其の二
こんな日々に慣れてしまったと言う自分がおかしい。
そう感じることは、不思議でもないし、それもまた日常茶飯事で。慣れてしまえばこっちのもんだ。
この変な日常を作り出したのが、怪物…なんだけど、実際僕にはそう思えない。
『ライド』とか言ったか。
怪物を倒すために作られたヤツ(ライド)ら…まぁこの、トボけた女がそうなんだけど…コイツがどうも日常を壊してくれたように思うのだ。
今は朝飯時。律佳がおかずナシ(と言うかコイツが食ってなくなってしまった)で漫画みたく山盛りにした椀の中のご飯を、もりもりと擬音が付きそうなほどに米を散らせつつ口の周りに付着させつつ目減りさせつつ食っているところである。
こんな性格でなければ、見た目もスタイルも良いんだし、もっと言えば(僕は興味ないが)セーラー服に身を包んだ小動物的可愛らしさを持っているのだから、目の保養にも十分なってくれたんだろうが、いかんせん、この内面の性質は悪すぎた。何せ、コイツが視界に入ってしまうと、普通女の子には抱かない様な心配ばかりさせられるのだ。例えばご飯。空になってないだろうかとか。例えば行き過ぎた腕力。傷害事件起こしてないだろうかとか。そんなこんなで考えている内に、
「メシ!」
勢いよくヤツがお椀をこちらに突き出してきた。それこそズイッと。しかし言ってやる。
「ない」
紛れもない事実である。
「えーーっ!なんでないのぉ…」
向けた茶碗をコトンと腕ごと机におとすコイツ。律佳。
僕はその茶碗をとりあげ、洗面器につけた。
「うあーーーっ!!卑怯ッッ」
ドカン、と机を叩く律佳。
ミシと音がした。これ以上の衝撃は、この机を破壊しかねない。怒らせないようにしなければ。
「今何杯目でしたかー?」
ぶっきらぼうに聞いてやる。ヤツはいつも通りに元気良く手をあげた。
「よん・はい・めーーー!」
「ね」
「何がよぅ!!」
食いすぎだと思ってないらしい。頭に来ても皮肉ることは出来ない。だからと言ってヤツと喧嘩をすれば絶対に殺される。もはや怪物よりおそろしい。
毎日こうなのである。もっと酷いことさえあった。ラーメン三杯にどんぶり四杯、とか。日常を壊してくれた、と思うのはそれではないが、経済的に殺されかけているから、そう思うのだ。ただ政府からの特別資金が補助されているので、今のところは大丈夫であるが…焼け石に水になることもしばしば。
とにかく窮地だ。いや、日常ではなく、今。机が破壊されてはたまらない。
こう言う時はこのセリフに限る。
「あー、時間だー学校いかなきゃー」
ワザトらしく言うと、思惑通りヤツは慌てふためいた。学校に怖いものは、ヤツにはないはずなのに。ともかく効果てきめんである。
「マジかーーーっ!!」
律佳は時間を確認するため、ミッキーの時計をまっしぐらに掴んだ。いや、掴んだと同時にグシャと金属音がしてしまった。
「あ」
「あ」
僕と同時にあいつも目が点になる。
「ちぃちゃんにもらった時計が…」
と律佳。
「…でも三代目だぞ」
と僕。ってか聞いてないな。
「わぁーーーちぃちゃーーん!ごめーーーん!!」
律佳はその壊れた時計を抱いて、盛大に泣き始めた。無論これも三回目だ。最初はオロオロしたものだが、今はもう惰性で――
「あーうっせうっせ。同じヤツまた買ってやるから」
すでに制服に着替え終えているヤツの腕をひいてやや強引に、いやもう全力で、強引に玄関へ連れ出した。隙を見せるとここぞとばかりにコイツは反撃してくるからである。
「うぇー・・・ちぃちゃーん…」
外に連れ出しても泣き止まぬ律佳の声は、当然ご近所様に聞こえているだろうが、これも三度目だ。朝だろうともう気にしないだろう、と思う。除いて一つの理由もある。
「律佳ちゃん!?どうしたのー?」
隣近所の“ちぃちゃん”こと智香が、律佳の声を聞きつけて、焦った顔で玄関から、文字通り飛び出してきた。
童顔で眼が大きく、その眼は深い青色、髪も同様に青く、ショートヘアー。律佳と同じ制服を着ている。つまり同じ学校の者。同じく『ライド』で、律佳の世話係。だったハズなのだが、結局僕が律佳の面倒を見てしまっている。
「ちぃちゃーん!ごめーん…ネズミさんの時計壊しちゃった…」
「いいえー、いいんですー…。また買ってさしあげますからー…」
「だからー…三回目じゃない…?」
手を握り合って泣いている二人には、やはり僕の声は届かない。はぁ…智香さんは律佳とさえいなければ普通なのに――
そこへ制限速度無視の軽自動車が走ってきた。もうどう見たって制限速度無視の速度で。
「あ!律佳ちゃん!あぶなーい!!」
咄嗟に律佳を壁に吹っ飛ばして、車の真正面に大の字で立つ智香。
その車の主は、視界の隅にいた少女が同級生であろう少女を、人間離れした力で壁に吹っ飛ばして、わざわざ車の真正面に出て大の字で立ったことに驚き、「キキーッ」と急ブレーキをかけた。が、間に合わなかった。
ゴシャッと鈍い音がして、数十mに渡りきりもみしながら智香が吹っ飛び、その勢いでごろごろと転がり、数m先でようやく止まった。
運転手は慌てて、車から這い出るようにして「だいじょぶかー!!?」と焦った大声を出しながら、智香に走っていった。
その恐るべき状況にも関わらず、耕輔はどこかぼうっとして律佳に話しかけた。彼女は未だコンクリートの壁に大の字でめりこんでいる。
「…お前はだいじょぶか?」
「…痛いね…かなり…」
うん、だいじょぶそうだ。
それより、さっきの言葉は撤回しよう…智香さんだけでも、十分問題だ。
丁度そう思った頃に、車にでも轢かれたかと言うくらいの勢いで、さっきの運転手がきりもみしながら飛んできた。飛んできた方を見ると、智香が、あぶないでしょ、律佳ちゃんが轢かれるところだったんですよ等と声を張り上げている。男は、大の字で立たなくても・・・と呟いている。
智香もライドのはしくれ。あの程度の衝撃は、本当の意味でびくともしない。その証拠に、当たった車のフレームがめちゃめちゃになっているのにも関わらず、智香は遠目に無事だ。
隣でボコッ、パラパラと、コンクリートの音がした。律佳が出てきたようだ。
「いこっか?」
「待った待った!!病院に連れて行かないと!!」
律佳の服はところどころ破れていたが、全くの無傷で、運転手をかかえあげると走り去ってしまった。
「早く来いよー」
とは一応言ってみたが、もう律佳の姿は視界になく――
「行きましょっか」
と、いつの間にか横に立っている智香と共に学校へ急いだ。彼女の体はやはり、無傷だった。いや、驚くべきことに、衣服も破れていなかった。
――それより、車どかさないとダメなんじゃないのか…?