其の九の三
「ほらほら!遅刻するぞーっ!!」
「うわーーっ大変だーっ!」
律佳が玄関を走り出て、俺の後ろに続く。
とりあえず今日も、“遅れるかも知れない”と言う、意味はないが、律佳があらゆる行動を中断してでも急行する言葉でごまかし、学校に向かう。まだ限りなく、走り始めのことだ。
そこへお隣さんの智香が、何故か上空から降りてきて、格好良く着地し、ダッシュで耕輔と律佳に並んだ。
「おはようございます!律佳ちゃん、耕輔クン!」
彼女は息も切らずに笑顔で挨拶してきた。
「あ、ああ、うん、おはよう!智香さん!」
「おはよ、ちぃちゃん!」
とりあえず二人とも、ダッシュしたまま挨拶する。この変な状況で誰も突っ込まないのは、唯一の突っ込み役である耕輔が、今日意図的にボケているからである。
とりあえず、智香の意味不明な行動を解説しよう。
智香は何故か、あらゆる行動を駆使してでも、律佳と耕輔に続き、登校しようとする、律佳の世話用ライドである。ただその行動、本当の意味で合点がいかないと言うわけでもない。行動を見ていると、ただたんに律佳と登校したいだけであろうということが、分かってしまう。嫌でも分かる。ただ例外があるようで、律佳が何らかの急用で学校へ赴けない場合のみ、智香は耕輔とともに登校する。
不完全な説明であるが、これで智香の朝の行動は理解出来たであろう。
「出来ないって!!」
そう叫んだのは耕輔である。
「いえ!やるんです!律佳ちゃんと私なら、不可能なことなんて・・・!!」
目の前で踏み切りが閉まろうとしている。あとその踏切まで約10m程度。その場所から、今から閉まらんとしている踏み切りを突っ切ろうと言うのだ。別段意味はないのだが、律佳が急いでいる=智香も無理難題があろうとついていく、と言うなんとも不毛な図式で、この会話は成立している。
「いや!お前たちが出来ても、俺が出来ないって言ってるんだ!!」
諦めてダッシュを止めようとしたした瞬間、後ろから強烈な衝撃が来た。背中の一部のみを強打されたようで、その勢いは、電車が走り抜けていくその上の電線をも、をひょいと飛び越えるほどであった。
本人にしてみれば、突然飛んだと言う恐ろしい体験でしかなかったが。
その本人、耕輔は、そのまま地面に、落ちた。倒れたときうつぶせの状態だったと言うのは言うまでもない。
「イデェェ・・・」
イデェェで済んだのは、耕輔だからである。通常の人間なら、体中の骨が折れていることだろう。皮膚もえらいことになったと思われる。
その両隣、痛む耕輔を挟んで、律佳と智香が手を叩き合わせ、喜び跳ねていた。
「やったね!律佳ちゃん!」
「うんうん!私ナイスショットだった!」
「・・・・・・」
耕輔はそのまま前進して、パンパンと制服を手ではたいて、歩き出した。
「こうすけ〜、すごかったよー!」
律佳が、四角いかばんを、両手でスカートの前で持って、耕輔の隣に並んだ。
「・・・何がすごかったんだ?」
むすりとして聞き返す。
「だってね、だって、こうすけ蹴ったら、みごとに“線”にひっかからず、飛び越えたんだよ!?」
ああ、やっぱりか。と耕輔は思った。ちなみに律佳の言う“線”とは、電車の電線のことだ。
この痛烈な背中の痛みは、律佳の蹴りのせいだったか。
そんな常人離れした考えを、この馬鹿なら思いつくだろうと、もう分かっていた。まさか蹴っていたとは思わなかったが。
耕輔の表情に出た明らかな怒りに構わず、律佳は語り続けた。
「でね、やっぱりこうすけの言う通り、あの“棒”は走って通れそうになかったから、跳んじゃった」
跳んじゃった、じゃねーーーーっ!!
と内心地団駄を踏みまくったが、言っても論争にすら発展しないので、言わない。
と、その後ろから、智香が駆け寄ってきて、耕輔の背を撫でた。
「大丈夫ですか・・・?」
ああ、やっぱり智香さんは普通の人だ・・・!目頭が少し熱くなったところで、恐ろしい一言が。
「・・・穴は、開いてないみたいですね。良かった。新しいの買わなくて済みますね」
僕の顔を覗き込んで、にっこりと微笑んだ。
ああ。やっぱり?僕のことは心配しないんだ・・・?
何だか一人、一喜一憂しているようで、気持ちがどんよりした。が、とりあえず学校に向かうことにする。ガックリと肩を落としながら。
その近くのどこかの屋上、あの大男が無線を開いた。近くにライフルがセットしてあり、キッチリと固定されている。
「こちら、ダーハン1からダーハン2へ。やはり完全に露呈している」
無線機の奥から、昨日と同じ少年が、抑揚のない声で返してくる。
「ダーハン2。認められません。その事実を裏付ける物的証拠も、情報も確認出来ません」
しかし、大男は食い下がる。
「ダーハン2、事実検証は不可能だ。ターゲットは怪物殺しのプロなのだから。程度が低い証拠なら、隠蔽もしくは、消すことも容易いだろう」
「そのような能力も認められません。ターゲットは知識に欠ける部分があります。また、思考能力も低い」
「それも偽りだろう」
「証拠がありません」
「だが、動きは確かにある。この狙撃のことを知らないのであれば、あのように自然に見せた高速移動、ならびに、難解な選択ルートは通らない」
「・・・・・・」
「あの電車の飛び越えは見事だった。体力的難がある第二ターゲットを、角度と威力を十分に考慮して蹴りを放ち、完璧な狙撃の回避を謀りながらも乗じて、目標施設への急行を成功させた。その前にも四発もの弾が全て外れた。俺とて百発百中の実力がある。しかし、みすみす外してしまった。これは露呈していると考えるべきだ」
「・・・・・・」
少年もそれは考えた。しかしそれは不可能なことだし、大体知っていても、ターゲットには思考力がないに等しい。と言うことは、綿密な作戦など立てられるわけがない。だが偶然には度が過ぎる・・・。
「・・・ダーハン1。考えがあります」
「何だ」
「ターゲット以外の人物がいましたね」
先ほどから気になっている人物。あの、謎の行動がひっかかる・・・。
「ああ。“チカ”と呼ばれていた。身体能力はターゲットに劣るものの、人間のそれを遥かに上回っている」
「・・・最初は怪しいとは思いませんでした。ただの隣人とばかり。しかし、彼女はライドです。徹底的にマークして下さい。黒幕は彼女しかありえません」
それはあまりに低い可能性だった。頼りがたい可能性。捨て置くべきかもしれない。でも、もうこれしかない。
大男は困惑した様子もなく、了解した。