其の九の十
第二校舎三階の窓辺、第一校舎を悲しげに見る少女がいた。
「律佳ちゃん・・・」
智香である。彼女は青い瞳を涙で潤ませて、ずっと第一校舎を眺めていた。
その隣には、“ダーハン”と呼ばれた男が立っている。
智香はそのダーハンと言う大男に向き直り、泣きを抑えながらも、しっかり睨み付けた。
「どうしてあなたは・・・ッ!!こんなことをさせるんですか・・・ッ!!」
大男は智香を一瞥し、微笑も浮かべずに、
「何を言う。お前もこれを望んでいたのだろう」
ひどく機械的で、感情のカケラさえない声だった。
「違う!!私はこんなことを望んでなんかいません!!」
「嘘をつけ。では何故俺に協力をした」
「ッ・・・それは・・・!」
「それは。何だというのだ」
智香は必死に涙を抑えるが、目から大粒がぽろぽろとおちていく。口からも、ひっ、ひっ、と嗚咽が漏れてしまっていた。
「私はぁ・・・ッ!!」
ぐっと拳を握り締めて、大男の目をギリと睨みつける。最大の怒りをもって。
「私は、律佳ちゃんが死ぬ以上に、律佳ちゃんが壊れてしまうのを見たくなかった!!!」
大男はその怒気を少しも感じられず、変わらぬ真顔でいた。
「どうゆうことだかわからないな」
「大体、あなただって・・・!みんなを人質にとりながら、そんなことがよく言えますね!!?」
「保険だ」
智香はそう、この大男と手を組んで、律佳を殺そうとしていたのだ。耕輔と律佳の予想とは違うが、おおよそ外れではなかった。しかしだ。
智香とて律佳を意味なく殺す器ではない。律佳を慕い、律佳の為に何でもして、いつも微笑んでいた彼女が、まさか理由なしに律佳を殺そうとしない。
智香はこの大男に脅されていたのだ。協力しなければここの職員以下生徒全員を殺す、と。それに付けて、封をしていた、試作の律佳殺人用、“情報色彩風薫”まで、いつの間にやら奪われてしまっていたのだ。
もはや協力しなければ、律佳だけではない、耕輔、先生、友達、同級生、その他大勢の人が死んでいた。
なのにこの男きたら、それでも“お前が望んでいたことだろう”などとあられもないことを言ってくる。人間じゃない。ただの機械だ。
「そういえば、俺の目的を言っていなかったな」
智香は押し黙って、口を開こうとしない。語り合うのもおぞましい。男は構わず語り続けた。
「俺は復讐をしに来た。律佳。あの悪魔に」
智香は一向に口を開けないが、脳裏では、何故かおぼろげながらがそれに覚えがあった。だが男の口からは、智香などと言う言葉は発せられていない。
「あれは五ヶ月前のことだ」
五ヶ月前。丁度律佳と智香が耕輔に託された月だ。
「彼女がここに配属される二日前。あいつは内にある機械的理解を示した人間を暴走させた。もちろん故意でないことは分かっている。しかしあいつは」
ここで初めて感情が見え隠れする淀みをもたらすと、しかしすぐ感情は消えうせた。
「あいつはあろうことか生みの親を数人殺し、俺と“雄谷”まで殺した。それに」
また一旦止めて、大きく息を吸い込み、ごくと息を呑んだ。頭に過去が回想される。
「私が親愛した女性ライド・・・。“律佳”までも、殺した」
聞き終えたころには、智香は別の理由で涙が止まり、背筋を凍らせて、目を大きく開いてうつむいていた。
「やつが暴走した“機械仕掛け”の人間は、記憶とともにその精神までも破壊し、彼女の性格までもを捻じ曲げてしまったのだ」
つまり、律佳と言うライドは、その後この男のことを完全に記憶から抹消してしまい、彼女のその性格自体でさえも維持出来なかったわけだ。それは他人というにふさわしい。
こぉと風が吹きぬけ、廊下がびりびりとした空気に包まれる。
「過去、例として助かった三人のライドがいる」
それは智香も知っていた。だが頭が正常に働かない。だって・・・。
男は智香を一瞥もせず語り続ける。
「俺と“雄谷”と、そして彼女。律佳だ。そして俺は、彼女の仇を討つために、彼女を殺す」