第Ⅷ十Ⅳ話:手。
「全然泳げないの?」
完全に定着してしまったタメ口状態のまま、二人きり。
「ちょっと息継ぎが苦手で・・・。」
(二人きり・・・。)
胸がばっくんばっくんいっている中で、何とか返答だけが出来た。
そういえば、最初に出会った保健室以外で、こんなにしっかりと一対一の近距離でやり取りする事はなかった。
ならば、こういう状態になるのも無理もない。
「本当に初歩か・・・じゃあ、はい。」
奏の目の前に手を差し出す征樹。
その意図を掴みかねる奏。
「片方ずつ息継ぎの練習。手を繋いでいる方と逆側の息継ぎ。」
一瞬だけ奏の泳ぎのレベルに面倒さを感じて挫けそうになったのは、おくびにも出さずに。
「あ・・・はい。」
恐る恐る征樹に手を伸ばす。
手が微かに震える。
(あ、手・・・が・・・。)
触れた瞬間ピクリと身体が震え、それから彼女の手に征樹の体温が伝わる。
「じゃ、いくよ?」
すぅっと手を引かれ、海面にうつ伏せに身体を伸ばし、しばらくしてから繋いでる手と反対の手でゆっくりと海水を掻く。
身体を半身だけ横に捻りつつ、顔を出して息をする。
「焦らないで、ゆっくり。」
再び顔が海水につき、2,3度海水を掻いてから、また顔を呼吸の為に出す。
「いいよ、うん。」
これを何セットか繰り返すと、奏の手と一緒に身体がぐぃと引き上げられた。
「っは。」 「上手。」
(ち、ち、ち、近いッ!)
引き寄せられるままに身体を起こした奏の目の前に、征樹の顔がある。
泳いだ事による動悸よりも、こっちの方が激しい。
というより心臓に悪い。
「じゃあ、今度は反対かな。」
そんな奏の心拍数を意に介さず、征樹は次ぎの行動を促してくる。
(・・・呼吸困難になりそう。)
当然、原因は征樹だ。
結局、また先程のような事を行い、左右3セット程した頃には、征樹が両手を離しても割とスムーズに息継ぎが出来るようになっていた。
(こんなものかな?)
我ながら満足のいく結果が出て、征樹はほっと胸を撫で下ろす。
「さてと、そろそろ戻らないと・・・。」
「葵くん・・・。」
「ん?
「その・・・ありがとう。」
急に神妙な面持ちで礼を述べてくる奏。
征樹としては、そこまで何かをしたという感覚はない。
「別に・・・。」
感謝してもらいたかったワケじゃない。
感謝されるような事をしたワケでもない。
そう思うと、自分は感謝さる程の存在なのだろうか?
そんな考えがムクムクと鎌首を擡げてくる。
「・・・ただの気紛れ。」
夏だから、旅行だから、たまたまだから、何でもいい。
理由なんかはそこにはない。
そういう考えが脳裏に現れ、憂鬱になった征樹はつい、そう口にしてしまう。
「そんな・・・。」
「じゃなきゃ・・・。」
自分はこんな風に皆と旅行に来ただろうか?
ひょっとして、最近、少しだけ杏奈や周りの人間を気にかけるようになったのも錯覚だったり、気紛れだったりするのかも知れない。
途端に怖くなって、身動き出来なくなりそうになる。
自分は変われているのか、それとも幻なのか。
ぐるぐる、ぐるぐる・・・。
「僕は結構、適当で中途半端なのかも知れない。」
それは己の存在も含めて。
「あぁ・・・ヤだな、暗い。まぁ、気にしないで。」 「気にします!」
意志のこもった強い声。
「奏先輩?」
今まで何回か、激情型とも思える様な発言は何度かあった。
だが、今回はそれに更に輪をかけて力強い。
「気にするし・・・そんな事言わないで下さい!」
キッと涙目で征樹を見据えた奏は、征樹の手を取る。
「葵くんは、さっきこうやって、私の手を取ってくれたじゃないですか、私を助けてくれたじゃない・・・。」
声も少し涙声になっている。
「だから、それは・・・。」 「私は!」
ぎゅぅっと征樹の手に力が加えられていく。
少し痛かったが、奏の尋常じゃない様子に振り払う事も出来なかった。
「私は嬉しかったです・・・こうやって二人になれたのも・・・。」
とうとう奏の瞳に溜まっていた涙が、頬を伝って零れ落ちてゆく・・・。
「だから、そんな事を言わないで・・・私が、"妹が"好きだった、葵 征樹くんでいて・・・。」
「今、なんて?」
全周囲から聞こえてくる波の音よりも、その声は征樹の中に響いていた。
まさかの奏編・・・プロットにもいなかったキャラなのに・・・。(汗)
次は通常(?)更新日にお会いしましょう(苦笑)




