其の六
ある日猫を踏んでしまった、
「みゃあ!!」
「あ、ごめーん」
律佳がいた。
ここは近所の守盥公園。住宅街から近いので、柵で囲まれているが、結構な広さがある。遊び道具はいたってフツーで、滑り台や砂場、シーソー、ブランコ等。
その公園の砂場の横で、事件は起こった。
「見たことないカタチだな…キミ、なんての」
律佳は猫を踏んだことがない。もとより、猫を知らないのである。情報を主として嫌う律佳は、極限的にモノを知らない。驚異的知識を誇るなら、食べ物に関することか。
「みゃあ」
猫はすっかり落ち着いた様子で、答えた。滅多にないことだが、踏まれ慣れているのかもしれない。
「みゃあ…?変な名前だね。じゃあみゃあクン、家はどこ?」
「みゃあ」
「名前じゃないよ、家を聞いてるの」
「みゃー」
猫は歩きまわるのをやめ、尾を巻いて座った。律佳もしゃがみ込む。
「ねってば。しゃべれないの?」
「みゃお…」
「そういえばドク太も喋れなかったもんなぁ」
ドク太とは、隣の隣の家の人の犬の名前だ。
「みゃあとは違ったけど、ワンしか言わなかったよ」
言いながら、猫の頭を撫でてやる。
「にゃあー」
どこかしら笑っているように見える。と思うと、みゃあは何かを思い出したらしく、いきなり駆け出した。
「あ…!ちょっと待ってよ!」
まず猫は手頃な木に登り、頂上から周りを見回した。律佳は、そこをひとっ跳びで登った。
「みゃあ!?」
何故かみゃあが毛を思い切り立て、ビクゥッと擬音を出した
「ナニ?」
とりあえずみゃあは、その恐ろしい出来事を置いといて、周りを見渡した。
「よお、母さんでもいんのかよー?」
律佳も一緒に探してみる。
「み!!」
発見したようで、みゃあはそこを飛び降りて、その場所へ向かった。律佳も慌てて追う。
「みゃ!」
と何故か仁王立ちで爪(指)さした方は、魚屋だった。
「ここお前んち?」
「みゃ!」
「ふーん…」
と納得していると、店の店主が出てきた。
「へい、らっしゃい!」
「あー、いえ。見てるだけだから」
「そうですかい…」
何故か恐ろしいほどどよんとする店主。律佳はいつものように小首を捻った。
「何でそんなに落ち込むの?」
「いや、よく盗られるんすよ、魚が」
「魚が?」
「ええ…ほら、そこの猫ちゃんのような猫に・・・ってあああ!!」
その猫――みゃあが、一匹の鮭を今持ちさらんとしていた。
「っこの!」
乱暴に捕まえようとしたところを、その突進する力+上への突き上げ運動の拳を、律佳が放った。アッパーだ。
「うお…ッ」
店主は約2mほど打ち上げられ、自由落下で落ちた。その頃には、律佳とみゃあの姿は完全に消えていた。
「にゃあ」
律佳はどこからか袋を仕入れて、盗んだ鮭をそこに入れ、みゃあを抱いて歩いていた。
「いきなり攻撃しようとするなんて卑怯だよね」
「にゃあ」
「せめて、いくぞコラーくらい言って欲しいよね」
「にゃあ」
「…いきなりしっぽ踏んだのは、いいの?」
「にゃあー」
心なしかみゃあが笑った気がしたので、律佳は許されたんだと納得した。
「みゃあ!!」
突然みゃあが律佳の手を離れ、道路の脇の溝へ入って行った。
「あー、もう、またぁ…」
律佳がそこを覗くと、違う猫がいた。みゃあより大きい。多分みゃあの母だ。しかし律佳には、それが分からなかった。ライドに両親などいない。しかし代わりに思った。それは・・・
「みゃあにも、こうすけがいるんだね」
にっこり微笑んで、袋に入った鮭をそこに放した。理由は分からないが、何故だかそうしたくなったのだ。それをみゃあは喜んで、みゃあみゃあ鳴いた。
律佳にとってもうここに用もないので、彼女は立ち去った。
いや――。去れなかった。動けない。何故だか離れたくなかった。さびしい、もう会えないかもしれない。そう考えると…。そうゆう感情が初めて生まれた瞬間だった。だが――
次の時には、律佳はそこにいなかった。
目から“水”が出てくる。止まらない。止まらない。よくわからない。そのおりみゃあの顔が浮かんでくる。幸せになるといいな。
とりあえず、私も帰ろう。こうすけのところへ。