其の九の二十
眉の端をあげて、律佳が言った。
「おやぁ?お前死ぬ気?構えないでどうやって闘うってんだ?」
確かに智香は構えていない。このまま殴られでもしたら必中だ。
しかし律佳と智香のとの距離は5mあり、だとすると、通常殴りかかるには、どんなに早くても1秒は要する、が、律佳は遥か、その上を行くスピードを出せる。つまり、律佳は智香を侮っている。
「あなたは私の戦闘スタイルを知らないでしょ?」
言った後智香は首を少し耕輔の方に傾けた。小さい声で何か言ってくる。
「耕輔クン。ここは戦場と化します。どうか、お逃げ下さい」
耕輔は無言で頷くと、一歩、二歩と後ろに下がった後、背を向け走り出した。
「ハンッ!なるほどね!!決着つけるにゃ人間はジャマだって言いたかったのかよ!!!」
背のほうで激しい爆発音、いや、壁が何かの衝撃を受けて崩壊した。
「くっ・・・」
何も出来ない自分が憎かったが、邪魔になるよりマシだった。大体、無駄な命を散らすことを、智香は望んじゃいないだろう。
緊急避難のため校内からグラウンドに避難した全生徒は、校舎にデカデカと設置されているその赤い光が消える瞬間を眺めながら、疲労のため、座り込んでいた。まだ立っている生徒がぼつぼつといるが、緊急避難から約五時間が経過しているのだ、疲れてくるのも無理はない。
「おせーな・・・耕輔のヤツ・・・」
今まで緊急避難が長引いたことはあったが、ここまでの時間を費やすことはなかった。それに爆発音が耐えない。いや、正確に言うなら、壁が破壊されていく音だろうか。銃声も聞こえたあたり、かなりマズい事になっているということは明らかだった。
「問題ないですよ。もうすぐ終わりますから」
「ねぇゆやくん、ここどこぉ?お兄ちゃんの学校・・・?」
隣に小学四年生くらいの少年と、少女がいた。雪也はそれを呆けて見た後、
「ってお前らダレ!!?」
雪也は雪也らしからぬ動きで退いた。突然、小学四年生くらいの、機械的な声を出した白髪で真面目そうな少年と、それに相対した、少年と同じくらいの少女がいることに。
「そんなことはどうでもいいのです。とにかく答えは明らか、もう、終わります」
「は、はぁ・・・」
いくら察しが良くて頭が良くて顔がいいからといっても、雪也はその表情のない少年が変に思えて仕方なかった。と言うか、突然現れて謎の助言、これは明らかに変だ。
そこに先ほどの相対的な少女が、雪也の前に立ち、彼の顔を見上げる。
「あ、この人がおにいちゃん?あ、あの、私はあげさと りんって言いま――」
「あ、いや、違うよりんさん、おにいちゃんはね、こんな変な人じゃないよ」
いや、お前が変だ。と言うのは雪也の心の声である。
「あ、そうなんだ、ごめんなさい、人違いです」
逆に何故か、雪也が人を間違えたような会話である。
「さ、もうここには用はない、行こう?りんさん」
「うんっ」
彼女、りんと呼ばれた子の手を引いて、白髪の少年は校門へと向かって歩いて行った。小学生が小学生に“さん”づけとは妙だなと思いながら、先ほど言ったことは子供のイタズラか何かだろうと思い、二人を見送ることにしたのだった。
と、周りが急にザワザワとざわめいた。自然と雪也が振り返ると、そこには、
「雪也ーっ!」
と言いながら、制服が埃まみれのボロボロで、息を切らして走ってくる耕輔がいた。
「こ、耕輔!!どうした!?お前、何でここに――!!」
耕輔は雪也の前で止まると、ぜぇぜぇと肩で息をして、手を膝で支えた。
「実は・・・大変なんだよ!ヤベーんだ!」
雪也は突然の耕輔登場に混乱していたが、このままでは時間だけが無駄に過ぎていくだけだと悟り、何とか気を落ち着かせた。耕輔ともに雪也までが混乱すると、話は迷宮入りする可能性があるからだ。
「・・・まずは落ち着け。何があった?シッカリ言いたいことだけ伝えてくれ」
耕輔も最初目が泳いでいたが、深呼吸するよう言われ、それを二、三回繰り返したあと、気持ちが落ち着いたようだった。
「あ、ああ・・・実は・・・律佳と智香さんが・・・だな・・・」
智香、と言う言葉を出しただけで、雪也の顔色と目の色が変わっていく。酷だろうが、事実なのだから仕方がない。
「・・・ハッキリ言おう、どっちか死ぬぜ・・・ほっといたら・・・」
耕輔の一言は雪也を貫くには十分だった。聞いていた周りの生徒も唖然としている。
「そ・・・それ・・・」
「まさか。そんなハズ・・・」
発狂しかけた雪也の隣に、先ほどの白髪の少年が立っていた。となりには、まだりんもいる。だが少年の顔と言えば、表面上冷静に見えるが、その眼は激しく動揺していた。
「ゆうやくん・・・?」
「ごめんねりんさん。僕のおにいちゃん壊れちゃったみたいだ。行かなきゃ。待ってて」
「あ・・・」
握っていた少女の手を自ら振り払って、冷静を装いながらも焦った顔つきで、白髪の少年は校舎へと走って行った。取り残された少女は、何だか今にも泣きそうだったが、グッと堪えているようで、涙が一筋、頬をつたっただけだった。
「りんちゃんって言ったっけ・・・大丈夫だよ」
相手が小学生とは言え、こんなにも急なことをする雪也は珍しかった。
きっと雪也は、分かるのだろう、彼女の何か思いつめた気持ちが。
雪也が優しくりんを抱いてやると、その少女は突然わんわん泣き始めた。安心したのか、それとも逆に不安なのか、それは本人にしか分からないが。
これは耕輔の推測だが、きっとこの少女は、あの白髪の少年だけが友達なのだろう。初めての友達だったに違いない。
そういえば雪也、俺たちもそうだったけ?