其の九の十五
「律佳ちゃん!律佳ちゃん!!」
どんなに呼んでも、どんなに揺らしても、律佳は全く反応しない。
「・・・・・・」
何故だか耕輔も、真剣な眼差しで律佳を見ている。
律佳ちゃんを、壊したくせに・・・。
その智香の奥、三階の昇降口の近くで、キョウが言う。
「伊井森 耕輔。お前は律佳を壊した。お陰で手間が省けた」
「ああ・・・」
耕輔がうつむき、小さく呟いた。
智香の予想はより一層確実となった。やはり耕輔は、普通の人間以下、いや、最悪の人間だということだ。
「やっぱり・・・あなたは・・・!!」
耕輔は答えない。
ダンッ。
突然大きな音が廊下に響いた。とても大きな、乾いた音・・・。
見ると、キョウが拳銃を律佳に向けていた。ということは。
「り・・・っかちゃん・・・」
あまりにも唐突で、さらにキョウが壊れた律佳を撃つとはさすがに思わなかった。
確かに律佳の背からは、多量の血が噴出していた。夕陽の光と相成って、赤かかった。とても。
「いや・・・こんなの・・・いやっ・・・!!」
冷静な智香でさえ気が狂いそうになった。いや、狂ってしまった。何も考えられない。頭が真っ白だ。律佳の笑顔でさえ、思い出せなかった。
キョウがその唐突且つ異常な行動の理由を答える。
「保険だ。また暴走されては・・・」
言い淀んだが、
「困るからな」
と何とか言葉を押し出したようだった。
「律佳・・・。・・・律佳!!」
思い出したように、耕輔が智香に走った。正確には律佳のところへ。しかしそれを彼女が許容するハズがない。
「来ないでっ!人殺し!!悪魔!!最低人間ッ!!」
律佳を前に抱きかかえながら、後ずさりする智香。さすがに耕輔の足も止まる。かつてここまで感情的になった智香を見たことがなかったのだ。
「あ・・・アンタが・・・律佳ちゃんを殺したのよっ!!律佳ちゃんに触れてもらいたくもない・・・!!」
およそいつもの智香とは違った。人間で言う、怒りだろう。が、実は智香にはそんなプログラムは存在しない。智香自身もそれを知っている。なのに、何故だか体が熱くて、頭が真っ白で、耕輔と言う人間を頭の中で八つ裂きにしている。何度も何度も。
「智香さん、違うんだ!!キミは誤解を――」
「馬鹿言わないで!?そうやってまた騙そうとしてるんでしょ!?そうやってまた律佳ちゃんを傷つける気なんでしょ!?」
「違う!違うんだ・・・」
激しくうなだれる耕輔を見限ると、次に彼女は、キョウを見た。
「どうして撃ったんですか!!もう律佳ちゃんは・・・!!」
「言ったろう?保険だ」
ギリリと智香が歯切りしする。
「保険って・・・!そんな・・・!!」
「でなければ、お前も、その耕輔とか言う人間も死んでいただろうな」
「構いません!!!私は・・・!」
言ったと同時に、チャッと拳銃の構えられる音。銃口は智香の頭へ向いている。
「一緒に死にたいのなら殺してもいい」
「・・・!!」
それでも構わない。彼女はそう思ったが、
「待ってくれ!!死人をこれ以上増やさないでくれ!」
耕輔が智香の前に立ち、大の字になり、壁になったのだ。
智香はそれを理解出来ず、呆けたが、すぐに思考を取り戻した。
「なにやってるんですか・・・!また正義ヅラですか!?」
「違うんだ・・・智香ちゃん・・・」
「なにが!!」
声が響き、一瞬の沈黙。
確かにそれは一瞬だったが、十秒程度、経った気がした。
「智香さん・・・今怒ってるだろ?」
なにを今更聞いているのだ。
「当たり前です!!」
「なら、もう分かるだろ?」
今の智香に思考力はない。
「なにがですか!!」
耕輔は今だ大の字のまま、キョウの銃口を向けられている。だが淡々と智香に答えた。
「智香さん・・・キミには、怒りのプログラム、ないんだって?」
「え・・・」
「律佳に聞いたことあるんだ。どうして智香ちゃんは怒らないんだ?ってね。そしたら言ってたよ、ちぃちゃんには、そんなプログラムないんだよ〜って」
少し耕輔の顔が笑った。多分律佳の愉快な言い方に、ぎこちない違和感を感じたせいだろう。
智香の頭にもその愉快な、律佳の笑顔が見えた気がした。そのおかげで冷静にもなれた。そして、思考が戻ってくる、冷静な思考力が。
怒りが消えた智香には、なんとなく耕輔の言い分が理解出来たような気がした。だが何かが足りない。実体が見えてこない。
「賭けようと思ったんだ。律佳に」
「賭ける・・・?」
一体、なにを。
「ああ・・・そのプログラムとやらを乗り越えられるかどうか・・・な」
「あ・・・!!」
智香に閃きが遮った。
そういうことだったのか。何故、気付かなかったのだろう。耕輔は、律佳を壊そうとしてたんじゃない。壁となって、律佳を試していたのだ。それこそ律佳には辛かっただろうが、耕輔も同じだけ辛かったはずだ。
プログラムと言うライドの壁を越えて、律佳には人間になってほしかった。きっと耕輔はそう思っていたのだ。その壁を越えられないのなら、そう、確かに律佳は兵器なのだ、ライドなのだ。
「結果は見ての通りだがな」
見透かしたようにキョウが言ってくる。それでも耕輔は頭を振り、
「まだ、終わってない・・・!律佳はそんなに弱くない!!」
そう言う耕輔に対し、キョウは微笑も怒りも浮かべず、
「馬鹿も休み休み言え。律佳は死んだ」
「死なないさ。律佳は・・・」
本当はどうだか分からない。キョウの言うとおり、律佳は壊れて、挙句死んでいるかもしれない。けど、それでも、意地・・・いや、意思だけは曲げられない。
耕輔は振り向かず、智香に聞いた。
「智香さん、律佳は・・・!?」
律佳の体はとても冷たくなっていた。生きている証だったあの痙攣でさえ止まっている。目もうつろに開いたまま――。
智香は熱いものがこみ上げてくるのを抑えながら、
「律佳ちゃんは、生きてますよ・・・」
か細い声だったが、しっかりと言い切った。そういえばライドには、涙と言うプログラムは、ない。
耕輔は得意げに、だが冷や汗をかきながら、微笑を浮かべた。
「キョウ、殺し損ねたな」
「ちっ・・・――」
そこで、ピリリリ、と、携帯の呼び出し音らしきものが鳴った。キョウは慌てもせず、やはり銃口をそのままにし、手のひら程度の無線機を取り出した。通信をONにして、耳に当てる。
「こちらダーハン1。どうした」
言うと、少年の声がした。だが何だか子供の声やら奥さんの声やらが、無線越しに聞こえる。
「待って、ちょっと電話・・・・・・こちらダーハン2、作戦は終了しましたか」
言っている少年の横で、と無線越しに、誰かが、さくせんてなぁーに、と言う女の子の声がした。だが気にせず、キョウは淡々と答えた。
「まだだ。が、すぐ終了する」
「そうですか。では・・・」
「待て」
「なんでしょう」
「この作戦とは関係なさそうなのだが。隣に誰かいるのか」
「あ・・・いえ」
少年が言葉に詰まっていると、やはり先ほどの少女の声がした。
「んー?私?私は、あげさと りんって言って――」
ザザザッとノイズが入り、いつも非常で冷淡な少年とは思えない、感情タップリに入った、少年の声がした。
「あ、ちょ、だめだよ、りんさん。人の電話中は邪魔しちゃダメなんだ」
「あ、ごめんなさい・・・。今度から注意するねっ。“雄谷”くん」
しょんぼりしたような、それでいて何だか楽しそうに少女は答えた。雄谷と呼ばれたダーハン2、つまり少年は、うんうんと頷いたようで、それが無線越しに聞こえる。
「わかったみたいだね。りんさんは通常の人間より賢いみたい。・・・あ、シツレイしました。この子は、別に関係ありませんから」
その折、違うもん、友達だもん、とか言う少女の声が聞こえる。呆れもせず、黙々とキョウは推察し、答えた。
「・・・忙しいので、では」
ピッと通信をOFFにする。そして耕輔に向き直り、
「・・・作戦時間を大幅にオーバーしてしまったようだ。・・・伊井森 耕輔。お前はまだデータ不足だ。殺すに惜しい。今日の所は生かしておく」
彼は拳銃を下ろし、ホルスターに戻した。
「ふぅ・・・」
途端力が抜ける耕輔。思い切りため息を吐いてしまった。
「律佳ちゃん・・・」
智香は囁くように、うつろに窓の夕陽を見つめている律佳を呼んだ。すると。
「システム停止。過去のログを検索中・・・」
「え・・・」
口を開閉せずに、機械的な声を出す律佳に、彼女は目を見開いた。
「該当アリ。記憶を再生します」
律佳は目を“自分”で閉じ、そして開いた。しかしその眼は、律佳ではなかった。
それでも智香には、その眼に覚えがあった。
今でも思い出せる、とても懐かしく優しい思い出共に・・・・・・最大のあやまちの記憶を。