其の九の十八
今だ人を馬鹿にしたような赤い眼はこちらを睨みつけていたが、どうやら襲ってくる気は無いようで、その気配すらない。
猶予を与えるだけ与えて、とことん俺たちをいたぶる気なのだろう。
「智香さん・・・わかった、けど・・・」
頭を殴ってくれなどと言われ、分かりましたと一つ返事が出来るハズない。けれど、それに賭けることしか出来ないのも事実。
一応確認だけとっておこう。それに見込みはあるのか。そう思った。
どうやら律佳、いや、律佳じゃない、あの赤い眼のやつは、死ぬまでの時間は与えてくれそうだから、確認の時間くらい費やしていいだろう・・・。もしダメでも、死ぬくらいなら、この程度のあがきは・・・。
「それに見込みはあるんですか・・・?勝算は?」
智香は耕輔の視線から青い眼を横にずらして、悲しそうに言う。
「残念ですが・・・確実性もなければ、意味も成さないかもしれません・・・」
ダメもと、と言うのは、彼にも分かっていたが、やはりそれはショックだった。賭ける気なのだから落胆は当然だろう。大体こうゆうとき、奇跡は必然に変わるハズだし。
だが殴っても、内容がわからないと来た。それに頭を殴ってどうなるというのだ。
いやそれは、最初から分かりきっていたこと。
「ですが」
耕輔の思考は遮られても続いていたが、智香の答えも続きがあった。
「うまくすれば・・・今の律佳ちゃんは止められます・・・」
冗談で言っているとは思えないその表情に、耕輔は望みを託すことにした。否、最初からそうするしかなかったのだ。
彼は近くにあった、廊下の壁に沿って置かれた消火器を持ち出すと、崩れて座っている智香の後ろに立った。
「いきますよ・・・?智香さん!」
これにどのような意味があろうと、どうせ死ぬのだ。やるしかない。
「・・・はいっ!」
耕輔は、ぐおと消火器を頭上までめいっぱい持ち上げると、思い切り智香の後頭部へとそれを落とした。
「っぅあぁぁぁぁっ!!!」
ガランガランと落ちる消火器の横で、智香が痛みで頭をおさえた。青い髪に少し赤が滲んでいる。彼は当然智香を心配して、
「ち、智香さん!?」
「あっ・・・あぁっ・・・コウスケク・・・もういっかぃぃ・・・」
しゃがみこんで様子を聞く前に、智香が制止し、そう指示した。
「で、でも・・・」
「いいからぁ・・・」
ガクガクと震える智香は心配であったが、ここは、やはり賭けてみるしかないと思い・・・耕輔はまたその重苦しい消火器を持った。
その様子を、律佳がニヤと口の端をもちあげ、嘲笑した。
「バカじゃねーっ!?なに死のうとしてんの!仲間割れ?ダッセー!ああったくつまんね、とっとと壊れちまいなぁー・・・プクッ・・・!!ハハハハハッ!!」
どうやら彼女には、仲間割れと誤解されたらしい。そう理解されてもおかしいところがないのだが、そう思うと、即刻この行動を中止した方がいいんじゃないかと思えてくる。
「はやくぅ・・・うぅ・・・っ!」
頭をおさえていた手をどかし、智香がまたそう指示してくる。耕輔は、もう自分がどうしていいか、実質分からなくなっていた。しかしそれでも彼はまた消火器を振り上げ、今度は両手に力を込めて落とした。一類の望みを賭けて。
「アアアァァァァッ!!!」
ガランガランと消火器は転げ、智香は絶叫をあげた。ぐぐと体をよじったかと思うと、眼を全開でパカリと開けたまま、なんと彼女は絶命してしまった。いや、死んだかどうかは分からなかったが、そうとしか思えなかった。
赤い眼の律佳は始終を見終えて、腹を抱えて大笑いした。悪意があるようには聞こえないのが、なんだか怖い。生暖か過ぎて。
「アハハハハハッ!!壊れた壊れたぁっ!!アハハハッ!アハハハハハハ・・・ッ!!ッテメーなに壊してんだ?ご主人サマーッ???プククッ!ヒハハハッ!」
狂ったように笑う律佳に、耕輔は大きく心を揺さぶられた。
本当に俺は智香を殺してしまったのか・・・?
冷静に考えると・・・確かに・・・俺は・・・。
俺は何をした・・・?
自分が生きたいが為に・・・俺は・・・?
殺人を犯してしまったのか。