其の三
校門を抜けると、智香はすぐさま律佳の下駄箱を覗いた。
「まだ来てませんね…」
悲しそうにうつむきながら、耕輔のもとへと戻る。
「どうせ、まだ来てないんだろ?」
こくり彼女が首を縦に振ると、耕輔はため息を一つついて、教室へ向かった。
耕輔は席に着き、鞄の中のノートやら教科書やらを机に詰める。そのおり、男子生徒が机の前に立った。友人の、真鯛 雪也容疑者、無職――
「また変な想像してるだろ」
はっとして、耕輔は首を振った。
「そんなわけ、ないだろ」
「どうかな…」
苦笑いしてから、彼は隣の空席を見た。
「律佳ちゃん、まだなんだな」
「ああー、せいせいするよ」
雪也はムッと声を強ばらせた。
「何言ってるんだ、それでも律佳の彼氏か?」
彼氏…彼にとっては冗談かもしれない言葉は、耕輔にとってとてもつもなく苦痛だった。冗談であるか本気かは関係無しで、とにかくそれを律佳の耳に入ることだけは防ぎたかったのだ。しかしそれも過去のこと。
雪也に対し、少し前までは、律佳の目の届く範囲内で、その彼氏と言う言葉を口にするなだの、絶交するだの、あの怪物のようにしてやろうかと言ったものだが、律佳本人が彼女、彼氏の意味を全く解していない様子につけて、口癖のように雪也に彼氏彼氏と呼ばれると、気だるくなって、否定しないようになったのだった。
話を戻そう。
ムキになる雪也に、耕輔はは〜んと不気味に笑った。
「な、なんだよ」
「なに?律佳のこと好きなのか?」
雪也は軽く首を振った。違うようだ。
「ノンキなこと言ってるなよ。もしヤツらが来たら、俺たちじゃ犬死にだ」
ヤツらとは、無論怪物のことだろう。その前に、そもそもなぜ怪物がいる学校に来なければならないのか…なんてことを考える人間はもういなかったりする。
カンタンなことだ。生徒が学校に通わなくなった市町村は、なくなったからだ。人が、みんな。その惨憺たる有様と言ったら…語る舌も持たないが、語られたくもないだろう。とにかく、そんな感じで皆ライドに頼っているわけで…
「まあ…」
雪也がこう言うのも、ごく自然なこと、ということだ。
「早く呼び戻せって」
「って言ってもなぁ…」
「?」
ふぅ、と一息つき、耕輔は彼に朝の出来事を話した。
「はあ…」
話を終えた頃には、彼は目を真ん丸くしていた。
「まさか智香さんが…」
運転手の無事とこの学校の無事より、智香の大胆で恐ろしく秩序ある行動に驚いているようだった。ちなみに、智香はライドだが、戦闘用ではないので、律佳の足元にも及ばない。
「ってことだから、律佳はスグ帰ってくるよ」
「ああ…」
彼は半ば放心状態で、自分の席へ戻って行った。
結局律佳が登校したのは、丁度怪物が現れたときだった。学校中の怪物警戒サイレンが鳴り終わった頃だ。
「お待たせー」
楽しそうに教室に入る律佳だが、そこには耕輔と雪也以外誰もいなかった。
「あれー…」
「遅かったな、律佳」
耕輔が言った。
「みんなは?」
「グラウンド見なかったか?」
雪也が言う。
「うーん…ちぃちゃん+知らない人がいっぱいいたよー」
「……」
耕輔と雪也は同時に困惑した。まさか、学校の者を知らないと言うとは。
律佳ははてなマークをちらほらと浮かべ散らし、首を傾げた。
「ま、まーとにかく。グッドタイミングだ。律佳」
耕輔が焦りながら言った。
「そ、そうだ、律佳ちゃんなかなかツイてるね」
雪也も焦っていた。
「なにが?」
律佳が疑いもなげに二人をポカンと眺めていた。
2年4組教室前、つまり、耕輔たちのクラスに突如現れた怪物は、当然2年4組の絶体絶命を作り出した。しかし、智香がオトリを果たし、今怪物たちを、一階下の2年2組教室前におびき出したという。恐らく、智香のサポートアビリティ、『ダミーウィンド』で、怪物の視覚に幻を映し出し、それを足止めとして怪物のオトリにし、ヤツらの足を止めていると思われる。幻覚を完全に“人間”と錯覚している怪物たちは今、その幻覚を斬りたくっていることだろう。
耕輔と雪也は、律佳をそこへ案内した。
その幻覚を見る怪物を見るなり、律佳は首を傾げた。
「なにやってんだあいつら」
誰もいない、ましてや見間違うほどの物も無い空間に、五体ほどの怪物がこぞって鎌を振り下げている。その特定の部分は穴だらけ、見るも無残になっていた。
「さっさとやれ」
僕が命令すると、律佳はどしぶい顔になった。
「ヤダ。何かつまんなそー」
「つ、つまんなそうって…」
つまんなそうで、何人死にかけてると思ってんだよ…。
「さっさとやれって」
「あいー」
お?珍しい。と思えたのは束の間だった。
「やいコラァ!!こっちむけやー!!」
大声で思い切り挑発気味に宣言する律佳。
「お、おいおい…」
雪也は顔が青ざめ、一歩後ずさった。
「はぁー…」
何故か展開が読めていた耕輔は、肩でため息をついた。
だが怪物たちは気付く様子もなく、そこをドカドカと叩きまくっていた。見ていると、なんとなく健気に見えてくる。
「…何だか可哀想だな」
一言、耕輔が、雪也に聞こえないほどの小さな声で呟いた。律佳の大声の挑発は全く気にしなかったくせに、耕輔の呟きは、怪物たちの赤い目をギラリと光らせた。なんだろう。“可哀想”と言う言葉に反応したのだろうか。まさか。怪物が人語を理解できるはずがない。
…じゃあ、
「…なんで」
困惑する間もなく、律佳が、耕輔、雪也の前に立った。そして怪物たちに負けないほどの、ギラギラとした眼光、何故か手をニギニギして豪快に白い歯を見せ付ける。
「さぁ!!殺してやる!!」
――…やっぱり可哀想だった。
律佳は昨日の勢いで怪物らを惨殺した。何かの18禁映画のワンシーンの様に残酷だったのは言うまでもない。
「いつ見ても恐ろしい…」
振り返った悪魔(少女)の姿を見て、
「殺しっぷりだな」
本当に僕は思う。律佳はやっぱり緑まみれで、だが、お手洗いを済ませた様なスッキリとした顔をしている。
「で…」
振り返り、雪也を見やる。雪也はあの状態、一歩後ずさったままの状態で、固まっていた。目がウロコになっている。
目からウロコとは聞いたことがあるが、まさか目がウロコとは……。
「何か捉え方間違ってるな…」
そう思いながら、僕は怪物たちの掃除を始めた。