おしとやかさん
二人は洞窟の中を歩いています。何故こんな所にいるかと言うと、少女が石に足をすくわれ、井戸に落ちてしまったからなのです。井戸の底は道が続いており、洞窟になっていたのでした。
怪物は慌てて少女を追いました。井戸は狭くて降りるのには苦労しました。
幸い少女に怪我はありませんでした。井戸はそれほど深くなかったのです。
しかし自力で登るには高過ぎたので、二人はそのまま足を進めることになりました。
「小屋からロープを持ってくればいいだけの話だったじゃないの」
「すまん」
少女は口を尖らせますが、すぐににこりと笑って、でもありがとうと言いました。
「真っ先に私の所に来てくれるなんて思わなかったわ。あなた臆病だもの」
「悪かったな」
今度は怪物が口を尖らせました。
「怒らないで。私、本当に嬉しいんだから」
二人はすっかり友達でした。友達ということを意識しなくとも、それを感じられる程でした。
「まあ良い。さっさとここから出よう」
怪物は話を打ち切りました。恥ずかしかったのです。お礼を言われることがこんなにもムズムズすることを怪物は知りませんでした。
少女はそんな怪物の気持ちを知ってか知らずか、そうねと一言返しました。
洞窟は長く、いつまで経っても出口が見つかりません。
「出口なんてあるのかしらね?」
「そう言うな。気持ちが萎えてしまうだろう」
「わからないわよ? 出口があるなんて私たちの想像でしかないんだから。想像ではないわね。期待よ。期待というのは裏切られる為にあるようなものなのだから、出口がなくったって何もおかしなことはないわ。もしかしたら私たち、ここで骸骨になってしまうかも」
少女は脅かすように言います。これは怪物をからかっているのでした。しかしそれは少女の精一杯の冗句だったのかもしれません。
「恐ろしいことを言うなよ」
そう言って怪物が肩を落としたときでした。頭上から、心配には及ばぬよとしゃがれた声がしました。
二人が上を見ると、天井に一匹のコウモリがぶら下がっていました。
「こんにちは。こんな所にお客さんとは珍しいのう」
老いたコウモリは牙をむき出しにして笑いかけます。
「出口へは儂が案内しようではないか。尤も、出口の少し前までしか案内出来んがのう」
コウモリは光が苦手ですから、太陽の光の下には出て行くことが出来ないのです。
「本当ですか? ありがとう御座います。私たち、どうしようかと心配で仕方がなかったのです」
少女は淑やかに頭を下げました。怪物はもう少女の変化に驚きませんでした。
「ほら、あなたもお礼を言って」
少女が怪物を促します。
「ありがとう。爺様」
「済みません。彼は礼をよく知らないのです」
「構わんさ。儂も礼には疎い。彼は昔の儂に良く似ておるよ」
コウモリは心が広いようです。
「さあ着いてきなさい」
コウモリはそう言うと、天井にぶら下がったまま歩き始めました。
「爺様は飛べないのか?」
「儂は飛ぶのをやめたのだよ」
そう言うコウモリの顔は少し寂しそうでした。
「どういうことですか? 飛ばなければ狩りが出来ません。飢えてしまいます」
「儂は狩りと言うものを知らん。いや、知らん訳ではない。勘違いをしていたのだ」
二人は首を傾げます。狩りとは食べ物を確保することなのですから、勘違いも何もないように思えます。
「儂は動物の血を吸うことが、狩りなのだと思っていた。しかし違ったのだ。儂の初めての恋人は、木の実や草を食べていた。最初は恋人の方が変わっているのだと思ったのだがな。彼女の家族も、友人も、皆そうして狩りをしていたことが判った。ビックリしたもんだ。同時に恥ずかしくなった。自分は今まで貪欲に他の動物の命を吸って生きてきたのだ、という罪悪感から、儂は恥ずかしくなったのだ。だから、こうしてここで飛ばずに隠居しておるのだよ」
コウモリは語り尽くしたようで、そのまま黙ってしまいました。怪物にはコウモリの羞恥心が何となく判る気がしました。気がしたと言うだけで、確信ではありません。それはフワフワとした、宙ぶらりんな同情でした。
「お爺さま、そんなに恥ずかしがることはありません」
少女は優しく微笑み、頭上に向けて声を発しました。
「コウモリは木の実や草だけでなく、虫も食べるのです。あなたと同じです。命を食べているのです。それに植物や木の実だって立派な命。そしてそれらを食べるのは人間も狼も鳥も変わりません。すべての生き物が命を食べて生きているのです。何も恥ずかしがることなどないのですよ」
その言葉にコウモリははっとして、一言そうかと言った切り黙り込んでしまいました。
沈黙の中、三人は歩き続けます。暫くすると洞窟内が少し明るくなってきました。
「ここを真っ直ぐ行けば出口だよ」
「どうもありがとう御座いました」
怪物も少女に合わせて頭を下げました。
無事に洞窟を抜けることが出来そうです。二人は光へ向かって歩き始めました。
コウモリは何も言わずに洞窟の中へ飛んで行きました。