其の十一の五
「思い上がるなよ」
「え」
心を読まれたかと思うほど適切な言葉に、耕輔は思わず背筋を伸ばした。
「お前の責任ではないが、お前が解決すべき問題だ」
とそれだけ言い終えると、鏡は何事もなかったように食事に戻った。
それはそうだろうが・・・一体、どうしろって言うんだ。
温度は適温。これでいい。
「はぁあ・・・」
が、それには関係なく、律佳は深く湯船につかり、何度か目のため息をついた。
どうして素直になれないんだろ・・・。
彼女は思い悩んでいた。そのことに関して。今まではそんなこと、考えもしなかったから。自分がやりたいように、自分が思っているように、自由にやってきた。それが今どうだろう。何かに縛り付けられ、必死にもがいているようではないか。何がそうさせている?何が私を縛り付けてる?分からない・・・。
けれど、そこにこうすけが見えるのは確かだった。彼のことを考えると、とてもふわふわして暖かい気分になるが、逆に終わりのない穴に落ちていくような錯覚も覚える。
だからどうだということはない、ただそれだけ、それだけなのに。どうして八つ当たり気味になるんだろう。自棄になるんだろう。それも分からない・・・。
「はあ・・・」
またため息をつく。それよりそうだ、試験のこと考えておかなきゃ。自分にはまだやるべきことがある。忘れよう。今の気持ちは。合格するまでは・・・。
その日律佳と耕輔は、一度も顔を合わせず、就寝時刻となった。
寝床に入ると、律佳は鈴におやすみと言って、電気を消した。
・・・あれ?
鈴は眠れないことと同時に、律佳のいびきではない、何かの音に気付いた。これは・・・。
ぐすっ・・・ぐすっ・・・何で・・・。
泣き声だった。
翌日の朝。耕輔はいつもと変わらぬ調子で歯を磨いていた。彼はいつも人より早く起き、自分の朝食を平らげ、こうやって準備万端にしておく癖があるのだ。言わずも律佳との五ヶ月が影響している。
そこへ、トントントンと軽い音でフローリングの廊下を歩いてくる足音が聞こえた。
それは丁度洗面所の前に止まり、こちらに向いた。ので。ああ、これは鈴だな、と思い歯磨きを中断し、
「おはよう、鈴」
挨拶した。が挨拶が返ってこない。代わりに怒りのこもった瞳がこちらを睨んでいる。
「・・・どうしたんだ?鈴。昨日も律佳のせいで眠れなかったのか?」
「そうだよ」
返してきた声も、その大きな瞳と同じくらいの怒気が宿っているように感じた。理由はきっとまた眠れなかったせいだろう。
ははーん、やっぱり。全く律佳は・・・大人気ないな。
「はー・・・律佳もしょうがないやつだな・・・」
彼は頭を掻いて、明後日の方を向いた。
「バカ!!!何も分かってないじゃない!!!」
突然予想もしなかった怒声が洗面所に響いた。
「は、はぁ?わ、分かってないって・・・」
急な出来事に動揺しまくりの耕輔だが、構わず鈴は、フンとでも言いたそうに視線を外すと、ダイニングの方へ行ってしまった。
「な、なんだぁ・・・?」
それの意味は分からなかった。別に変なことは言っていない。それに何が「分かってない」のだろうか。
その時呼び鈴が鳴った。まだ早いが、この時間なら智香が来たと推測していい。
耕輔は玄関に向かいながら、試験出場させる意を伝える言葉を練る。
ガチャリと玄関の扉を開くと、やはりそこには、青い髪を揺らした智香が立っていた。
「おはようございます。耕輔クン。決まりましたか?」
応答待たず、聞いてくる。智香にとってもこれはかなり重要なことだからだろう。律佳は智香にとって大事な大事な人だから。
「ああ、勿論」
勿論、試験は出場させる。