其の九の二十一
雪也が少女を抱く様子を見届け、先ほど彼が発狂しそうになったことを耕輔は思い出し、口に出した。
「雪也、その子のおかげでお前、冷静になれたみたいだな」
雪也はしゃがみこんだまま、少女を抱いたままで、耕輔を見上げた。耳からは、まだ壁が落ち行く衝撃の音が聞こえている。
「・・・ああ、申し訳ながら、人間は自分より劣った人間がいると、冷静になれるんだ・・・」
それは雪也も例外じゃなかったってことか。そう、確かにそうだ、と耕輔は思った。逆に目上の者がいる場では、人は冷静さを欠く。
「情けないな・・・目下には鼻が高くていられるのに・・・」
雪也は少女の頭を撫でながら、空を眺めた。今日はいいお天気なのに、心は一向に晴れてくれない。
そんな・・・そんな、あり得ない・・・あり得ない。
猛然と校舎を駆け、第一校舎の様子を外から一瞬眺めただけで情報分析を完了した少年はまた駆け出した。
雄谷。通信名称、“ダーハン2”。彼は人間ではない。
そう、ライドである。
彼は情報分析を主とし、攻撃性のない小型ライド、小型、つまり年端いかない少年型である。それが彼、観道 雄谷だ。
今彼は、あり得ない異常を脳裏に抱えて走っていた。そのあり得ない異常と言うのは、“ダーハン1”の作戦失敗、だ。彼の情報分析は完璧で、いや、完璧なはずだった。ダーハン1は智香の戦闘能力には遥か勝っているし、律佳がもし第一校舎から生命維持し、第二校舎へ移ったとしても、“ダーハン1”は律佳に対し抜かりなかったはず。なのに何故通信が遮断され、律佳と智香が争っているのだ。
それは彼の眼にも、至極確実な情報だった。あの第二ターゲット、コウスケの情報は正しい。遠目に第二校舎を分析した事態がこの結果だったのだ。
どうしてそんなことが起きた。どうしてこんなことが起きた。
第二校舎に入り、階段を駆け上る。衝撃の音、破壊の音が絶え間ない。
第二校舎三階到着。
「・・・あり得ない・・・」
その場での感想一言。
その場所は、ダーハン1の生命反応が示された位置だった。確かにダーハン1はいた。虫の息でもいい。死んでいなければそれで。
しかしあの二人は何だ。
「くぁ・・・う・・・まだ・・・私はぁ・・・ッ!」
赤く血走ったような目つきの第一ターゲット、律佳が、黒幕であろうと推測していた智香の首根を片手で掴み上げ、壁に沿わせているではないか。しかもその壁には大穴。智香は真横からの角度で見ても、ぎりぎり見えるか見えないかの壁に押し込まれていた。
「よおく抵抗したよ、おめーは。俺の左肩ぁ、もう使いもんにならねー」
よく見てみると、律佳の左腕は、なかった。遠くの方に棒のようなものが見えるが、あれが片腕だろう。律佳の左腕の付け根からは、配線やらチップやら接続されていたであろう鉄が飛び出し、青い火花を散らせていた。
「あなたを止めるまではまだ――」
智香が何かを言いかけた、しかし瞬間、轟音とともに壁がバラバラと崩れ落ち、また大穴が広がった。普通の人間ならば何が起きたのか分からないだろうが、情報収集ライドの雄谷は別だ。
今のは、律佳が智香を一瞬手前に引いたかと思うと、とてつもない力でまた奥に押し付け、大穴を広くした。その時の轟音こそ、何度も何度も、先ほどから聞こえていた衝撃音だったことも雄谷は理解した。
「そろそろ限界だろーがよ・・・壊れるぜぇ・・・ククク・・・」
しかし未だに状況が理解できない雄谷は、律佳が変化した起因を探るべく、壁際に隠れ分析を開始。
が、出来なかった。エラーだ。理由は不明だが、とにかくエラーだ。
「何故」
独り言のように呟いた口の動きがおかしい。何故だか手も震えている。
「どうして。怖いのか。何が怖いんだ・・・なにが」
自分でも分からない情報がダラダラと脳裏に入ってくる。
血の音、叫び声、破壊音。そして赤い眼。そこで情報はプツンと消える。
「なんだこれは」
理解できなかった。だがなんとなく、心臓のどこかがぼやぁと暖かくなり、共に凍りつくような悪寒が走る。
干渉に浸っている場合ではない。しかし考えてみると、何故自分がここに来たのか分からなかった。ここに来ても自分には力がないし、武器もろくに扱えない。戦闘能力も人間以下。一体、何のためにいるのだろう。
やっぱり、ダメみたいです・・・耕輔クン・・・。
頭が暑くてどくどくして、ぼやぁっとしてきた頃、智香は小さく呟いた。
何度となくコンクリートの壁に打ち付けられ、もう体力も精神力もない。闘える気がしない。逆転のチャンスもないだろう。
「どうしたぁ?降参かぁ?」
「・・・・・・」
「ああもう喋れねえか。ハハハ。ザマぁねぇなぁ。人間助けるためにおめーも馬鹿なことしたもんだよなぁ」
「・・・耕輔クンを悪く言わないで」
「ああん?」
最後のあがきに等しい台詞だった。
「耕輔クンは・・・ただの人間じゃないですよ・・・」
律佳の片眉が斜めになっていく。
「確かに彼は、身体能力も、頭脳も優秀ではない。けれど、心には広さがあった」
「テメー、何が言いたい」
律佳の声音に怒気が宿り始めていた。
「心ですよ・・・あなたの心は小さい、だって・・・怒ってるのでしょう?憎いのでしょう?私が・・・」
急に律佳の右手が首に食い込んできた。
「うるせえな・・・勝手に言ってやがれ!俺は心なんか持っちゃいねえんだよ!憎しみとか怒りとかナァ!!」
ぎゅうと指が智香の首に食い込む。
「もういい。お前は死ね。そんでこうすけも殺して、ここの学校も壊して、人間もみんなぶっ壊してやんだ!!」
それは一見子供の怒りとよく似た印象だった。だがまさにその通りだった。
彼女は怒っていた。ただたんにそれだけ。壊したい衝動、つまりライドの性質が表に表れたという、ただそれだけだったのだ。人間で言う、ストレス発散に近いものがある。いつも抑えている感情が爆発、それは生前の律佳の、愛してほしい心であったり、暴走する前の律佳の、こうすけに認めて欲しい心であったり。色々だ。特に大きいのが、智香に裏切られた記憶で。
核心をつかれると、子供はすねるか怒るか暴れるかだが、まさに律佳はそれだった。
「死ね・・・死んじまえぇっ!!」
食い込む指に、智香は本格的に最後を感じ取った。結局片腕落とすのが精一杯だった。これで、二日間暴れられようと、街が一つなくなることもないだろうが、それでもこの学校だけは無事に済まない・・・。
息が出来ない。苦しい。最後に何を想おうか。
耕輔クン・・・律佳ちゃん、よろしくね・・・。
「待った」
律佳のスカートの裾を引っ張る白髪の少年がいた。
「ああん?」
あまりに突然のことに、律佳はそちらに注意を向かせる。一瞬の隙。力が緩まった。
諦めていた智香に生気が戻り、渾身の蹴りを律佳に浴びせた。
「あめぇんだよっ!!」
と、思ったのだが。
律佳がニヤつき放った拳は、鏡と同じく智香の腹にも大穴を開けた。鮮血が飛び散り、その血は律佳を覆わんばかりにビシャリと被さった。智香はヴィヴィ、と機械的に手を律佳に伸ばしたが、やがてガクガクと痙攣し、眼を大きく開き、絶命したのだった。
「ハハハ・・・ハハハハ・・・!!!」
律佳の笑い声が、乾いた廊下に響き渡った。