第Ⅵ十Ⅸ話:隣の位置にどう佇むか。
結局、何時もの文字数に戻るというテイタラクです。(トオイメ)
「うわぁ・・・。」
感嘆の声が口々に上がる中、違った意味で頭を抱える征樹。
(なんだかなぁ・・・。)
「ねぇ、征樹くん?」
一行の目の前に広がっている光景は、見事な日本庭園を擁する、どう見ても高級旅館だ。
「大丈夫なの?」
静流の心配は予算の問題なのだが、それに対して征樹は非情に冷静だった。
「人選を間違えました・・・。」
すまなさそうに静流を見上げる。
「人選?」
「ここ、瀬戸さんの紹介。」
どうやら征樹自身も浮かれていたようで、瀬戸が知り合いの旅館を安く紹介してくれると言われて深く考えずに乗ってしまった。
普通に考えれば、会員制の高級クラブのオーナーからの紹介、しかも瀬戸。
こうなる事は、想像に容易いはずなのだ。
(参ったな。)
立ち尽くしてばかりいるわけにも行かず、ロビーの中へ入ると仲居・番頭一同に出迎えられて、フロントに案内された。
そんな事をされたりすると、流石に頭痛しかしてこない。
(逆に言えば、また気を遣わせちゃったって事だよな。)
少し嬉しくもあり、申し訳なくもあり・・・。
「こちらに記帳を。」
「あ、はい。」
ぼーっと考えながら、さらさらと名前を書く。
しかも筆ペンで。
こういう時、毛筆を習っておけば良かったという微妙な思考になりつつ。
隣に書いてある字が達筆なのが、尚更。
「静流さん。」
どうにもならないのは明白なので、さっさと諦めて自分の名前を書くと筆ペンを渡す。
渡された静流は、さらさらと名前を・・・。
名前を・・・。
(名前・・・。)
静流の手が止まり、先に書かれている葵 征樹という名を見つめる。
この名前の隣に自分の名前を書けばいい。
それだけ。
ただそれだけの事なのだが。
(名前・・・。)
葛藤している。
葛藤しているのだ。
この、葵 征樹の隣に"静流"と書きたい。
重要なポイントは、"苗字を書かず"に。
端から見れば下らない事かも知れないが、恋する人間にしてみればそれは抗し難い衝動。
「静流さん?」
だからといって、それを実行をするには色々な事が邪魔をする。
主にプライドだったり・・・第一、この後、他の人間も続いて書くのだ。
しかし・・・"夏の思い出"に。
もはや誘惑に近い現象だが、二人きりではなかったのだから、これくらいはいいのではないだろうかとも・・・。
「静流さん?」
再度の征樹の呼びかけも耳に入らない静流。
そんな静流の手を取ったのは、琴音だった。
「あっ。」
短い声を上げる静流の手から、ペンを抜き取るとさらさらと紙にペンを走らせる。
(あぁ・・・。)
誘惑との葛藤が、野望(?)の崩壊を呼ぶ。
「これでよしっと。はい、静流さん。」
先に記帳を終えた琴音は、意味深な笑みを浮かべてペンを再び静流の手の中へ。
「頑張ってね。」
すれ違いざまに小さく呟く。
その言葉に首を傾げながら名前を書こうとすると、彼女の書こうとしていた位置には案の定、琴音の名があった。
「えっ・・・。」
琴音の少し細い筆跡。
ただ、そこに彼女の苗字は記されてなかった。
"琴音"、その名だけである。
思わず振り返って琴音を見てしまう。
何か問題が?とでも言わんばかりの涼しげな彼女の微笑み。
離婚したのならば苗字は以前と変わる事は往々にしてあるのだが・・・。
「早くしないと、"順序"が後ろになっちゃうわよ?」
"順番"ではなく"順序"と述べたところが、琴音らしい。
この発言を聞くやいなや、慌てて静流は自分の名前を書く。
そこには勿論苗字はなく、それはまるで参戦表明の如く並ぶ名。
(ちょっとイジワルさんだったかしら?)
意外と色んな意味での腹黒さを見せた琴音に対し、他の二人、杏奈と奏は何の抵抗もなく名前だけを書き記した。
これもジェネレーションギャップの一つなのだろうか?




