其の十一の八
「そうでしょうね、残念ですけど…」
智香までそう言い始めた。耕輔は焦って言葉を出す。
「ま、待ってくださいよ!壊れる?何で試験で壊れる必要があるんですか!?」
言葉が少し荒げても、気にすることなく叫んだ。初老の表情は変わらない。
「然るべきことなのでしょうな。ここで壊れるならば」
「そんな…!!」
そんなこと、あってたまるか!“死ぬ”ことが、然るべきことなんて…!!
「やめます!そんな試験、律佳に受けさせられません!!」
「駄目ですよ…耕輔クン」
睨むような視線が耕輔に突き刺さる。智香である。
「あなたがそう決めたんです。律佳ちゃんと一緒に…」
「僕は知らなかった!」
「私も知りませんでした。あなたがそんなに軽薄だったなんて」
もうなにがなんだか分からない。何でそんなこと言うんだ。耕輔は頭に血が上っていた。咄嗟智香の襟首を掴み上げたのだ。
「お前は律佳が壊れてもいいのか!!?」
「……」
智香の表情は鋭いまま。ぐらぐらと襟を揺らしてやって、グイグイ掴みかかる。
「なんとかいったらどうなんだ!?お前にとって、律佳はそんなもんだったのかって聞いてるんだ!」
彼女は数秒その表情のままだったが、気抜けたように吐息した。
「自分のことを人に押し付けてどうにかしてもらおうって言ってるんですか?ありえません…どうしようもない、馬鹿ですね」
間違ってもこの台詞は智香が吐いたのだ。しかし耕輔の耳には、もはや怒りを増幅させるようにしか聞こえない。
そして殺気にもかられた。智香を激しく憎み、今にも首をもぎ取ってやりたい…!!そうでなくても、一発くらい殴り飛ばしたい。
「……!」
「…。殴るなら殴っていいんですよ…?」
挑発的に彼女は言う。今の状態なら、一発くらい殴ったって、罰は当たらないだろう。だからといって何が変わるわけでもない。
どうする…!!
彼は…。
「…くそっ…!」
智香を投げ捨てるように襟を離した。彼女は襟首を整えて、また険しい目つきになり、
「あなたは本当に弱いですね…」
と言い残して、フラフラした足取りの律佳の両肩を持って、奥の扉に消えて行った。
「さて、準備にとりかかりますのでこれで」
初老は何もなかったかのようなにこやかな表情で一礼し、来た扉を帰って行った。
数秒耕輔は突っ立て、放心していたが、やがて、
「ふう…」
ソファにドスンと座り込み、一息ついた。そこへ鏡が対向に、その隣へ鈴、耕輔の隣には雄谷が座った。みんな見守っていたらしい。ただ鈴は、まだ頬をプクと膨らませていた。
「あなたはどうしてそう素直になれないのですか?理解できません」
淡々と表情のない声の雄谷が耕輔に言う。
「別に…。頭に来てたからな…でもだからって、何してもいいってワケじゃないだろ」
思い出すだけでも腹が立つ。が、ここはグッ堪えよう。雄谷が言ってきているのは、何故殴らなかったか?ということだ。
「それが素直じゃないと言うんです。もっと自分に正直になるべきだ」
「殴れば良かった、そう言いたいのか?」
これはちょっとした皮肉が混じっている。しかし、
「肯定です。殴るべきだった」
「……」
まるで怒りを必死に落ち着けた自分が、ダメ人間だと言われている気分だった。
「お前なら殴るのか?」
「いいえ」
「 ? 」
「あなたと同じコトをするでしょうね」
「だったら――」
「いいえ」
間を置き、雄谷は今までにない顔で、遠い眼をした。
「僕はライドです。あなたは人間。人間なら、自分に正直に、素直になるべきですよ」
…。なんとなく、その表情は“悲しそう”だった。いや、無表情なのだが、どうしてか…。
そこで思う。
人間なら、正直に、素直…。
…今の律佳は…?
何を考えているんだろう…律佳は…。
初めて律佳の気持ちを考えた時であった。