其の十三の七
未登録者の電話…?
携帯のディスプレイを覗くと、それは携帯でも公衆電話からでもなく、誰かからの電話番号だった。
警察の人たちからかもしれない。そう思い、警戒しながらも携帯電話の通信をONにした。
「もしもし、どな」
「あなたね!!?鈴ちゃんを誘拐したのは!!」
キィィイインと音が耳に響いた。あまりにも相手方の声が大きかったからだ。
声は女性で、なかなか可愛らしい声音をしていたが、今ヒステリックに陥っているのか、短い言葉の中で何度か声が裏返っていた。
ってか…。この人、今なんつった?
僕が鈴ちゃんを誘拐しただって?
冗談はやめて欲しい、捜索しているのはこっちの方だ。
「あの、一体何を言って」
「黙りなさい!!分かってるのよ!!今ドコ!?今スグそこに警察を向かわせるから!!」
警察、と言う言葉で、耕輔は背筋を凍らせた。
どうして僕が警察に追われなきゃならないんだ!?
脈略も何もないが、その言葉は耕輔を恐怖に至らしめるには十分過ぎた。
「ちょ、待って下さいよ!俺は」
「もう逆探知出来たわよ!!見苦しいマネはしないことね!」
ブツッ…ツーツーツー…。
そんな…馬鹿なっ!!
ビル街。午後8時20分。
律佳はビルの山を跳んで走っていた。においも足跡もない状態では捜しようがなかったが、鏡によると、どうやらこの辺りが怪しいらしいのだ。次の話しから推測出来ると鏡は言った。
7時40分頃に犯人からの電話があった。と言っても耕輔や智香、ましてドク太にではなく、鈴の“家”に電話が入ったのだ。鈴の家とは、勿論耕輔宅ではない、両親がいる家のことを指す。
どうやら彼女は、とても恵まれた家のご令嬢だったようだ。ということは可能性として、金目的で鈴を誘拐したと考えられる。だがそれは可能性ではなく、確実になった。犯人の電話の内容は、娘を返して欲しければ今日中に5000万用意しろと言うものだったのだ。そう、つまり犯人の目的は、鈴ではなく金であった。
それがどう犯人の場所特定繋がるかと言えば、場所が問題だと言う。正確に言えば、位置関係だ。
耕輔宅から約1時間20分で来れる位置がこのビル街ということと、鈴の家がこの真っ直ぐ2時間ほど行けばあると言う事実がその理由だった。金を今日中に用意しろ、ということから、急ぎであることは明らかであるから、鈴の家へ近付こうとするのは当然だ。さらに犯人、彼は、または彼らが本当にライドだった場合、その可能性は高くなる。ライドは人間、警察など怖くないのだから。
しかし…仮にこの場所に犯人が潜伏しているにしても、発見は困難になるだろう。視界も利かず、ビル外で死角が多い。これでは音しか頼りにならない。
どこなの…!鈴ちゃん…!!
ビルからビルへと、跳びながら、必死に音を探す。数分しか経ってないのに、とても長い長い時間跳び続けているように錯覚してしまう。…静か過ぎて…苦しい…。
その時だった。
ドカンと何かがビルに突っ込み、衝撃で壁がいくらか吹き飛んだ大きな音がした。
まさか!?
律佳はコンクリートの床を蹴って、その音の方へ滑空した。
現場へ着くと、そこには確かに“ぶつかった跡”があった。もの凄いスピードでぶつかったのかと思うほど規模は大きく、大穴が開いて壁が崩れている。でも
車がぶつかったんじゃないんだ…?
普通炎上するだろうが、その様子もなく、勿論車自体も見当たらない。
じゃあ何がぶつかったんだろ…?
瓦礫の山となった場所へ歩を進めると、小さいうめき声と、ある人物の姿が見てとれた。それだけで律佳の気が動転しそうになる。だって・・・
「ちぃちゃん!!」
「う…」
信じられなかった。
けれど、その事実は揺らぎそうになかった。
傷だらけの智香に急いで走り、そっと体を持ち上げる。べっとり手に血がついた。
この時、律佳は“何か”の違和感に気付いた。智香が血まみれだから?何故彼女がここにいたのかが分からないから?私が焦っているから?ひっくるめて全部なのだろう。
「どうしてっ…!?どうしてっ!?」
ぶわぁっと水が零れ出して、真っ赤な智香が時折歪んで見えなくなる。
「り、律佳ちゃん…落ち着いて…」
「そんなの、無理だよぉっ!」
「律佳ちゃん…」
呼吸は整っているが、智香の眼は揺れていて、すぐにでも消えそうだった。律佳は思わず叫んでしまう。
「死んじゃイヤァ!!」
「私は…死にませんから…」
嘘だ。このままだったら、死んでしまう。律佳は慌てて鏡への通信を開いた。誰でも良かった。とにかく誰かに伝えなければならないと思ったのだ。
何も知らない鏡が無愛想に返事する。
「どうした」
「バカァ!!!」
「…?」
突然馬鹿と言われ、さすがの鏡も動揺したようだ。
「何があった」
「何で言ってくれなかったのよぉ!!」
鏡はレーダーで智香を追っていたはずだ。
「落ち着け」
「無理だよぉ!!だって…」
「…何だ」
「だって、ちぃちゃんが――!!」
バチン。
律佳の頬に鮮烈な痛みが走った。
「う…え…?」
まだ頬に涙が伝っている律佳に、智香が突然ビンタしたのだ。その衝撃で、内蔵された無線は故障したのか、ノイズばかり拾い始める。
智香が律佳の眼をグッと睨んだ。
「甘えるのは…やめて下さい…」
「ちぃちゃん…?」
「…律佳ちゃん…この区域には…私を殺そうとしたライドがいます…。なのに、あなたがそれでどうするんですか!!?死ぬ気ですか!?鈴ちゃんを捜し出して、耕輔クンのもとへ行くのではなかったのですか!?」
猛烈な勢いで言う智香。律佳はハッとした。
「この、区域に、ライド、が…?」
「そうです…。恐らくそれが…」
鈴誘拐の犯人・・・。
「律佳ちゃん…私は、サポートライドなのでそのライドを止めることが出来ませんでした…敵は強くて恐ろしいです…一度鏡さんたちのところへ戻り、体制を整えてください」
心配そうな律佳の顔に、智香は笑った。
「私なら大丈夫です。だから、さぁ…」
「う、ううっ…!」
「泣かないで…お願いだから…」
智香は血だらけの手で、律佳の頬を拭ってやった。優しく。
律佳にはその手が弱弱しくって嫌だった。飛んで行ってしまいそうで…離れていってしまいそうで…。
「だから…行って…」
はたと手が落ちた。眼は開き、どこへやらとうつろいで行く・・・。
「ちぃちゃん…?」
体を揺すってやるが、首がグラグラと揺れるだけ。それはまさに、よく出来た人形のようだった。
「……」
死んだ。
智香が死んだ。
律佳は悟った。
突然智香が気持ち悪く思えた。
腕から落とし、両手を見ると、血だらけ。
「イ…!!」
ナニ…コレ…!!
「イヤァァ!!!」
さらに気持ち悪くなって、手で血を落とそうとするが、べったり手にこびりつくだけ。
「いやぁぁ!!イヤァァ!!!」
取れない、取れない、気持ち悪い、キモチワルイ。