其の十一の十八
「これで、コピー律佳は止まったハズです」
五郎は慣れた手つきでキーボードを打ち終えた後、無表情でこちらに向き直った。
耕輔たちは確認のため、その部屋に備え付けてある、試験場のビデオを受信する画面から、試験場を覗く。
そこには、うつむけに倒れ手を伸ばしたままのコピー律佳と、手を伸ばされた律佳の姿が近距離で映し出されていた。下方、さらに背からの映像であったため、律佳の表情は知れないが、うなだれているように見える。
智香はその画面を食い入るように見つめ、
「律佳ちゃん…」
一言漏らした。とても悲しそうに。それが、彼女がもたらした結果だったのにも関わらず。
何故なら、試験の話しを律佳と耕輔にもちかけたのは、智香以外の誰でもなかったのだ。そんな彼女が悲しい思いをするハズがない。
が、それでも彼女は、悲しいのだろう。
自分に嘘をついて、二人に話しをもちかけたのかもしれない。この結果が予想できてもなお、これより他末路がなかったことを知っていたのかもしれない。彼女は、頭がいいから。
これ以外の選択肢は、耕輔と律佳が切り離されてしまっていたからだ。
続いて耕輔も一言呟く。
「律佳…」
思えば、彼女はここまでツライ思いを体験したことがない。殺るか、殺られるか。
二歳の赤ちゃんにそれを押し付けているようなものだった。そんな酷な事、普通出来ないし、周りもさせない。なりもしないかもしれない。
けれど…。乗り越えて、彼女は…やっと到達したようだ。悲しみに。
今まで、長い長いユメを見ていたのだ。いい、ユメを。
こうしたい、ああしたいと思えば何でも出来た。彼女は頭が悪かったから、そのユメは小さいものだったけれど、力があったから、その小さなユメを120%実現出来た。でも今、力があろうと、頭が良くなろうと、悲しみしかない結果をやっと招くことが出来た。
彼女はこれで知ったハズだ。人の悲しみ、憎しみ、恨み、嫉妬。何故そうなるか、ならないか。二歳にして・・・全てを知ったようなものである。
「これで律佳は成長しただろう。良い結果とは言わないが、それでも得たものは大きい。これからの時間を目一杯過ごすのだ…耕輔」
やはり無感情な声で、鏡が言った。しかし彼にしては、珍しい言葉であった。助言、というのだろうか。励ましとも言うかもしれない。彼がそう言う他人へのプラスになる言葉を発した数は、驚くほど少ない。
「ああ、分かってる…」
俺だって、後悔したんだ。何故律佳の気持ちを汲み取ってやれなかったのかと。どうして正直に、彼女を思えなかったのかと…。
「耕輔、気に止むことはないだろう」
鏡が耕輔の心内を読んだように言った。
「お前は…。そう。優しい。だが自分に厳しい所がある。それを若干緩めてやればいいだけの話だ」
彼はじっ耕輔の眼を見つめ、
「律佳とともに成長しろ。耕輔」
楔を心臓にうちつけられたような気分だった。だが、それは同時に優しい気持ちにもさせてくれた。
律佳とともに…
それがそう思わせ、同時に衝撃も与えたのかもしれない。
黙ってそれらを見つめていた無感動少年、雄谷は、画面から視線を五郎に振り返した。
「…五郎さん。データは」
突然の問いにも関わらず、五郎は慌てずに、
「…とれませんでしたな」
と笑ってみせた。その愛想笑いに愛想で返そうともせず彼は続ける。
「そうですか。それは残念ですね」
「…ええ」
「……」
「……」
沈黙。そして、
「条件があります」
やぶからぼうに出たその言葉と、空気から、五郎は“データをやるから、律佳を残せ”と言う雰囲気を察して、
「なんでしょうかな?」
と分からないフリをし、答えた。しかし雄谷には分かっていたようだ。
「お察しの通り。律佳さん・・・そして智香さん。僕と鏡を耕輔宅に残ることをお許し下さい」
まさかこれらを仕組んだ張本人、智香まで残してくれと言うとは。
初老は目を真ん丸くして驚いたが、やはり温和に笑って、
「わかりました。出来る限りそうさせて頂きます」
と、答えたのだった。