其の九の六
1年1組の予備倉庫へは、その教室の手前の渡り廊下を介して行ける。実際には遠回りになってしまう道であるが、、一旦外に出る必要性があると思ったので、わざわざ遠回りすることにした。
けれども、その考えがまっすぐ通るほど、現実甘いものではなかった。
渡り廊下へと続く道、1年1組の手前には、鉄のドアがある。
いつもなら、力で押せば重たげにでも開く扉だったのに、今日時この時、最悪のタイミングで、その扉は開かなかった。外からロープ、例えば手綱でもいい、あとカーテンを破って使うとか、とにかく外のノブに“止め”がしてあるようだった。何度押しても、引いても、この音だけが無常に響く。
ガチャンガチャン――!!
「クソッ!開けよッ・・・!!」
ガチャン、ガチャン――!!
全く開く気配はない。
チクショー・・・こうゆう時、どうすればいんだよ・・・!
まさか使える武器もない。こうゆう時、勇者なら剣で、スパイや軍人なら銃で壊せるのに・・・。言わずも僕は学生だ。
うーん・・・。と、一つ案が浮かんだ。
そうだ!律佳に蹴破ってもらえば!
このくらいの鉄の扉なら、彼女はおちゃのこさいさいで大穴を作ってくれるはずだ。
「はあ・・・はぁ・・・はぁ・・・」
汗をダラダラとかき、息が整わないでいる律佳でも、この扉を壊すくらいたやすいだろう。それにこの扉さえ壊せば、外にさえ出られれば、この疲れは一瞬で消えるハズ・・・!だってこれは・・・。
「律佳、このドア、ぶちぬいてくれ!」
彼女は答えた。しかしその答えは予想を遥かに逸脱した答えだった。
「はぁ・・・っはぅ・・・ごめんん・・・ムリ・・・だよぉ・・・」
くたっとそこで正座が崩れた感じで律佳は足を折った。
「り・・・律佳・・・?」
「・・・っはぁ・・・ごめん・・・はぁ・・・力が入んないの・・・」
苦しそうに顔だけを持ち上げて言う彼女。その様子に、耕輔はただならぬ異常を感じた。まさか・・・本当に・・・!?
「・・・だいじょぶか・・・律佳・・・?」
見るからに異常な疲れ度合いだった。一応耕輔も少々息は切れているも、さきほど休んだばかりなのでそう疲れてはいない。だが律佳はこの様子・・・とすると・・・?
しまった・・・!くそっ・・・!!
遠回りするべきではなかった。だって“彼女”は、僕がこう考えることを知っていた!
彼には一人、めぼしい原因人物が見えていたのだ。つまり犯人が。さっきからひっかかていた・・・あるキーワードに・・・。それに合点がいく人物・・・!
智香だ。
智香は普段、世間話しかしてこなかったが、情報色彩風薫というものの話しをするときだけ、目を輝かせて話していたのである。智香いわく、
「情報色彩風薫というのは、その人の遺伝子と言いますか、人の“色彩”に影響を及ぼす薫りのことなんです。時にリラックスさせ、時に食欲をそそらせ、時に不快な気分にさせます」
大事なのは次だ。
「それを操作して、私、人の為になるようなものを作ります!・・・まあ・・・最強の毒も・・・造れるんですけど・・・」
彼女に毒のことを詳しく聞いたことがあった。
「出来れば怪物専用の毒が造りたいです。律佳ちゃんの役に立ちたいですから。ちなみに・・・本当に余談ですけど、律佳ちゃんの遺伝子はよく知ってますから・・・律佳ちゃん専用の猛毒は造れます。・・・それこそ、全てを奪えるような薫りを・・・」
そのときは笑っていられたが、今になって笑えなくなった。つまり、犯人は彼女。澤木 智香だ。そう、彼女はその、例の“律佳専用の毒”というのを解禁したのだ。この校舎で。
さらに状況証拠で言うなら、智香が“第二校舎”を捜索したいと言った理由にも合致する。何故なら、律佳専用の毒といえど、ライドの智香にもその毒は効くのだ。これを踏まえれば、智香は確実にこの件の犯人だということになる。
「とにかく、ここから動かないと・・・」
もたもたしていたら、律佳が危ない。
遠回りと言う失敗を犯してしまった以上、ここから、1年2組、3組とを通過し、事務室を迂回し、さらに1年1組の裏へ行かねばならくなった。
無理をしてでも律佳をそこまで連れて行かないと・・・!
耕輔は、座ったままの律佳の手を掴んで、くいと引いた。彼女の手に力はなく、また立とうともしない。
「・・・動けないよ・・・こうすけ・・・」
それほど律佳の体力は危うかった。全身汗でもはや耕輔を見上げる余力もなく俯いている。
呼吸は安定しているが、少し走るとまた息がズレてくるかもしれない。さすがにそこまでして動かすわけには行かない、助けるどころか、それは殺すことにも成り得る。しかし、だからといって、絶対置いていくわけにはいかなかった。
こうなったら・・・!
もう意地を張っているときじゃない。
「律佳・・・じゃあ、おんぶしてやるよ。乗れ」
「・・・え?」
突然のことに目を見開く律佳。耕輔は突然気恥ずかしくなったが、隠すように、物凄い剣幕で言い放った。
「いいから!死にたいのか!!?」
とは言うものの、耕輔が死ぬことはない。
智香の話によると、人間とライドでは、もともと“色彩”が違うらしいのだ。
しかし今回、耕輔も息苦しく、また眠いなどの症状が出ているところを見ると、少なからず人間にも被害を及ぼす因子が含まれているようだ。ただ完全ではないらしく、少々の被害である。
律佳は目を真ん丸くしたまま、冷め上がった汗の顔で、しかし次の瞬間、頬を赤くして、にっこり微笑んだ。
「頼むね・・・こうすけ」
「ああ」
律佳をおんぶしてやると、意外なことにとても軽かった。40キロ程度、あるかないか。あるいはそれ以下かくらいに感じる。
あんなに食べていてこんな易い体重だとは、と、耕輔は思ったが、この状況を考え、すぐに中断し、走った。
しばらく順調に走った後、
「私、重い?」
どことなく不安そうな律佳の声が聞こえた。
「いーや、全然。米持つよりラクだ」
僕がそう答えてやると、律佳は、ふーん、鼻で答えた。顔は見えないが、笑った律佳の顔が見えた気がした。そして何を思ってか、
「今度から、私が米持つね」
などと言ってきた。何だか楽しそうな声。これは冗談で返すのがいいかもしれない。
「ああ、よろしく。だから、寝るなよ!!?」
これはマジだ。だが律佳は思い切り抗議した。
「えぇー眠いよー!!」
「ダメだ!!冗談抜き!!じゃないと明日からメシも抜き!!」
これは効いたろう。
案の定、律佳はこう叫んだ。
「なーにーーーッ!!!分かった!寝ない!」
「よし!」
「帰ったらラーメン三杯作れよ!?」
「・・・・・・」
・・・ムリッっつか、イヤだ!
「何でそこで黙るんだよーーッ!!」
やっといつもの調子が戻ったか・・・。しかしどれもこれもが、元気なさげな声である。心と体がついてきていないようだ・・・どこか非力な声なのである。
声には完全な疲れが聞こえるし、律佳の体からは、熱い汗と、すぐ冷え上がる汗とが混同した温度が感じられる。早くなんとかしないといけない。だって。だって、こんなの。
こんなの、とてもじゃないが、律佳じゃない。