第C&Ⅸ十Ⅸ話:隣の芝は・・・
「ここよ。」
当然の成り行きではあるが、静流に先導されて来たのは貸しビルの中の一つのフロアだった。
「・・・。」
静流の言葉に対して、征樹の反応はない。
いや、沈黙がその答えとも言えるだろう。
何故なら征樹は、この場所に一度だけ訪れた事があったからだ。
もう随分と昔の話、征樹が物心つくかつかないかの時だっただろうか?
そう思った時だ。
「あら、村迫さんん、今日はどうなさったんですか?」
目的地であろう場所の入口に座っていた女性が静流を見て挨拶をする。
そして、次に征樹を見て・・・。
「弟さんですか?」
まぁ、そんなところに落ち着くんだろうなと思いつつ・・・。」
「いいえ、私の恋人。」 「は?」
間抜けなリアクションを返したのは、征樹だけだった。
静流に声をかけた人物は、先程の征樹のように沈黙を貫いている。
「てのは冗談でね。」 「ですよね~。」
返ってくるその反応自体も予想の範囲内といったところであろうか。
静流的には少々、いや多分につまらない気もしたが、嘘はいけない。
たとえ今日一日が恋人気分のデートだとしても。
「葵所長の息子さんよ、彼。」
「え、えぇーッ!!」
今度はフロアに響き渡る声。
(どんなだよ、ソレ。)
静流の恋人というより、父の息子という事実の方が衝撃度が大きいなんて、と征樹が呆れるのも解らなくはない。
しかし・・・。
「・・・お、お母様似で良かったわねぇ。」
ひとしきりの混乱を招いた後の最終的な結論はソレだった。
今までの征樹なら色々と感慨深く思ったかも知れないが、征樹と初めて顔を合わせた人間で、母か父を知る人物は軒並み同じような事を口にするので、少々飽きた感もある。
はっきりって、何の面白味もない。
「それでね、彼にお父様の職場を見学してもらおうかと思って。」
「なるほどぉ~。解りました。あの、案内は?」
「私がするから大丈夫。」
そう言うと静流は、受付嬢から来客用のカードを受け取り、それを優しく征樹の首にかける。
「ありがとう。」
「いえいえ。」
ちょっとだけ。
征樹も静流も、互いにちょっとだけ余所行きのやりとりをする。
余所行きの態度・言動が別にあるという事に、征樹は苦笑した。
何故なら、それは静流が征樹、或いは征樹が静流にとって、もう"赤の他人"の様相を持たないという事に違いないからだ。
普段と余所行きが存在するくらいには。
「それじゃあ、行きましょ。」
「はい。じゃあ、どうも。」
静流に促されて、征樹は案内嬢に礼を述べると、オフィスの奥へと足を踏み入れる。
多少の緊張はあるが、どうせ父はいないのだ。
静流の意図は解らないが、それでも何かしらの考えがあるには違いない。
今日のルールだって、折角ここまできたのだ、きちんと守りたい。
それくらいの律儀さは自分にだってある。
と、まぁ、そういうわけだ。
そんな事を考えながら、歩みを進める征樹の後姿を身を乗り出して眺める。
「いいなぁ・・・。」
思わず呟く。
それが何を意味しているのかは、言葉を口にした彼女自身も解っていない。
弟としてか、恋人としてか。
ただ二人の後姿ややりとりを見ると、羨ましく見えて仕方がなかった。
「ここよ。」
受付嬢とその他の、そんな視線を知ってか知らずか、二人は突き当たりのドアまで振り返る事なく進み、静流は自分の社員証をドアの横のロックにかざし開錠する。
恐らく、征樹の来客証もある程度同じ機能があるのだろう。
静流のは、それとは別に個人のスペースに密接関わる場所へも行けるのだろう。
そんな場所へ・・・。




