
ため息を吐きながら、携帯電話をしまう。わざわざ人気の無い時間を選んでまで、教会を指定してくるくらいだ。それなりに機密性は高い用件なんだろう。
「いったい何を言われることやら」
間違いなく、軽い冗談で済ませられる話ではない。
まだ指定された時間まで3時間以上あるにも拘わらず、既に重くなりつつある足を引き摺りながら、俺は再度ため息を吐いた。