其の十
窓を開くと、そよそよとカーテンが青空に揺れた。外からは小鳥のさえずり。心地のいい風が頬をかすめていく。
隣には、まだベッドで横になっている一人の男子――耕輔がいた。
「こうすけー、起きなよー」
聞き慣れた愛嬌のある憎むべき声が、眠りのなかに深く深くいた耕輔を起こした。頭が重い。勿論まだ起きようという気はなく、彼はそれを無視して眠ろうと思っている。
「ねえってばー、起きようよー」
今度は肩を掴んでぐいぐいと肩を上下させられた。ちと痛い。が、だからといって起きる気は毛頭ない。
「もお〜・・・起きてっ!!」
声の発生源が顔に近付いたのか、声が大きくなった。もとより大きい声だったが、倍加したように感じる。
「起きてってば!!この・・・!!」
ドボンと顔の横に腕が突き刺さった。共にベッドの白い羽毛がぶわっと宙に舞う。耕輔は眼を開けてしまっていて、顔が固くなった。言葉も失い、勿論眠気も失って、次にその腕の主を見た。
「・・・・・・」
「起きた?」
にこっと屈託なく笑うその少女は、まさしく律佳であった。って言うかなんでいるんだ。さして律佳が帰ってきているということに驚く様子もなく、耕輔は時計を見ると、
「まだ五時じゃねぇかぁ・・・」
眠そうに眼をこすりながら、彼は脳をフル回転させた。とりあえず律佳がここにいることよりも、彼女が朝五時と言う常人並みの早起きにまず驚ける。彼女は朝に滅法弱いのだ。学校には絶対遅れなかったが(例外アリ)。
「あはは!驚いてる驚いてる!!」
律佳自身も、ここにいる、と言う意義ををたてないところを見ると、際立って、律佳がここにいるという事実は異常なことではないと判断できる。どちらかと言うと、耕輔の思惑通り、朝五時に起きたぞと言うことを主張しているような態度でもあるし。
「決まってんだろ・・・。でもなぁ・・・お前ならよ、昼頃から帰ってきて、まずいきなり昼飯食いそうなもんなんだが・・・」
聞いて彼女は眼を真ん丸くした。何か変なこと、言っただろうか。
しかしどうやら、推測は大幅に外れていたようだ。
「・・・そーすればよかった・・・学校も面倒くさそうだしなぁ〜・・・」
自身のことながら気付かなかったらしい。アホだ。
それより意外だ、彼女が学校を面倒くさいと言うとは。彼女は無類の学校好きなハズなのに(推測)。また何か学校に厄介ごとでも抱えているのだろうか。・・・いや、それならとうに抱えすぎている。
「・・・それよりー・・・」
「ん?学校の準備?」
律佳の発言を無視して、面倒臭く頭を掻くと、耕輔は言った。
「今日さぁ、日曜なんだよね」
「おかえりなさい!!律佳ちゃん!!」
「うあおおおう!?」
水を一杯飲んでから、耕輔は朝もはよからこんちゃ状態で、パジャマ姿のまま智香の家へと行き、すでに起きていた智香に耕輔が、律佳が今帰ったと伝えると、と、同時に隣から、ジャーン、という風に出てきた律佳に、智香は抱きつき、微笑みながら泣いたのが、今この現場である。智香は特に律佳の左手を触り、
「律佳ちゃん・・・良かった・・・!!良かったです・・・!!」
律佳の両手をぎゅっと握った。
律佳は放心したように智香を見ていたが、やがて笑顔になり、照れくさそうに呟いた。
「う、うん・・・私も良かった・・・またみんなといられるから・・・」
耕輔には聞こえないように、智香の耳もとで。
「律佳ちゃん・・・」
もし耕輔が聞けば疑うこと間違いなし、頭がおかしくなったんじゃないか、とか。それとも冷やかされるか。それほどまでに律佳が他人のことを良いと言うのは珍しいことで。
「さぁーって!!んじゃ何かつくってもらおっかなぁー」
智香から離れた途端、手をすりすりしてにこり笑う律佳。いわゆる本調子、全開。律佳の後ろで、耕輔は額に親指と人差し指をつけて、はぁ、とため息をついた。やはりいつもの律佳だったからである。そう、一応耕輔も律佳のことを心配していたのだ。が、あんまりにもいつもと同じなので、拍子抜けしたというか。あるいは安心したのかもしれない。
「ええ、何でもよろしいですよ。お腹一杯にして差し上げます」
赤くなった頬をぬぐって、智香は満面の笑みを浮かべた。
料理が出来上がると、律佳はこれでもかと言わんばかりの食いっぷりを発揮した。何だか大食い選手権を見ているようで、快い気分はしない。
「んったく、よく食うよなー・・・」
椅子をきしらせて、対向している律佳を見ながら、耕輔は両手を頭の後ろに持っていった。
「ええ・・・。でも、いいんじゃないですか?」
静かに言うと、智香は彼の顔を横から覗き込むようにして、微笑んだ。
「まぁ・・・なー・・・ああでなくちゃ律佳じゃないって言うか・・・」
そんな気はしていても、やはり食いすぎだと思うことは、さほどおかしいことではない。
「律佳ちゃんらしくない、ですよね?」
「そうだな・・・。律佳はこうでなくちゃ――」
「なにがー?」
口の周りを食べ跡でべたり汚している律佳が素っ頓狂な顔で顔を上げた。まるで二、三歳の子供のようだ。耕輔は顔を背いて、
「いんや。べつに」
智香は顔を少し傾斜させて微笑んだ。
「気にせず、お食べ下さい」
「まぁ言われなくても食うけどさー」
また大食い選手権並みの食いっぷりが展開される。智香はそれをうっとりとして眺めるのだった。