第Ⅴ話:誰かと夕飯を一緒に食べるということ。
夕飯に出されたグラタンは、少し濃いめの味付けだったがとても美味しかった。
家事が得意だという征樹の弁もあながち嘘ではないようだ。
「正直。戸惑う反面、嬉しくもあるんですけどね。」
征樹がぽつりと呟く。
「嬉しい?」
静流はふと、家の中に入った最初に抱いた印象を思い出していた。
「誰かと夕飯食べるのって久し振りだし、なんだかんだ言って一人よりは良かったカモ。」
「一人って、お父様は?」
「ん~、僕は小さい頃は祖父母に育てられたし、中学に入っては・・・あー、入学式の時に一回あったかなぁ。」
(父親もロクに出来んのか、あのクソジジィは・・・。)
静流は子供を持った事もなければ、婚姻した事もないが、幼少期と思春期の多感さや機微というものが如何に繊細で、大事だという事かは理解しているつもりだ。
「寂しく・・・ない?」
「寂しいというか・・・最初から無いモノだから、実感しようがないですよ。あ、でも美人の村迫さんと夕飯をご一緒するのは嬉しいですけど。」
にっこりとストレートに好意を表現される事に自分は免疫が無いんだというのは、静流は完全に自覚した。
それと同時にさっきから自分の胸をくすぐるのが、母性本能だというのも少し自覚。
「・・・静流よ。」
「はい?」
「村迫さんじゃなくて、静流。」
「しずる・・・さん。」
「宜しい。で、征樹君、征樹君は私とご飯食べて楽しいと思ったのよね?」
「え、まぁ、はい。」
「じゃあ、こうしましょう。これからお夕飯だけは一緒に食べるってのはどぅ?」
段々と当初の予定から外れていっているのは承知しているが、静流はそれでもその言葉を征樹に投げかけた。
「夕飯を?」
「そ。楽しくお夕飯。」
「・・・。」
当の征樹は正直困っていた。
確かに久し振りに誰かと一緒にとった夕飯は楽しい。
が、そもそもだ。
この人は半ば強制的に自分の面倒を見させられそうになっているという前提がある。
そして、今現在のこの人は・・・。
村迫 静流という人は完全に善意で言ってくれているのである。
(う~ん・・・照れくさい・・・それに悪い気がする。)
征樹はそう思っていたのだが、それは大きな間違いだ。
"照れる"事でも"悪い"事ではない。
誰かと夕飯を食べたり、誰かに優しくされる。
この程度ならば、誰でも一度は経験した事がある事なのだ。
問題は、それすらも欠陥した環境に慣れて育ってしまったという点。
もっとも、逆を返せばそれが今の静流のような状態を生み出しているのだが。
「えと・・・。」
何と言ったらと目を泳がせながら考えていた征樹の視界に時計の針が入る。
時間は9時になろうとしていた。
「・・・あーッ!!バイトの時間ッ!」
本当に楽しかったのだろう、時間の経過を失念していた征樹は勢い良く立ち上がったが、目の前の静流はその言動に眉をひそめていた。
「バイト?こんな時間から?征樹君の年で?」
(しまった・・・。)
征樹は童顔ではあるが、それを除いてもれっきとした未成年。
夜の時間帯のバイトどころか、通常のバイトすら許されてはいない年齢なのである。
当然、弁護士である静流には見過ごせない状況だ。
「いっ、いや、バイトと言ってもお手伝いみたいなモノでですね、両親の知り合いのこのマンションのオーナーさんのお店で、その・・・。」
とにかく嘘はつけない。
弁護士に嘘をつくなんて致命的だと征樹は知っている。
「征樹君は義務教育期間の未成年でしょう?コラ、ちゃんと目を見て話す。」
静流はきちんと問いただそうと征樹ににじり寄るのだが、征樹は彼女のドアップに耐え切れずに下を向く。
(うわっ、下向いたらダメなんだった。)
途端に征樹の視界は胸とその谷間で埋め尽くされる。
「第一、バイトする理由がないでしょう?」
「り、理由はあります。食費稼がないと・・・。」
「え?だって?」
「家賃やら光熱費は、父の口座から引き落とされているみたいですけど、食費は・・・。」
「なぁんですってぇーッ!」
自分の上司とはいえ、あまりの保護責任の放棄っぷりに静流は拳をプルプルと震わせ始めた。
「あ、そういう事ですから、見逃して下さい。鍵はオートロックなんで勝手に出ていただければ大丈夫ですから、僕、その遅刻しそうなんでーッ!」
征樹は自分が何の責任も無いというのに、余りの静流の様子に脱兎の如くその場から逃げ出すしかなかった。




