其の九の十九
この無虚空なときといったら、どんなに長かったろう。
「そんな・・・」
大笑いする律佳の声が無意味な音となって聞こえるほど、耕輔は動揺していた。
殺す気なんてなかったなんて、月並みの言葉だ。恐ろしくこの行動には意味がなかったのだと理解した。智香はライドだし、冷静だし、頭も切れる。
だからなんなのだろう、信じたと言っても内容は不明、生きるために殺したのだ。しかし・・・結果はこれだ。
耕輔は、寒い寒い海上で一つの氷に乗っているように感じていた。寒いし、怖い。・・・これが悪寒か。
まさに気が荒れ、律佳に無駄な突撃をかけようとした、直前だった。
「や・・・やっぱり・・・こういうこと・・・だったみたいですね・・・」
グィグィと音をたてながら、彼女、智香は機械的に立ち上がった。頭から流れる血は止まっているようだ。
「智香さん!!」
死んでいなくても、耕輔が狂うには十分な要素が揃い過ぎていた。智香はそれを涼しい顔で見て、あっさりと律佳に向き直った。
「耕輔クン、心配しなくてもいいですよ。ただあんまり壊れないで。彼女を仕留めますから」
律佳はそれをあざ笑うかのように、
「おー、おはようぅ!ヒヒッ・・・!やっぱアレだなぁー、そうカンタンには壊れねぇわなー、アハハ!!」
挑発的な目で智香を睨みつけて、わざとらしく手をなあなあとプラプラさせている。
「そうですね・・・。そう簡単には壊れないみたい。あなたは別だけど」
頭の中は今だゴチャゴチャの耕輔でも、その瞬間突然笑い声が消え、静かな廊下の冷たさを感じ取ったときには、その感情は静けさを通り越して、いぐるしさと寒さを感じていた。
律佳は初めて真剣な表情で、智香を睨みつけていた。オーラがあるなら、黒い炎が背に立ち昇っていることだろう。
「俺はべつぅ・・・?ハッ、揺さぶろうたって」
「違います。あなた、撃たれてるじゃない。背中」
そうだった。律佳は鏡に、一発見舞われている。
「コレくらいたいしたこたぁねんだよ・・・それより」
「なんですか?」
「殺せる気かよ?お前だって頭やられてイカれてんじゃねーか」
無駄に笑いもせず彼女は言った。それも、そうである、智香は耕輔によって後頭部を二回ほど殴られた。それも物凄い力で。だが智香の様子を見ていると、立ち上がったときとはまるで違い、どこににも異常をきたしていない。
「言ったハズです。あなたは別と。私もまた別」
何も分からない耕輔には、その言葉の意味を辿ることさえ出来なかった。つまり意味不明、何の話なのかさっぱり見当がつかないのだ。
「智香さん・・・えっと・・・?」
何だか情けないが、ともかく意味が分からないのでは話しにならない。それに、殴ったことに意味はあったのか、知りたい。
「ええ、実は・・・私たちライドは、どうやら死ぬと強くなるみたいですね・・・」
耕輔は驚きを表情にそのまま表した。彼女は理解したようで、
「はい、一度死にました。いえ、ちゃんと意味はあるのですよ」
「んぁあ」
意外なところに赤い目の律佳が面倒くさそうに会話に割り込んできた。
「そいつの言うことは本当だよ。死んだら俺たちゃ強くなれんだ・・・そうな、ヤベーときを思って、そういう意味分からんコトにしといたんだろーよ」
「・・・ええ、つまり」
智香によると、緊急蘇生というものが律佳と智香にだけ特別採用され、そのおかげで死なずに済んだらしい。しかもだ、死ぬと同時に、一時的にそのライドは、つまり律佳と智香は、驚異的戦闘能力を有すると言う。この機能の意味は言わずも、死んだのだから、既存の力では太刀打ち出来ない敵と戦っていることになり、復活して再度死なぬよう、そのように一時的強化をもたらされたのだという。
聞いて、頭に閃くものが彼にあった。
そうだ、律佳は第一校舎で一回死んで・・・!!
あの時の謎の復活に、これで合点がいった。あの時の、怪物に追われていたときのことだ。
「どうかなさいましたか・・・?」
「いや・・・って智香・・・さん?」
声が冷静にも関わらず、智香のその額は、ビッシリと汗をかいていた。
「・・・なんでもありません。ただ・・・」
「ただ・・・?」
「決着・・・つけるんだろ?」
キュッと上靴の裏のゴムを唸らせこれから始まるであろう戦闘に、律佳はニヤリ笑って構えた。
それを見た耕輔は、智香の心が放つ体の異常が理解出来た。智香が汗をいまだ滝のようにかき呟く。
「彼女は戦闘型ライド・・・負傷の身とは言え・・・勝てるかどうか・・・」