雨の日の出逢い
三日ほどで書きあげました。読んでいただけたら嬉しいです。
わたしは雨の日が好きです。
なぜって、唯一堂々と外を歩くことができるからです。
傘という名のシェルターが、人々の視線から私を守ってくれる。
わたしは中二の女子。もう学校へ登校しなくなって、ニか月が経とうとしています。
夏休みが終わり二学期が始まっても、わたしは学校に行かなかった。行けなかった。
もうあそこには行けません。あの場所には行けない。
母親はわたしのおこないを否定せず、
「来るべきときがくれば、あなたは学校に行くようになるわ」
と言って、予期しなかった娘の振る舞いをあたたかく見守ってくれています。
父の気持ちはわかりません。単身赴任のため遠くで暮らす父は、わたしが登校していないことは知らないはず。少なくともわたしは直接報告していません。
わたしは自分を守るため、学校に行かないでいますが、家に閉じこもっていると息がつまりそうな時があります。だけれども、外には出られない。
わたしの家とわたしの通う――――通っていた中学校の距離は近い。歩いて五分ほどです。
そのあいだの道程には、わたしが知っているだけで五、六人の同級生の家があります。中学校とは真逆の方向にある駅目指して歩けば、その十倍の同級生の住居があります。
だれがどこで登校拒否しているわたしを発見するかわかりません。同級生の母親たちも当然わたしの現状を知っているだろう。もう中学二の全クラスでは、わたしの話題で持ち切りだと考えるのは自意識過剰でしょうか。
ともかく世間の目はどうあれ、わたし自身は外出するのに躊躇してしまいます。
それなら夜、遠慮せずに出かければいいという意見もあると思いますが、最近は防犯のためか、わたしの近所は多くの街灯が道を照らしており、わたしはそれに面食らい、門扉を開けただけで家に引き返してきたこともありました。
でも雨は大丈夫。昼間でも外出できる。傘の持ち手を胸ではなく、みぞおち、もしくはそれより下にすれば、顔が隠れる。髪の毛が傘の骨に絡んで引っ張られ、不快を伴う痛みをおぼえるときもありますが、大気に触れる快感を知ったわたしにすればそんなこと些細なことです。
今日も朝から雨が降っている。雨の降る午前十一時は、わたしにとって神聖なる時間です。
いつも散歩気分で出かける。十時五十分、わたしはタオル一枚しか入っていないリュックを背負い、黒のブーツを履き、家を出た。服装は、上はパーカー、下はジーンズズボン。もちろんパーカーで頭部は覆っています。中二の一学期までスカートしか身につけなかったわたしにとって、はじめは腿に当たるズボンの生地はなじめませんでしたが、今ではズボンでないと不安になります。なぜわたしがパンツルックをし始めたのか、説明はもしかしたら不要かもしれませんが、人を欺くため。遠目、いや接近しても男性に見られるように心がけたからです。だから傘の色も青色。
過剰な演出かもしれませんが、わたしは本気だったんです。
わたしの散歩コースは大体決まっています。家の前の緩やかな坂を下っていき、駅目指して歩く。それから駅近くの踏切を渡り、さらに進み、緩やかな斜面に建ち並ぶ住宅街を通り抜け、石段をのぼり、街一帯を見渡せる神社に辿りつく。そこで拝殿まで進み十円を賽銭箱に入れ、天井に吊るされた大きな鈴を鳴らし、柏手を打つ。そして帰路につく。ざっとこれだけで三十分の時間を要します。わたしはこの一連の作業を待ちわび、日夜、テレビの天気予報に釘付けなのです。週間天気予報はアテになりません。断言できます。何回、あれに騙されたことか。
なぜわたしが神社を目指すことになったのか、それは思いつきで、なにも考えず家を出たものの、目的地もない散歩はわたしに多大な不安を抱かせ、とりあえず頭に浮かんだのが、駅を越えた場所にある神社でした。
午前の神社はとても静かでだれもいません。わたしは雨の日外出を、登校拒否を始めてから、六度行っていますが、その一度も神社ではだれも目にしていません。一番初めの神社参拝のときは、お賽銭を持ち合わせておらず、鈴だけを鳴らし、拝殿をあとにしましたが、二回目以降は、十円玉をポケットに入れ、家を出るようにしました。
ちなみに、拝殿で手を合わせているとき、わたしはなにもお願い事をしていません。もちろん、教室にいけますようにとも願ってもいません。ただ手を合わせているだけなのです。
雨の日外出七度目の今日、わたしには、期待していることがあります。それは確か、五度目の雨の日だったと思うのですが、家を出てすぐに、わたしのすぐ前を歩く人がいたのです。
わたしはおそるおそる傘を上げました。もしむこうから対向する人物が歩いてくれば、すぐさま傘の位置をおろせばいい。
わたしの前を歩く人は、白い傘をさして歩いていました。透明ではなく白い傘でした。
多分傘の主は、男の人です。
その日は大雨だったのにも関わらず、その人は白のスニーカーを履き、アスファルトに溜まる雨水を白のスニーカーで踏んで歩いきます。たぶん、靴下まで雨水は浸食していたと思います。
そのままその人についていく形でわたしは歩きましたが、その人は、駅の方向に道を折れていき、わたしは踏切を渡るため直進し、そのT字路でその人とは別れました。
しかしわたしは再び彼と出会ったのです。「彼」です。その日、その人の性別が判明しました。
わたしは前回(五度目)とほぼ同じ時刻に家を出ました。当然、雨の日です。門扉を閉め、道路に対したわたしの視界に飛び込んできたのが、わたしの前を横切る白い傘をさした彼でした。間違いなく六日前に目にした彼でした。一瞬だけ彼の横顔が見え、そのときに男の子だと確信したのです。でも二重なのか、一重なのか、もしくは、鼻が高いのか低いのか、唇は厚いのか薄いのかそこまでわかるぐらいじっくりは見ていません。でも男の子とはわかったのです。その日も彼についていくようにわたしは歩き、前回同様T字路で別れました。
二度あることは三度ある。
次の日の雲行きが怪しいということを知っていたわたしは、その日の夜の天気予報を情報番組で確認し、寝床に入りました。天気予報では、明日の朝の天気は曇りのち雨。降水確率60%。とても微妙な数値です。この日、わたしは中々寝付けませんでした。薄暗い部屋の天井に設置されている円形の照明器具を凝視したり、寝返りを何回もして夜の時間をすごしました。でも午前三時ぐらいには寝つけたと思います。目覚めは、部屋の窓のサッシに当たる雨音に気がついてです。携帯電話を見ると七時を少し過ぎたところ。
わたしは窓を開けました。
空から降ってくる雨粒は大きく、昼過ぎまでやむことはなさそうですが、気象現象はきまぐれです。人間のきまぐれよりマシかもしれませんが、きまぐれなことには違いありません。
わたしは午前十一時を待ちました。そしてその時間はついにやってきてわたしは家を出たのです。
――二度あることは三度ある。
門扉を閉め、振り返るとだれも家の前を往来していません。
わたしは駅の方に伸びる道路に視線を移します。
「あっ!」
思わず声が出ました。その声は、傘、そしてアスファルトを打つ雨音にも負けない大きな声でした。
いたのです、彼が。かなり距離は離れていましたが、間違いなく彼です。彼が雨の中、歩いているのです。三度連続で彼と遭遇したのです。
わたしは急いで彼に近づきます。もう傘の位置がどうのこうの言ってられません。被っていたパーカーもすぐに捲れてしまいました。でもそんなことどうでもいい。
なぜわたしが彼との遭遇を強く望んでいたのか。理由は二つあります。単調に流れる日々に変化を期待していた。これが一つ。もう一つ、それは彼もわたしと同じ境遇なのかもしれないと興味が湧いたからです。憶測ではありますが、そうわたしは考えたのです。彼の顔は一瞬しか捉えられませんでしたが、わたしと同い年ぐらいに見えました。
すぐに彼に追いつきました。今日はいつもより距離を置き、わたしは彼についていきます。今日のわたしの目的地は変更です。もう決めていました、もし今日彼に出逢えたら、彼のあとをつけようと。わたしは歩きながらパーカーを被りなおしました。フードの奥の目は彼を捉えたままです。胸がドキドキしています。こんな動悸久しぶりです。わたしが胸に手を当て動悸を掌で確認しようとしたときでした。前方から車がこちらにむかってきたのです。その車は彼の横を通り過ぎたとき、激しい水しぶきを上げ、去っていきました。 後方にいたわたしからは目視できませんでしたが、彼の半身はずぶ濡れになったと思います。
彼は立ち止りました。どうやら自分に起きた惨状を確認しているようです。自宅に引き返すか? わたしは緊張します。彼がそう考えればこちらを向くでしょう。そうなればわたし、どうしよう? しかし彼はわたしの不安をよそに駅の方向へと歩きはじめました。
そして過去二回彼と別れたT字路まで来ました。彼は前回、前々回同様、駅の方へと進みます。わたしもあとに続きます。
どこに行くのだろう? 駅前のどこかに用事があるのか、それとも電車に乗るのか。電車に乗るのだったら、尾行はそこで終了。わたしは彼に出逢えなかったことを考えて、神社の参拝用の十円玉一枚しか持ち合わせていない。電車に乗りたくてものれません。
垣根を両側に従えて、彼はただただ雨の道を歩きます。しばらくすると視界がひらけました。国道に辿りついたのです。彼は信号が青に変わると横断歩道をすばやく渡り、まだ開店には程遠い居酒屋、煌びやかな美容室、いい匂いをただよわすパン屋、びしょびしょに濡れた洗剤を店の一番前に並べるドラッグストアら他、雑多な店舗群を脇目に黙々と歩き、駅すぐ横にある書店へと入っていきました。わたしも書店の前まで歩を進めたが、入店するのに躊躇します。
――傘を折りたたんで店に入らないといけない
もしかして、書店の中には、わたしのことを見知った人がいるかもしれない。もし店内で知り合いと出くわしても、傘はひらけられない。わたしの顔面は晒されてしまう。
でもそんなことよりも、わたしは彼が店の中でなにをしているのか、いや、彼がどんな書籍に興味があるのか、知りたくて仕方がない。元々わたしは本が好きです。学校に行かなくなって、過去に読んだ本を何回も読み返しています。予想するに、彼は前回、前々回もこの書店に来たのかもしれない。登校拒否をしている彼は暇を持て余し、その時間を埋めるためにこの書店に来ているのかもしれません。あくまでもわたし個人の見解ですが……。そうすると彼も本好きなのかもしれない。彼が手にする本の種類で彼の趣味嗜好が分かるかもしれません。ここで疑問。なぜだ、なぜわたしはそこまで彼にのめり込んでいるだろう。たかだか二、三回出逢った相手にここまでするでしょうか? 彼に好意は持っていません。当たり前ですが。でも気になります。わたしは意を決しました。
傘を折りたたんで、傘立てに差し入れます。彼のであろう白い傘もそこにはあります。あと五、六本の傘がありました。
書店の規模は、各駅停車しか止まらない駅にしてはそこそこの広さがあると思います。店に入ると、まず右手にレジ。左側に週刊誌、月刊誌、その他にバイク雑誌等の趣味関連の書籍が並ぶ棚がある。わたしは本能的に、文庫が陳列されてある場所へ移動しました。わたしはこの駅前の書店には足しげく通っていました。登校拒否する前は週に一回は、必ず赴いていました。だから書店のどこにどんな関係の本があるのか手に取るようにわかります。店内は幸い閑散としていた印象でした。傘立ての傘の本数通りの人が店の中にいたようで、わたしは自分の身を隠すことに注意を払わず彼を探すことができます。それはともかく、わたしが文庫エリアに足を運ぶと、一人本棚に面している男の子がいました。男性という印象より男の子です。そしてわたしがそんな感想を彼に持つのと同時にわたしは彼が、白い傘の彼だと確信したのでした。彼だ、彼に間違いない。
わたしは彼の横顔をまじまじと見ました。
(あれ?)
見覚えがある。見覚えもなにもわたしは彼のことを知っている。
それは雨の日彼がわたしの家を横切った瞬間を見たから知っているのではなくて、もっと前からわたしは彼のことを知っている。彼はわたしのクラスメイトの男の子。
なぜ彼がここにいるのか? この時間、中学校は授業中。もう自分のクラスが何の授業をしているのか、時間割りも確認しなくなって久しいわたしには見当もつかなかったが、傍から見ると元気そうな彼が書店にいることはあり得ないことだった。
わたしの気配を察したのか、不意に彼がこちらに顔をむけた。
「おお、霜村」
おおとは言っているものの、そんなに驚いた様子でもない彼にわたしが逆に驚きました。
「おおって、石井くん、こんなとこでなにをしているの?」
わたしは石井くんが手にしている本と彼の顔を交互に見ながら言葉をかけました。
「何してるって、本買いに来たの」
「今日って学校でしょ?」
「それはおまえにとってもだろ?」
石井くんが笑みを浮かべる。わたしにはその笑顔が不気味に思えた。
「わたしは……わたしはそうだけど石井くんは、そんなんじゃないでしょ?」
「そんなん……か。…………おれもそんなんなんだよ」
「えっ?」
「おれも登校拒否軍団の一員」
「えっ?」
わからない。なに? 登校拒否グンダンノイチインって?
「どういうこと?」
わたしはパーカーのフードを捲り上げた。
「そうか、おまえ知らないよな――」
石井くんはここで息を入れる。わたしの知らないことはなに?
「あのな、今うちのクラスで登校拒否しているやつ、おまえだけじゃねえんだよ」
わたしは沈黙。
「おまえ以外にも、女子では冬野、立花、美濃部、あとだれだっけ。とにかく合計五人はいたなぁ。男子もおれ、木杉、山田、勘崎の四人が軍団の一員となったんだ。先生言ってなかった?」
確かにわたしが登校拒否してから担任の先生が一度様子を見に来たことがありましたが、わたしは部屋に閉じこもったまま先生とは会わず母親が応対しました。母親からの話でも、わたしのクラスでそんな異常事態が起きているなんて聞いていません。
石井くんはわたしをからかっているのか。
「嘘でしょ」
わたしがそう言うと石井くんは持っていた文庫を本棚に返した。
「嘘じゃないよ、ほんとだよ」
石井くんは本棚を眺めながら、返事した。
「もうみんな――少なくとも登校拒否しているやつらは厭気がさしている。あの連中に」
「あの連中?」
と、わたしは知らないふりして石井くんに尋ねたが、見当はついた。石井くんがなにを、そしてだれのことがいいたいのか。
「男子なら、山本、西木。女子は……女子のことはよくわからんけど、たぶん、林、原田あたりの傍若無人な振る舞いにクラスの何人かは、反感を抱いているんだろうな」
やっぱりでした。そう、わたしが学校に行けなくなった理由の根本は、林さん、原田さんから受けた執拗な嫌がらせだったのです。
「でも石井くん、山本くんや西木くんと仲良かったんじゃ……」
「ああ、それは表面的に取り繕ってただけ。おれ、あいつら本心では大っきらい。あいつら性格悪過ぎ」
石井くんは、本棚から本を取り出す。題名の一部がちらっと見えた。『陽射し』と記されたことだけはわかった。
「先生には申し訳ないと思っているけど、おれは当分、学校には行かない。今度もし先生がうちに来たら手紙渡すつもり。山本、西木の悪逆非道な行いを記した手紙を」
「……」
わたしは俯きました。石井くんの履くチノパンが目につきます。彼のチノパンは膝から下は色が変わっていました。石井くんはずぶ濡れの様子です。
石井くんは本をパラパラ捲っているようでその音がわたしの耳に入ってきます。
「これ買お」
石井くんは、そう言うとわたしの横を通りすぎます。
「おまえ、まだ選ぶの?」
「えっ? あっ、わたし帰る」
わたしは石井くんと一緒にレジに並びました。石井くんを待たずに帰ってもいいものだったのに、なぜかわたしは石井くんのうしろで会計を待っていました。会計が終わると、二人して店を出ました。
「雨やんでる……」
「おっ! ラッキー」
石井くんは、傘立てから傘を抜き取ると、当然傘はささずに閉じた状態で手に持ち歩きはじめました。
――ラッキー
石井くんの言葉がわたしの脳裡にこだまする。
彼は、雨の日を選んで外出していたわけじゃないんだ。
わたしは彼の背中を見ながら、笑みを浮かべた。
わたしは歩きだした。もちろん傘はささずに。
了
最後まで読んでいただいてありがとうございました。次は中編以上の作品を書きたいと思っています。