第ⅩⅩⅩⅥ話:急転直下の第一歩。
「ただいま。」
玄関の靴を見た征樹は、居間にいる人物が誰かわかっていた為に特に驚いたりしなかった。
寧ろ、早く相談出来る方が良かったと思った。
「すみません、冬子さん、突然に。」
目上の相手を呼びつけた事を心から謝罪する。
「気にしない、気にしない。マー君の為なら、火の中、水の中、ベッドの中よ。」
そのオヤジギャグにあははと苦笑する征樹。
「マー君って、僕はもう中学生ですよ?」
「んじゃ、マー君も昔みたいに"トコ姉ちゃん"でいいわよ。」
(また愛称・・・。)
呼び方に関する精神ダメージは、ある種のトラウマ的なモノ静流に植えつけていた。
「冬子さんは、昔・・・母が亡くなるちょっと前から僕の勉強を見てくれてたんですよ、静流さん。」
「え?あ?そうなの。」
征樹が自分に声をかけてくれるなんて、随分久し振りの様な気がした。
「で、本題は?」
「あ、その、冬子さんにもしかしたら弁護士としての仕事をお願いしたいんです。」
「弁護士の?」
一番予想外だった発言に静流と冬子は見詰め合う。
「あ、その、頑張って正規の料金を支払いますから・・・分割で。」
流石にタダではないのは、覚悟していた。
「いや、それはいいけど・・・マー君?その、静流さんじゃダメなの?」
「静流さんの専門は、債権法みたいだし・・・。」
弁護士と一口に言っても、ブ厚い六法全書の全てを覚えているわけではない。
専門的に特化・分化している事が大半だ。
対象も個人や法人というように。
静流の場合は、主に法人・商法系統が専門だ。
それは初めて征樹の家に来た時の夜に見せた。
「それに彼女はまだ信用出来ない?」
冬子の質問に黙り込んだまま返事をしない征樹に静流は愕然とする。
「と、いうより何処まで自分を信用してくれてるか、わからないのよね?」
ヤレヤレと溜め息をつく傍らで、かたまっている静流。
「変わらず臆病なのね。静流さん、マー君はハリネズミみたいな子だから気にしないで。誰相手でもこうよ。」
クスリと笑う冬子だったが、静流には何のフォローにもならなかった。
「眼鏡あげようか?」
「冬子さん。」
「私だって、最初の印象は"眼鏡の人"よ?しかも、かなりの期間。お陰で眼鏡は外せないわ、変えられないわで・・・。」
「あの、冬子さん、本題は・・・。」
流石に物心つき始めの頃の話しをされるのは恥ずかしい征樹は、慌てて逸れた話題を戻そうとするが、そのやりとりすら今の静流には羨ましい。
「つまり、私の専門てトコね。はい、番号。」
またコレか・・・と征樹は辟易としていて、何と説明したらいいのか困っていた。
内容もそうだが、征樹はこのやりとりは昔からで条件反射というか洗脳みたいだと常々思っている。
「まだキチンと確認してはいないケド・・・。」
征樹にとっては逆に慣れたやり取り。
「多分、770・・・細かいのは覚えてないけど・・・1の5辺り?」
不安げに答える征樹に拍手ながら頷く。
「流石、マー君、カンペキ♪私の教育が良かったのねー。」
テヘっと笑う冬子。
そのやりとりを呆然と見ているだけの静流は、無意識に唇を噛んだ。




