第C&Ⅵ十Ⅴ話:謝と礼と愛。
「つまりだ・・・。」
キルシェはマグカップに注いだ緑茶を征樹に手渡す。
あれから、さしたる手間も時間もかからず、征樹はキルシェに理由を話してくれた。
「わざわざ資料を持って来てもらったのに悪いが、もっと熟考したいので、無駄足を踏ませたかも知れないと。」
「うん・・・。」
渡されたマグカップの中で揺れる波紋を眺めながら、征樹は頷く。
「ふむ。まぁ、良いのではないか?」
「そうかな?」
キルシェにしてみれば、なんだそんなコトかくらいなものだ。
「仕方なかろう?受験までにはまだ間がある、ゆっくひゃっ?!」
「キルシェ?」
自分用に茶を注いだカップを持って、自分のデスクに座ろうとしたキルシェは、足に伝わる生温かい感触に思わず悲鳴を上げそうになる。
「いや、気にするな・・・。」
マグカップを慌てて置いて、征樹に気づかれない程度に視線を下に・・・。
(なんで、こんな所を選ぶ!)
思った通りに、そこには長い手足を窮屈そうに折りたたんだ鈴村がハマっていた。
隠れるという表現よりは、そっちの方が的確だ。
「ともかく、時間はあるのだ、大いに悩め。そういうのは若者の特権だぞ。」
下手な考え休むに似たりという言葉もあるが、と心の中で思いながら、足先で鈴村の身体を小突く。
「はぅっ。」
「?今、何か変な音が?」
「ん?そんな音したか?ともあれ、鈴村も選択肢の一つとして持って行ったに過ぎん。それを選ばなかったとして、目くじらを立てる程、あやつも馬鹿ではないだろ。」
馬鹿ではなく、大馬鹿の範囲に片足を突っ込んでいるわけだ。
「でも、鈴村さんに進路の事で心配かけちゃったし・・・。」
「オマエがそれをきちんと認識しておれば、何の問題もない。な?」
ゴスッ!
「ぐっ。」
最後の一言は、征樹と鈴村の両方に放った言葉である。
鈴村に違う一撃も放たれたわけだが。
「・・・じゃあ、寧ろ、"ありがとう"のが正しいのかな?この場合。」
「そちらの方が、前向きで謝るよりは、断然マシだとは思うぞ。」
「そっか・・・。」
「私はな、謝るより礼を、礼をするよりは愛情の言葉を。特に家族間ではそういう方がいいと考える。」
その方が生産的でいい。
「それって・・・名言?」
「ん?あぁ、私の"オリジナル"のな。」
久し振りのキルシェのアルカイックスマイル。
その笑みを見ると、何故だが征樹はほっとするから不思議だ。
「なんか・・・キルシェも、鈴村さんも、僕のお姉ちゃんみたいだ・・・。」
筆頭はやはり琴音で間違いはない。
しかし、以前の征樹なら、この言葉の後に、『お姉ちゃんがどういうモノか、僕には解らないけど。』と、こう続くはずだ。
それもこれも、今の征樹の周りにいる皆のお陰といえるだろう。
「手間がかかっても、正直で賢い弟というのも楽でいいな。」
そうではない"妹"と比べて・・・ニヤリと笑う。
それも愛情というのは、征樹にも理解出来た。
「さぁ、今日はこの辺で帰るといい。夏休みは残り少ないぞ?最後の思い出作りでも考えてみろ。なぁに、オマエが礼を言っていた事は、きちんと伝えておいてやるから。」
でないと、何時まで経っても、鈴村が出て来られない。
しかし、征樹の表情には迷いの感情が見てとれた。
「大丈夫。私も鈴村もちゃんと"ここにいる"ぞ。オマエに黙っていなくなったりはせん。」
征樹にとって、一番効果的な言葉をキルシェは告げる。
「・・・ありがとう。」
「ふむ。礼よりは、愛情の言葉と言ったはずなのだが?」
「いや、それは・・・ちょっと・・・。」
「冗談だ。だがそのうち聞けるかどうか楽しみにしておくとしよう。」