其の十一の三
「なに笑ってんのさ?」
不意に隣から声をかけられ、耕輔は顔をかたくした。話しかけてきたのは、言わずも律佳。
「べ、別に」
「ふーん」
耕輔の顔から黒板に視線をかえ、彼女は数字が書かれた黒板の内容をノートに書き写す作業を再開する。
「・・・・・・」
黙ってその様子を眺める耕輔。
・・・意外だ。
というのも、律佳は元来から授業を聞きもせずいつも寝ているか、ノートにラクガキしているからだ。
しかし、それをどうしてだ、とか変だ、とか言うのは、今日は何だか酷だと思った。
律佳も頑張ってるんだよな・・・。
時は進み、昼の時間。律佳にしては珍しく、彼女は耕輔と机を合わせた。
「今日はまたなんで一緒に食べるんだ?」
「うーん・・・まぁ、色々あるよ」
彼女は笑顔でそう答えた。
「その色々が聞きたいんだが・・・」
「そうだねー・・・なんにしよう」
「なんにしようって、お前な・・・」
「私はさ・・・こうすけが大事なんだよ」
そこでにっこり笑って彼女が言った言葉に、彼は突っ込めなかった。崩すことも追求することも、なんとなしに避けたくなったからだ。
と言うのは嘘で。
本当は、何とも言えない感情が喉まで昇り詰めてきたからだった。
だが、俺も律佳が大事だ、なんてすっぱり言えるわけもなく・・・。
・・・これは、近い感情かもしれない。彼女が好きだってことに。けど、それは違う。
一緒にいたい。それだけだ。
帰り間際のホームルームも終了し、暗い雲がのしかかる空の下を歩いている途中だった。
「分かってるよね?」
「え・・・?」
どこかで聞いたフレーズを、隣で歩く律佳が、唇を噛みしめながら、笑ってきた。意地らしい姿である。
「私がいなくなるってことだよ。引退なんだ。聞いてるでしょ?」
「・・・・・・」
答えていいものか戸惑う内容だった。律佳はその様子を窺い、思いついたように鞄を探ると一枚の紙を取り出した。
一瞬その紙を見た耕輔の目にもわかるくらい、良質の紙に“辞令”と大きく紙に振ってあった。
「ちゃんとあるんだよ。ほら、辞令も・・・あ」
耕輔は無言でそれを律佳からひったくり、真剣な目つきで黙読した。そこには確かに、律佳異動の文字。
「ね。だから・・・うーん・・・」
日付は明日午前10時。
「今日と明日は私の言うこと聞いてよ」
「そうだな・・・」
「え!?ホント!?」
律佳は顔をほころばせたが、彼が思ったことは、律佳への応答ではなかった。
「・・・律佳は聞いたか?試験の話し」
「・・・え・・・しけん・・・?」
彼女は立ち止まり、ほころんだ顔を一瞬で青ざめさせた。彼も立ち止まり、その尋常でない表情をすぐに読み取る。
悪いこと、言っただろうか。