第C&Ⅵ十Ⅷ話:味覚の学習能力。
「征樹くん?」
静まりかえってはいたが、どこか人の気配のする家に入って、居間に突っ伏していた征樹を見つけたのは静流だ。
居間の更に奥の台所から漂ってくる熱気が、一つの人のいる気配を醸し出しているのに気づき、征樹を見る。
微かに聞こえる寝息。
征樹が料理をしたのだろうか?
(そういえば、初めて会った時は、征樹くんがご馳走してくれたのよね。)
濃厚な味のグラタン。
あれからそう月日が経過したわけでもないのに、酷く懐かしい気がする。
その理由は明白だった。
「色々とあったものね・・・あなたも、私も・・・。」
そっと、その手をふんわりと優しく征樹の頭に置く。
指に感じる征樹の髪の感触。
するりと指をすり抜けていく髪に、一人微笑む。
(買い物に行ったり、旅行に行って、泳いだり、お風呂入ったり・・・。)
それからそれから。
(叩いたり、抱きしめたり・・・。)
そしてそして。
(キスした・・・り?)
どんどんおかしな方向に・・・。
そうなると途端に目の前にいる征樹の寝顔が、より一層愛しいものに見える。
静流は、人間、死ぬ間際・瀕死状態の時には、走馬灯のように思い出が浮かんでは消えを繰り返すというのを聞いた事があったが、実際はそれ以外の時にも起こるものだなと考える。
主にパニックというか、血圧急上昇的な、そういう状態の時。
しかし、安らかな寝息をたてている征樹の柔らかな髪から、自分の手を離す事が出来ない。
もう少しだけ、もう少しだけと、何度も揺るかにゆっくりと撫でる。
すると、そのうちに高鳴る心臓の鼓動は姿を潜め、やがて純粋な充足感だけに埋もれてゆく。
「?」
ふと、かき上げた征樹の髪の向こう側、その顔にうっすらと筋の跡を発見する。
目から頬にかけての一筋の線、渇いた涙の跡。
(恐い夢でも視たのかしら?)
人の夢とは、日々の生活で溜まり続ける記憶の整理、その断片とも言われている。
では、征樹が視る恐い夢ちとは・・・。
静流は、顔を征樹に近づける。
覗き込むように。
唇が触れるくらいまで、あと僅か、数センチという距離で・・・。
「大丈夫、傍にいるわ。征樹、あなたの傍に。」
噛みしめるように紡がれた言葉。
そして、一瞬の間。
「・・・・・・。」
ペロリ。
(案外、しょっぱくない・・・かしら。)
舌をちょこんと出して、唐突に静流が征樹の涙の跡を舐めたのだ。
そして、その感想がそれだ。
涙が塩辛いのは、その成分にナトリウムが含まれているから。
一般的に副交感神経が刺激される嬉し涙や悲しい涙は、交感神経が刺激される悔し涙、怒りの涙より塩辛さが薄いとされる。
あながち、静流の感想は間違っていないのかも知れない。
やっている事それ自体は、小学生以下レベルな気もしなくはないが。
「静流・・・さん?」
うっすらと瞼を開く征樹。
瞼が重いのか、まだ寝惚けているのか、はっきりとしない表情でいた。
「・・・お、おはよう、征樹くん。」
「・・・・・・おはようございま・・・す。」
変な間はあったが、至近距離での挨拶を済ませる。
どちらの側も取り乱すような事が無かったのは、学習能力の賜物か。
だとしたら、そういう状況に慣れる程に遭遇したという事でもあるので・・・一概にどちらが良いともいえない。
だが、ぽけっとしている低血圧の征樹と違って、静流はにっこりと微笑み彼の頭を再びひと撫でする。
「さ、お夕飯の用意をしましょう。」
征樹の前に自分のバッグを丁寧に置いて、征樹を促す。
「・・・その前に顔を洗って来た方がいいわね。」